テラーノベル
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空高らかにして涼やかな秋の昼下がり、実りの豊かな香りを運ぶ風が街の大通りを吹き抜けていく。
行き交う人々は襟を閉め、厄介ごとに巻き込まれまいと通りの一方の端を歩く。そのもう一方の端で大男が大きな扉を激しく叩いているからだ。苛立ちを示し、出迎えを催促する。扉の向こうからは沢山の子供たちのはしゃぐ声が聞こえ、扉を叩く音が聞こえていないのかもしれない、と懸念するのも無理からぬことだった。
装い細やかで樫の大扉に相応しいその立派な建物は孤児院だが元は醸造所である。醸造所でよく目にする意匠化された妖精除けのおまじないが扉に刻まれ、孤児院でよく目にする妖精除けの枝輪のおまじないも扉に吊るされている。敷地は広く、同様の建物が三棟はあり、幾つかの倉庫が建つ中庭に裏庭もある。
大男は暴漢に対応できる程度には武装していて、同様の装備の大男がもう一人。そして細身の男がその二人の間で居丈高に腕を組み、扉が開くのを待っている。
細身の男は顔も細く、代わりに太くまとめた髭を生やしている。その臙脂色の帽子と徽章付きの伝統的な肩掛けから徴税人だと分かる。二人の大男は護衛だ。
長らく封印されていた岩戸が重々しく開くように、ようやく開いた扉から出てきた男は名を光り輝く信仰。孤児院の主だ。
もう若くはないが、まだ髪に白の混じらない男。孤児院の院長であり、幼い者たちに何より信頼される、父親代わりの男だ。
開いた扉の奥で妖精にも劣らぬ悪戯好きの子供たちが不安そうな目で、今にも涙を零しそうな目で徴税人たちを見ている。カダラーフがそれに気付き、子供たちを優しく追い払う。
「これはこれは珍しいお客様で」カダラーフが失礼にならない程度に顔に疑問を浮かべる。「徴税人様がいったい、この太陽の家に何の御用で?」
「何の御用で?」徴税人は眉と唇をひん曲げて睨みつけ、あからさまに不快を示す。「徴税人が野菜を売りに来たとでも思うか? 我々は、常に、善良なる人々の砦たる国家の運営のため、収税し、あるいは収税を拒む者をひっ捕らえることを使命とし、市民の代理人たる議員にこの職を任命されている。私が何をしに来たのか、心当たりはないかね?」
「いえ、ただ、うちは全て寄付で賄っておりますので。直接、もしくは神殿を通じて得た金銭は全て運営資金のみに使われております。もちろん法に則った正式な手続きを踏まえたもので、税の一切は免除されて――」
徴税人は何も言わずにカダラーフの言葉を手で制する。
その意味を捉えかねた様子のカダラーフは手のひらを見つめるばかりなので、徴税人は口を開く。
「我々は納税者の言葉に耳を傾けたりはしない。ただ帳簿に記されたる数字を検めるのみ」
カダラーフは冷たく鋭い顔の徴税人を見、後ろに控える護衛二人の厳めしい顔を見、処刑人を前にした時のような表情で再び徴税人を見る。
「帳簿は半年に一度――それが法ですので――欠かさず提出して――」
「出せないのであれば次の手続きへ進むが?」そう言って徴税人は護衛の方をちらりと見た。
「いえ、もちろん。出せます。帳簿ですね。こちらへどうぞ。事務室があります。と、その前にお名前を伺っても?」
出しかけた足を止めて徴税人は答える。「助言者だ」
「では、徴税人様。どうぞよろしくお願いします」差し出された手をドルノルは無視する。カダラーフは護衛の二人にも目線を向けるがこれも無視された。「さあ、こちらへどうぞ」
一昔前の石造り。梁が剥き出しで高い屋根裏がよく見える。古い醸造所を改装して造られた孤児院は広く、だが呆れかえるほどたくさんの子供たちにとっては手狭な場所だった。かつては山ほどの甘い葡萄が運び込まれた部屋にも、圧搾所跡のある中庭にも子供が行き交っていて、人のいない場所がない。かつては酒気が担っていた魔除けの役割を今では子供たちの甲高い笑い声が請け負っている。
