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公爵家の息子として生まれたことは、悪役令息に転生したことを上書きするくらいいいこと……までは言えずとも、不幸中の幸いだったと思う。これが、ただの悪役で酷い暮らしをしていて悪役になったという末路だったのなら同情はあったかもしれないが。それでも、公爵家の息子、ラーシェ・クライゼルは今至福の時を過ごしていた。
「こーんな広い風呂! 一人で使えるなんて贅沢だよな!」
泳げてしまうくらい広い浴槽。それはもう、風呂というより温泉だった。
ここ最近いろんなことがあって疲れていたこともあり、疲れに気持ちのいいお湯が染みわたっていく。歌でも歌いたいくらい有頂天になっていて、一曲歌おうかと思ったが、パッと歌が思い浮かばなかった。誰も聞いていないのだし、即興で作曲してもいいかもしれない。
俺は、足をばたつかせたのちピタりと止まって天井を仰いだ。天井も高くて手が届きそうにない。ぽちゃん、ピちゃんと水の音だけが響く静寂の空間。最初こそ、一人で使えてめちゃくちゃラッキーと思ったが、さすがに淋しくなってきた。まだ入って数十分も入っていないだろうに。
呼び鈴を鳴らせば、使用人が俺の体を洗いに来る。本当に至れり尽くせりの生活だ。だが、さすがに前世を思い出してからは、一人で体を洗うし、一人で風呂には入っている。その後のケアに関しては、使用人に任せているところはあるが、基本一人だ。
(ゼロとか、すきそうだよな。風呂……)
あいつはもともとが傭兵だから、風呂に入るという概念はないかもしれない。そもそも、風呂に入るなんていう習慣も、そんな贅沢もしてこなかっただろうと思う。本人は思い出したくもないのだろうが、伯爵家での暮らしの中でも、まず風呂どころかシャワーすら使わせてもらえなかったかもしれないと容易に想像がつく。あのいじわる伯爵夫人のことだから、ゼロがシャワーを使えないことを知りながら「薄汚いわね。近づかないで頂戴。私生児のくせに」と悪口を言っていたに違いない。そう勝手に想像して腹が立ってきた。
ゼロとそういう関係になってからは、一緒に風呂に入るなんてことは一度もなかった。もちろん、それまでも一度もなかったし、これからもないだろうと思っていたがせっかくこんなに広いのだから、二人で入るくらいはいいだろうととも思う。ただ、あいつが発情しなければと問題はあるが。
「ふんふんふ~ん。すげえ、声響くな。なんか恥ずかしい」
誰も聞いていないことをいいことに、歌ってみるが、自分の声が耳に直接入ってくるのでいたたまれなくなってやめた。だが、その数秒の間、反響した音がだんだん小さくなりながらも残って残響として滞在する。
もうそろそろ上がってもいいだろうと俺がふと顔を上げると、風呂場の出入り口に視線のようなものを感じた。いったい誰が、と思っていると、白い湯気の中に黒い影を見つけ、俺は慌てて体を起こした。ざぶん、と音を立ててしまい、俺がいることを知らせてしまう。
もしも、刺客の類だったら、と背中に冷たいものが流れた。
悪役令息時代(今だって、その名は轟いているのだが)、恨みを買うことが多かった。刺客にだって狙われることもしばしば。そもそも、公爵子息だからっていう理由もあってかなり。だが、ゼロが護衛についてからは、俺が気付く前にゼロが気付いて倒してくれることがほとんどだった。ゼロと恋人になってからも、刺客に襲われたことはあった。だが、あいつがいるから大丈夫だろうと、完全に警戒が緩んでいた。
来るなら来い、と俺は手に魔力を集めていつでも奇襲に備える。だが、湯気の中で揺らめいた影はペタペタと足音を立てながらこっちに近づいてきたかと思うと、ぴょこりと、頭に生えた耳を動かしたのだ。
