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ワンクッション
「驚きましたね。学内にこんな古めかしい建築物があるなんて」
ピックアップトラックの助手席から降りたエーミールが、開口一番にそう言って感嘆の声をあげた。
グルッペンは笑いながら運転席から降りると、蔦の絡まる廃屋敷に足を進める。
「はっはっはっ。築二百年近くは経っているらしいぞ。当時の貴族だか豪商だかの別邸で、かつては校舎だったり学生寮だったりしたとか」
「使われなくなって、どのくらい経ちます?」
「百年近くは経っているんじゃないかな。今のキャンパスから道もないし、車でかなり走らせないと来ることはできないから、まあまず、うっかりでも誰かが迷い込むことはない」
「誰にここを教わりました?」
「用務員のじいさんが、昔に伝聞で聞いたそうだ。じいさんも、詳しい場所は知らなかった。学長どころか、教授陣も誰も知らないらしい」
「なるほど。人知れず誰かを監禁処分するには、うってつけですね。知っているのは、貴方とお仲間のごく一部の方々ですか」
「彼等も私の道案内がなければ、帰ることすらできないだろうな」
「確かに。ここまで来るのに、目印が少なすぎます。周辺も整備されていないから、物好きが衛星写真で探すくらいしか、見つける手立てはないでしょうね」
「目隠しでもしてぐるぐる走り回れば、学内ということすら気付かれない。逢瀬にも使えるぞ」
「貴方を殺して埋めるにも都合が良いですね」
エーミールの肩を抱こうとするグルッペンの手を、エーミールは冷たい微笑を浮かべ邪険に手で払った。
「怖い怖いw」
グルッペンが肩をすくめて笑うと、エーミールもまた含みのある笑顔を浮かべて振り返る。
「わざわざこんな場所を用意した貴方に言われたくありませんね。とっとと用事を済ませましょう」
エーミールがドアノブに手を掛け、重厚な作りのドアノブを引くと、蝶番が大きな音を立てて開かれる。
建物の奥から男の絶叫のような泣き声が聞こえ、廃屋の雰囲気も相まってさながらお化け屋敷の様子ではあったが。
真っ先にグルッペンが異変に気付いた。
「待て、エーミール。様子がおかしい」
「……あの声は」
「……奴等の声ではない。仲間の…声、だ…」
珍しく怒りに顔を歪ませているグルッペンに、それでもただ事ではないと悟ったエーミールは、グルッペンの背中を軽く叩いて走り出した。
「急ごう、グルッペン。案内してくれ」
「ああ。先に行く。付いて来い」
そう言うとグルッペンはエーミールを追い抜いて走り出し、長く続く廊下を声の聞こえる方に向かっていった。
簡素な作りのドアの向こうから、男の泣き叫ぶ声と困惑しつつもなだめる数人の声。
グルッペンとエーミールは互いに顔を見合わせると大きく頷き、グルッペンがドアを開けた。
「大丈夫か、みんな」
「グルッペンさん!」
グルッペンの帰還を待ち望んでいたのだろう、泣き叫ぶ大男の周りにいた男達は、期待の目を一斉にグルッペンに向けた。
「大丈夫だ、ジョージ。私が戻った。ダニー、状況説明を頼む」
グルッペンは大股急ぎ足で泣き叫ぶジョージのそばに寄り、肩を抱く。ジョージのそばに寄り添っていたダニーと呼ばれた男は、グルッペンに説明を始めた。
その様子を背後から見ていたエーミールは、部屋に入って最初にエーミールと目が合った青年に手招きをする。青年は黙って頷き、そっと輪の中を離れると、エーミールと共に静かに部屋を出る。
「今年の首席合格者の、エーミールさんですよね。グルッペンさんとは、お知り合いで?」
「……ちょっとした知人です。ええと……」
「失礼。スティーブと言います。文化人類学科の1年で、ジョージと同じアメフト部です」
差し出されたスティーブの手を取り、エーミールはスティーブと握手を交わした。
「初めまして、スティーブさん。エーミールです、よろしくお願いします。さっそくですが、ジョージさんに何が?」
「実は……、ジョージが人を殺してしまって…」
「!」
エーミールの顔に緊張が走る。
スティーブは、淡々と事の経緯を語り始めた。