「ずいぶん子供が多いな」とドルノルは呟く。
問うたわけではないがカダラーフは答える。「戦災孤児です。幾許かの財産を受け継いでいても子供だけでは生きていけませんから。もちろんその遺産は税の対象になるようなものではなく――」
ドルノルは、今度は言葉で言葉を制する。「カダラーフ君。私は別に孤児院をどうこうしようという訳ではないのだよ。仮に、仮にだが、君が脱税やそれに準ずる行為をしていたところで、ただ君が裁かれるだけだ。そうだとしても寄付が無くなったり、他の職員が出て行ったりするわけではあるまい? ただ誰かが君の代わりをするだけだ。そうだろう?」
「つまり私が、私が疑われているのですね?」歩を緩めることなく、ドルノルたちに背を向けたままカダラーフは尋ねる。
「いやいや、言葉の綾だよ、カダラーフ君。君は寄付で孤児院が運営されていると言うね。寄付。確かに立派な行為だ。我が国の公徳心溢れる市民には頭が下がるばかり。だが一方で脱税の温床にもなっていてね。まこと、善意は悪意の隠れ蓑になるものだ」
「うちでは決してそのようなことはありません。一体何をお疑いになっているのか、分かりかねますが」
もっとも疑わしい点は慈善事業にしては大きすぎる規模だ。子供たちの数もそうだが、寄付金額が度を越している。
しかしドルノルは何も言わない。ただ帳簿に記載された数字のみを、だ。
「ここです」と言ってカダラーフが事務室の扉の取っ手に手をかけようとするとドルノルが先回りする。
「おっと、君はここまでだ、カダラーフ君。もちろん、望むなら扉を開け放したまま監視してもらっても結構だ。しかし部屋に入るのは禁ずる」そう言ってドルノルは扉を開けると中で事務仕事をしていた女性職員にも声をかける。「さあ、君もだ。手を止めて。部屋から出たまえ」
助けを求めるような女性職員の視線をカダラーフが受け止め、言うとおりにするようにと視線を送り返していた。
「二人とも彼の目の届かない所へは行かないでくれ」そう言って護衛の一人を指し示す。「他に職員は?」
「今日は私と彼女の二人だけです」とカダラーフは答える。
「二人? ずいぶん少ないな。まあいい。どうしてもという仕事があるなら彼を連れて行くように。そしてその場合全員で行動すること。要するに疑われるようなことはしないで欲しい」
護衛とカダラーフ、女性職員を置いて、ドルノルともう一人の護衛が部屋へと入る。そちらの護衛は助手でもあるのだった。
元が何の部屋に使われていたのかは分からない。変わらず事務室だったのかもしれない。備え付けの本棚に書き机が三台。何も飾られていない花瓶が一つ。
カダラーフたちが護衛を連れ立って仕事に戻り、ドルノルたちも仕事を始める。
「何か気づいたことはあるか?」
ドルノルは護衛であり助手の一人長子に尋ねる。
「そうですねえ」ネックスは事務所を眺める。「手入れが行き届いている建物ですが羽振りが良いというほどではありませんね。そういえば来る途中に子供たちが食事をしている広間を見かけました。麺麭に芋粥に塩漬けの野菜。貧相というほどでもない庶民の食事です。しかし子供の数が数ですから大量の寄付金があったとしてもそう贅沢はできないでしょう。それと……」
言い淀むネックスをドルノルは促す。「なんだね?」
「いえ、子供たちはいくつかの机に分かれて座っていたのですが、その机ごとに微妙に食事内容が違っていました。量も質もほとんど変わらないのですが、麺麭や野菜の種類だとかそういう些細なことです」
「ふむ、机ごとに? 確かに奇妙だ」
奇妙だが、奇妙以上のことはまだ分からない。
ドルノルは帳簿を開く。提出されているものと相違ないことを確認する。寄付者の方も違和感はない。錚々たる顔ぶれだがそうでなければ寄付金の説明ができない。名だたる貴族や富豪の名が並んでいる。それに徴税人として疑いをかけたことのない人物たちだ。