「じゃっじゃじゃ~ん。吾輩でした!」
「ツェーン!?」
湯気の中から現れたのは、まさかのツェーンで、腰に一枚のタオルを巻いてマジック成功とでも言わんばかりに両手を広げていた。それはもう満面の笑みで。そのうえしてやったりというような期限の良さそうな顔で。
何故ここにツェーンがいるのかと、俺はいきなりの登場に困惑していた。
そして何よりも、ツェーンの身体を見て、改めてこいつが男であることに気づく。いつもは、女装……ではないのだが、必要以上のフリルがあしらわれたメイド服を着ているので、ツェーンの性別とは? とはなっていた。それが当たり前になっていたものだから、ツェーンはツェーンという性別というように気にしないようにしていたが、身体を見るとやはり身体性別は男であることに気づく。
小柄だが、それなりに筋肉があって、俺はツルペタな体を見比べて肩を落とす。ツェーンはもともと奴隷商にいた獣人だったのに、なぜ俺よりも筋肉がついているのだろうか。筋トレをしているわけでもあるまいし。
獣人族だから筋肉がついているんだろうなと思うことにし、俺はぱちくりと瞬きをしたのち、ツェーンを見た。
「何で、お前がここにいんだよ」
「ふふん。吾輩、風呂に入りたかったんだぞ」
「ここはお前の家であって、家じゃないからな? それに、一応主人が入っているときに強行突破~みたいに風呂場に入ってくるのは無礼じゃないか?」
一応、俺が飼い主……雇い主で、ツェーンは使用人。その差は明らかである。
だが、このツェーンとゼロはそんな俺にも容赦ないし悪態だってついてくる。何だったらいうことを全然聞かない奴らだ。今更、風呂にいきなり入ってきたところで驚きはしないが、心臓には悪いのでやめてほしい。
俺がそんなふうに怒ると、ツェーンはぺしょんと耳を下げて「ダメなんだぞ?」と目を潤ませて聞いてきた。俺が悪いみたいで、その懇願の瞳に俺は押されそうになる。獣独特の縦長瞳孔、ぺしょんと垂れ下がった耳。口を軽くへの字に曲げて俺を見るその姿は天使そのものだった。だが騙されていけないのは、こいつがライオンの獣人であるということ。気を抜似たらはらわたを食いちぎられるだろう。
(まあ、ツェーンにかぎってんなことねえだろうけど……)
百パーセント安全とは言えないものの、まあ大丈夫だろうと俺は息を吐く。
俺が気を抜いたことを感じたのか、先ほどまで垂れ下げていた耳をぴんと立ててツェーンはむふむ府といった感じに笑っていた。演技だったか、と俺は思いつつ、ツェーンを再度見る。
「んで? 一緒に入りたいんだったか」
「そうなんだぞ。あ、サービスにお背中流すんだぞい」
「いや、いいって。んなことしてるってバレたらあいつが……」
「ラーシェ――――ッ!!」
「ほら、いわんこっちゃねえ」
どこから聞きつけたのか、それともツェーンを追ってきたのか。もう一人厄介な奴がやってきた。
どたどたとあわただしい足音を鳴らしながら、そいつは滑り込むようにして風呂場にやってくる。湯気は、ゼロが現れた途端サアア……と消えていき、その輪郭をはっきりとうつす。髪が逆立ったような気を放ったゼロは、顔を真っ赤にし、服を着たまま風呂場に侵入してきた。
「おい、下種。何を考えている」
「いや、何考えてんのはお前もだけど、ゼロ……風呂場なんだから、服ぐらい脱げ」
「いい。こいつを引っ張り出した後出ていくからな。本当にこいつは油断も隙も無い」
ゼロはそういいながらツェーンの首根っこを掴む。しかし、ツェーンはいとも簡単にゼロの腕から抜け出して、バシャンと音を立てて湯船に入ると、俺の隣にすり寄ってきた。そして、俺を盾にするようにプルプルと震えてゼロを見る。