グルッペンが用事があると言って出掛けたあと、ジョージ達はフランコ教授一味が逃げたりしないよう、交代で彼等を見張っていた。
とは言っても、フランコ達は椅子に縛り付けてあり、グルッペンが行った『尋問』のせいで、ほぼ廃人手前であった。ゼミ生達が茫然自失となっている中、まだかろうじて正気を保ち、何とか逃亡を計ろうとした者がいた。
他でもない、フランコ教授である。
スポーツ特待生として大学に入ったジョージには、姉がいた。成績優秀者として奨学金を受け取り勉学に勤しむ姉は、ジョージの自慢の姉で憧れだった。
その姉が自殺をしたのは、ジョージの大学入学が決まった次の日だった。
遺書もなく、長いこと原因はわからなかった。深い悲しみを抱きつつ、ジョージはそれでも大学に入った。
姉の自殺の原因を調べているうち、ある集団の影がちらついた。経済学部の学生の一部が、やたらと姉に付きまとっていたらしい。しかし、ジョージの捜査ではこれ以上の進展はできず苦しんでいるときに、ジョージはグルッペンに出会った。グルッペンに姉の事を相談すると、グルッペンは快く捜査を引き受けてくれた。
出てきた捜査結果に、ジョージは愕然とした。
ジョージの姉が、フランコ教授とその一味に搾取され、実績も奪われ、失意のうちに死を選んだことを知った。しばらくして、グルッペンが仇討ちの機会があると言い、フランコ教授拉致計画に乗った。
そして今に至るわけだが、フランコはジョージが一人になった隙を突き、言葉巧みに彼の怒りを操作した。
ジョージの姉を凌辱し隷属させた実行犯の学生に怒りの矛先を向けさせ、ジョージは恵まれた体躯と怒りの力もあって、勢い余ってその学生を殴り殺してしまった。
半ば事故のようなものだが、姉想いの優しき青年にとって、経緯はどうあれ自分が人を殺してしまったことは、相当なショックであった。
フランコ教授は、そんなジョージの心の隙を突いて、彼を責め立てた。
お前は人殺しだ。
人殺しの犯罪者。
それがお前の本性だ。
自分が救われたいばかりに、人殺しをする愚か者め。
だが、今ならお前には、真に救われる方法がひとつだけある。
私を解放しなさい。
さすれば、キミの罪は許されるであろう。
ジョージが幽鬼のようにフラフラとフランコ教授に近付き、縄を外そうとしたところに交代のダニーがやってきた。
異常事態に気付いたダニーは、すぐさまジョージを取り押さえると、大声を上げ救援を求めた。
「……以上が、事の顛末です。すぐさまジョージを別室に連れていき、皆でジョージをなだめていたところに、グルッペンさんと貴方が到着しました」
スティーブの説明を聞き終わったエーミールは、怒りに任せて廊下の壁を強く殴った。古く脆い漆喰が衝撃で割れ、欠片がバラバラと落ちる。
「……あのクソ野郎が……ッ!!」
「エーミールさん?!」
優等生のエーミールが、怒りを露に壁を破壊する様を見て、スティーブは目を丸くして驚いた。エーミールもまた、衝動的に怒りを見せてしまったことに気付くと、努めて冷静を取り戻す。
「……すみません。確かに由々しき事態でしたね。ですが、すぐさまジョージさんを引き離せたのは、僥倖です。彼のことは、グルッペンに任せましょう」
「はい」
冷静に状況を判断できているエーミールに、スティーブは安堵を覚えた。
今のジョージには、グルッペンの言葉しか聞こえない。エーミールの言う通り、ジョージのことはグルッペンに任せた方がいい。
「フランコ教授は、今どこに?」
「まだ食堂です。ジョージが縄をほどこうとしていましたが、上手く外せてないはずです」
「なるほど」
「エーミール!」
エーミールが顎に手を当てて思案に耽っていると、部屋の中からエーミールを呼ぶ声がした。
グルッペンである。
エーミールは考えを邪魔され内心で舌打ちをしたものの、ここにはグルッペンの信奉者しかいない。大人しく彼に従うしかない。
「グルッペンさんが呼んでます。行きましょう」
スティーブに促され、エーミールも彼に続いて部屋に入った。
「エーミール。事情は聞いたな?」
「はい」
「最早、躊躇している時間はない。フランコのところへ行け。スティーブは、エーミールの案内を頼む」