何もないのならそれが一番だが、ドルノルの徴税人としての直感が外れたことはない。この孤児院太陽の家について知った時も、ここへ来てからも小さな棘に触れているような違和感があった。徴税人としての使命感をくすぐり、使命を果たさねばという焦燥感があった。
人に恨みを買う職業ではあるが、ドルノル自身は天職だと信じている。中には必要以上に収税し、己の懐を膨らませる者もいるが、ドルノルに限っては一度たりとも不正を行ったことがなく、数多くの税逃れを見破り、正してきた。
ふと開かれた窓の外を見ると中庭があり、黄金を発掘してはしゃぐ小人たちのように子供たちが駆け回って遊んでいる。その時、ドルノルは違和感の一つを具体的に認識した。
窓の外にいる子供たちも、この事務室に来るまでに見かけた子供たちも、全員が同年代だ。十歳前後といったところだろう。偶然でないなら何かしらの選別を受けているということになる。
「子供たちの名簿はあるか?」
名簿の内容は詳細だった。家庭事情、引き取ることになった理由、引き取ってからの成長具合、食べ物の好き嫌いから勉強や運動の得意不得意、心身の健康状態まで。そして子供一人一人に対して個別に所感が記され、各々の特別な事情にまで配慮された対応方法まで記されている。しかし年齢については記されていなかった。
「逆に職員の名簿はありませんね」とネックスが言う。「ああ、でも分担表がありますね。……というか全部で三人しかいないみたいですよ? これ、おかしくありませんか。二人はかなり優秀な人物であるようですけど、カダラーフ氏に関しては、これ寝る時間あるんですかね」
ドルノルも分担表を確認する。優秀だとしてもたったの三人であれだけの数の子供の面倒を見切れるとは思えない。知られざる魔術を使っているのでもない限り。
やはり何かがおかしい。それも脱税では収まらない何かのようだとドルノルは察する。
「さて、行くか」と言ってドルノルは窓に手をかける。
「院長を待たないんですか? それってつまり……」
「抵抗される可能性がある。何を隠しているのか分からんが。ここは頼んだ」そう言ってドルノルは窓から部屋を出る。
広い敷地だがやましい考えと大金を持っている者の隠し場所など限られている。屋根裏や隠し部屋、あるいは地下室といったところだ。元が醸造所である以上改装して隠し部屋を作れば不自然に見えるだろう。ここには屋根裏もない。
ドルノルは真っ直ぐに裏庭に向かう。確信はないが仕事上の予感が外れたことはない。
伸び放題だが枯れ始めている雑草に覆われた裏庭にはやかましい子供たちもおらず、心なしかうら寂れた墓地のような雰囲気に支配されている。敷地を囲む高い塀に沿って幾つか古びた倉庫が建っていた。
そしてドルノルは迷うそぶりも見せずに倉庫の一つを選んで真っ直ぐに進む。倉庫の周囲を観察すれば雑草の具合から使用頻度を推し量れる。
そして最も使用されているらしい倉庫に入ってみれば地下室への扉があった。特に隠している様子でもない。鍵もかかっていない。疑われるとは思いもよらなかったのか、あるいはばれたところで名高い篤志家たちがもみ消してくれるだろうとでも思っていたのか。
ドルノルは自宅にでも帰ってきたかのように物怖じすることなく黄泉へと通じていないはずの地下へと踏み込む。濃厚な魔法の気配が肌にねばりつく。煮詰めた樹液の沼にでも飛び込んだかのようだ。
倉庫の扉を閉めたのは失敗だった。一歩先すらよく見えない。そう思った矢先、ドルノルを導くように光が灯る。壁に並ぶ簡素な燭台のちっぽけな蝋燭が激しく燃えている。もうばれたのか、あるいは人に反応したのか、ドルノルには分からなかったが引き返しも振り返りもせずに階段を降りた。
階段は平行な通路へと変わり、曲がり、敷地内の方向へと伸びる。行き当たりの扉にはこれまでと違って人を寄せ付けない物々しい雰囲気があった。丁寧に呪文が書き記され、力持つ文様が刻み込まれている。しかしドルノルが扉を開けるのに躊躇う理由はなかった。