そんなことをすれば、ゼロが怒るのは目に見えているのに、と俺がゼロの方を見たら案の定さらに逆上して、今にも爆発しそうな赤い顔をこちらに向けている。
「旦那ぁ……ポメの兄貴が怖いんだぞ。助けてほしいんだぞい」
「お前のせいだろ…………ああ、ゼロ。んな怒るなって。お前も一緒に入ればいいだろ? 三人は、せま……くねえし、俺は別に」
正直ここまで来たらどうでもよくなった。まず一人で入っているのが寂しくも思っていたから、こいつらがきてくれたことはむしろ楽しい……が、あまりにも犬猿の仲なので挟まれるのは胃が痛かった。まあそれは、後で胃薬を飲めば解決することなので、そこまで気にせず、俺はゼロに手を出した。ゼロは条件反射的にポンとお手をして、恥ずかしそうに手を引っ込めて「すまない、つい」と口にして、口元を覆った。
そんなゼロがあまりにも可愛くて、さらに構いたくなったが、ゼロだけをかまったことがいけなかったのか、ツェーンの何とも言えない視線が背中に刺さる。
「何だ、ツェーンもかまってほしいのか…………って、ひぁっ!?」
「旦那の胸、ぷっくりしてるんだぞ」
「おい、下種、貴様――ッ!?」
油断した。
後ろからスッと伸びてきた小さな手が、俺の両胸を掴んで引っ張ったのだ。いきなりのこともあったし、何よりも敏感な場所であったため、俺は飛び跳ねるように身体をそらせた。そういえば、自分の弱点をさらけ出している状態だったと思い出し、俺はツェーンの手を振りほどいて、両手で胸を隠す。ゼロにも散々弄られていたそこは、もうぷっくりどころの騒ぎじゃなくなっていた。この世界の絆創膏に似たものを胸に貼っておかないと、バレてしまうくらいにはピンとなっている。普段は陥没しているものの、あまりのぷっくり具合に皆そこに目が行ってしまうだろう。
ツェーンがそんなことをするものだから、ゼロは剣を抜く勢いでツェーンをつまみ上げて、持ってきていた縦長のタオルでツェーンの手を縛り上げた。
「ラーシェ大丈夫か」
「だ、大丈夫。びっくりしただけだし」
「俺以外に胸を見せるな。俺のものなのに」
「いや、お前の胸じゃねえからな!? 俺についてる、俺の乳首だからな!?」
何で、さも自分のものであるかのように主張するのだろうか。こいつのせいで、こんなぷっくりしているから、こいつに育てられたと言えばそうなのだが。
ゼロは、絶対にダメだ、というように、必要もないのにピンと俺の胸を指の先端ではじく。俺はその刺激に耐えられなくなってまた、喘いでしまい、その声が風呂中に響き渡る。
恥をかいた。恥ずかしすぎる。俺は、湯ぶねに顔がつかるくらい潜り込んで、ツェーンとゼロを見た。ゼロは、ふんと鼻を鳴らして、自分は悪くないように俺を見た後、ツェーンを担ぎ上げた。ツェーンは「や~だ~」と、まったく危機感のない声を上げて楽しんでいた。
「とりあえず、こいつを部屋に閉じ込めてきてから戻る。のぼせるのなら上がってもいいが、ラーシェ……その気があるのなら、一緒に入っても、いいか」
「何だよそれ。入りたいの間違いだろ? いいぜ、待っててやるから戻ってこいよ。ゼロ」
「ああ…………」
正直、こいつが帰ってきたら何をされるかなんてわかっていた。それでも、俺は分かったうえで了解し、風呂場をいったん出ていくゼロを見送った。
また風呂場には静寂が戻って俺は息を吐く。熱を含んだため息は地面に落ちることなく消えていく。
嵐のようなやつらだった。いつもだけど。
そんなことを考えながら、俺はお湯をすくい上げて手から落ちていくそのさまを眺めていた。
この後、たてなくなるほどゼロとヤルことになるなんて、思いもしていなかったが、それは別の話だ。