「わかりました」
毅然と返事をするスティーブに対し、エーミールはどこか不満げである。
「場所さえ教えてくれれば、私ひとりで行きます」
「止めろと言ったのはお前自身だぞ、エーミール。スティーブと一緒に行くんだ」
「……わかりました。案内お願いいたします、スティーブさん」
「はい」
エーミールがスティーブに付いて、廊下を早足で進む。
「フランコ達がいる食堂は、もう少し先です」
「ちょっと待っていただいていいですか?スティーブさん。食堂があるということは、調理室や配膳室もありますよね?」
「え?ええ、食堂より少し奥になりますが」
「申し訳ありませんが、先にそちらに案内してください」
「? わかりました」
エーミールに言われるがままに、スティーブは調理室へと足を運んだ。
長い間使われることのなかった調理室は、蜘蛛の巣や虫の死骸などの残骸だらけで、お世辞にも綺麗な場所ではなかった。鍋や皿などが、かつてここで生活していたであろう名残として、ひっそりと残っていた。
土埃が積もったかつての調理室に、エーミールは汚れも厭わず大股で急ぐように入ると、しきりに棚を開けたり引き出しを開けたりし始めた。何が起こっているのかわからないスティーブは、呆気に取られつつも、それでもグルッペンの命令に従い、エーミールを追う。
「エ、エーミールさん…?一体何を……」
「カトラリー、もしくは、使える調理器具を探しています。さすがに純銀製のカラトリーはないでしょうが、利用できるものは少しはあるはずだ」
「利用……?カトラリー…調理器具…?」
スティーブはそこまで呟くと、ハッ何かに気付いた。
「あった!」
エーミールはそう叫ぶと、引き出しの中のナイフとフォークを鷲掴みにする。その手を、スティーブの手が割って入り、押さえた。
「離してください、スティーブさん」
「ダメだ…、エーミールさん。それは……ダメだ……」
「スティーブさん」
震える声ではあったが、それでも制止を呼び掛けるスティーブとは対極に、エーミールはかなり落ち着いた様子を見せていた。だが、エーミールが手にしている道具を見て、スティーブはエーミールこそ狂気に囚われているのではと、不安になる。
「貴方まで…ジョージと同じになってしまったら…、あいつらの…教授の思い通りになってしまう……」
「大丈夫ですよ、スティーブさん」
エーミールはそう言って穏やかな笑みを浮かべると、スティーブの肩をぽんと叩いた。
「相手が心理戦を仕掛けてくるなら、こちらも心理戦で挑みます。ですが、相手はあの男です。ある程度の威圧は必要不可欠です」
「それはそうですが…」
それでも不安そうなスティーブに、エーミールは天使のように慈愛に満ちた笑顔を浮かべ、肩に置かれていた手で慈しむようにスティーブの頬と顎を撫でた。
そのあまりにも魅惑的でどこか妖艶な仕草に、スティーブの背筋に冷たい何かが走るも、それが何なのかはわからない。
「大丈夫です。それに私には、ジョージさんにはなかった『モノ』がありますから」
「なかった……モノ?」
エーミールは笑顔を絶やすことなく、スティーブの顔を撫で続ける。
エーミールの薄茶色の瞳が、スティーブには何故か乳白色の磨かれた大理石のように見え、意識が深く吸い込まれるような感覚に陥った。
「私が食堂への扉を閉めたら、貴方はグルッペンのところへ戻りなさい。案内していただき、感謝します」
スティーブからゆっくりと手を離すと、エーミールは柔和な笑顔を浮かべたまま、スティーブに背を向けた。
スティーブは魂が抜かれたように茫然と立ち尽くし、エーミールがカラトリーをズボンの後ろポケットにしまい、壁にかかっていたカービングフォークを手に取るのを、ただ見ているだけだった。
エーミールが食堂への扉を閉めると、スティーブは音に反応し、我に返った。
まずい。
夢の中から一気に覚めた感覚に、まだ強張る全身を無理矢理動かし、スティーブはグルッペンの元へと走った。
【続く】
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