そこが何かは一目見て分かる。魔法使いの工房だ。当然届け出のない秘密の工房だ。
孤児院のどの建造物よりも容積の大きな空間に奇妙な器具が並んでいる。圧搾機に貯蔵桶、様々な大きさの樽、瓶。どうやら元々醸造所にあった設備を利用しているらしい。
そして何よりドルノルが気を惹かれたのは、醸造所にあるものではなく、ましてや孤児院にあるべきではないもの。檻だ。
文字通り人々が詰め込まれている。皆一様に十代中盤の男女だ。上で走り回っている子供たちよりも年上の年代だ。塩漬け加工されて出荷を待つ肉のように、意識を失ったまま身じろぎ一つできない檻の中に並べられている。そして檻ごとに札が貼られていた。『狩人』、『衛兵』、『料理人』。様々な職業が記されている。
「その衛兵を使っておけばよかったですね」とカダラーフが言った。「まあ、孤児院に衛兵では目立つでしょうが」
ドルノルは振り返り、扉の前に立っているカダラーフに目をやる。
「ある種の人身売買かね?」
「まあ、そんなところです。どこの業界も優秀な人材を欲していますのでね。適当な子供を急速成長させ、需要のある技術を焼きつけるのですよ。そうすれば世に役立つ良い人生を送ることができますからね」
「かけがえのない子供時代を奪ってか」
「心配はありません。孤児だというのは本当です。人攫いなんてしてませんよ。いずれ死ぬ子供に得難い未来を与えているのです。まさか死んだ方がましだなんて言いませんよね? 徴税人様」
ドルノルは少し考えるようにして周囲を見渡す。
「そうは言わんが、この魔術を議会に引き渡せ。より良い活用方法が見出されるだろう。寄付した連中を見るにいくらかは元々我が国に用立てされていたようだしな」
カダラーフは声を荒げる。「馬鹿言わないでください。それじゃあ私はどうなるんですか。これは私が見つけた魔法だ」
「世の役に立つのだ。光栄に思え。栄誉なことだ」
「栄誉で飯が食えるか」
カダラーフが高らかに指を鳴らす。すると檻の一つが開かれた。『戦士』の檻だ。揃いも揃ってたくましい体の戦士たちが我先にと檻を飛び出し、ドルノルの元へ向かってくる。
今のところただの一つも脱出手段を思いついていなかったドルノルは工房の奥へ奥へと逃げていく。檻の間を通り過ぎ、転がる瓶を飛び越える。しかし孤児たちによって逃げ場のない壁に追い詰められる。優秀な徴税人であることが何の役にも立たない状況だ。それでも最後の最後まで希望を捨てなかったドルノルが目にとめたのは『徴税人』の檻だった。
事務室へ戻ると二人の護衛は無駄話をしていた。妻がどうの、仕事がどうの、あまつさえ税がどうのと。
「あ! ドルノルさん、お疲れ様です」ネックスが居住まいを正して口先で唱えた。「何か見つかりましたか?」
ドルノルは横に首を振る。「いや、何も。外れだ。帰るぞ」
ドルノルは玄関の方へと踵を返す。相変わらず敷地のあちこちから子供たちの声が聞こえる。追いついてきたネックスが耳打ちする。
「ドルノルさん。あれ見てください」ネックスが指したのは中庭で駆け回る子供たちだ。「ちょっと大きくなってません?」
「馬鹿言うな」とドルノルは呆れた様子で返す。「別の子供だろう」
「いやあ、来た時と同じ子供な気がするんですけどねえ」
玄関ではすでにカダラーフが見送りに待ち受けていた。
「手間をとらせてしまったな。申し訳ない」とドルノルは謝る。
「いえ、お気にせず。それが貴方の仕事なのですから」とカダラーフは答える。護衛の二人が先に扉をくぐるとカダラーフはドルノルに耳打ちする。「万事よろしくお願いします。私はまだまだこの生業をやめるつもりはありませんので」
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