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巨人の遺跡を前にして、「それで、なんでラミスカがいるの?」とベルニージュが今更不思議そうに尋ねる。
ユカリは不意打ちで混乱させられる。今になってなぜ? という思いが渦巻く。記憶喪失のせいだとしてもどうして本名の方で尋ねられたのか分からない。
「わ、私がクヴラフワにいる理由?」ユカリは恐ろしさを堪えて尋ねる。「それともマローガー領にいる理由? まさか一緒に旅している理由が分からないの?」
「じゃなくて同姓同名のラミスカさんの方だよ」と誤解を解くベルニージュは義母ジニの方を見ていた。
ユカリは安心してため息をつく。すっかり忘れていた。ラミスカと再会し、義母ジニであると判明したのはベルニージュが行方不明になった後のことだ。
ユカリはジニについて説明し、ついでに謎の闇のことやエイカを助ける方法が巨人の遺跡を調べれば分かるかもしれないことを伝える。
「巨人の魔術ね。確かに魔法使いなら誰もがその秘密を解き明かしたがっている。それでカーサも謎の闇の被害者? ふうん」
カーサは一匹ビアーミナ市で留守番だ。
ユカリはベルニージュの青白い顔を覗き込む。「なにか引っかかるの? そういう顔してるけど」
「だってカーサとエイカじゃあ症状が違うでしょ? カーサは触れるし、脱皮すらする。話せるし、魔術だって使える。何より透け透けと名乗ってる。つまり元々は透け透けじゃなかったってこと、二つの意味でね」
確かに、と思ってユカリは遺跡の外観をしげしげと眺めるジニに目を向ける。
「要するにあたしたちはまだまだあの闇について何も知らないってことさ」とジニは自嘲する。「だからここへ来た。それを知るために」
六人は人跡未踏の地に踏み込むべく意を決し、呪いから解放されて復元された巨人の遺跡へと乗り込む。救済機構やライゼン大王国が混乱から立ち直り、また波乱が起きる前に。
遺跡は建材として切り出される前の姿に戻っているが、もともとあったバソル谷の家屋と融合し、めり込んでいることには変わりない。この現象は呪いとは別だということだ。
ベルニージュとジニが率先して古代の呪いや罠を警戒しながら遺跡を探索する。バソル谷の住民が建材に利用するべく何度も立ち入っていたことを考えると警戒しすぎかもしれないが念には念を入れてのことだ。そしてやはり実際に杞憂だった、
同時に光のほとんど差し込まない遺跡内部に魔法の明かりを灯していく。ベルニージュは火を熾し、ジニは神秘的な光の球を漂わせた。そうして照らされた遺跡は外観と同様に苔桃や犬薔薇の木の実のように赤い色合いを浮かび上がらせる。
通路か広間かの区別もつかない空間を進むとさらに大きな空間にたどり着いた。モルド城の敷地くらいはありそうだ。天井も人間の家屋で言えば二、三階建てくらいはある。巨人にとっても大きいものなのか、まではユカリにも推し量れなかった。ウィルカミドの地下墓地の最下層に比べれば狭い方だ。
しかしより複雑な様相を呈している。解呪されてもなお崩れたままの壁や柱のような石材が散らばっている。内装の痕跡かもしれない、とユカリは想像する。壁は机の天板かもしれないし、柱は椅子の脚かもしれない。
周囲の壁には爪で引っ掻いたような文字らしき模様が刻み込まれ、床には十二個の半球の窪みが円に並んでいる。それぞれの窪みから真ん中へと溝が伸び、溝の集まったところには大きな窪みがある。
独りでに飛んだり這ったりしている石材があり、どうやらまだ中は解呪による復元途中のようだ。敵軍の不意打ちを受けて慌てて隊列を組みなおす兵士のように石の欠片が右往左往している。
ベルニージュとジニは早速燃え立つ探究心の赴くまま各々で調査を始める。二人の魔法使いは謎の文字を書き写し、部屋の様子を描き写す。端から見ているだけでも伝わるくらいに二人は熱意を迸らせている。何もかもを吸収しようという貪欲な学生のようにその場で得た知識を頭の中に詰め込んでいる。
ベルニージュが見えない何かに掴まれたかのように足を止め、好奇心の露わになった熱心な眼差しで壁を見上げるのでユカリは様子を窺う。
「どう? あの文字読めるの? 何か分かった? 謎の闇のこと」
「闇はこれから」ベルニージュが壁の一角を指差す。「あそこら辺にそれっぽいことが書いてある。ここはどうやら巨人の魔法の工房みたいだ。他にも収穫がありそうだよ」
そう話すベルニージュの赤い瞳はいつになく純真に輝いていた。
暫くして、魔法に突き動かされる石材はなくなったが、壁にはまだいくつか穴がある。どうやら呪われる以前から完全ではなかったらしい。
ソラマリアは入り口で見張りに立ち、レモニカとグリュエーは双子のように同じ姿で手を繋いで遺跡を巡り、楽しげに言葉を交わしている。ユカリはベルニージュとジニの間に立って聞き耳を立てていた。
「こんな簡単な魔術だとは思いませんでした」とベルニージュは少し気落ちした様子で呟く。「確かに強力な魔術の呪文や儀式が時に拍子抜けするほど容易なことはありますが」
ジニは頷きつつもはっきりと否む。「手続はね。だけど前提条件は少し難度が高いよ」
「何が分かったの?」とユカリは迷子を恐れる子供のように置いて行かれたくなくて尋ねる。
「謎の闇の出し方」とベルニージュがあっさりと説明する。
「ええ!? 分かったの!?」
ベルニージュは頷く。「うん。全部壁に書いてた」
「単純な魔術だけど純粋に技量が求められる。あたしはできるけどね」とジニは得意げに話す。
「ワタシだって余裕でできます」とベルニージュが対抗する。
「私は?」とユカリは恐る恐る訊いた。
ベルニージュとジニは曖昧な笑みを浮かべた。予想していた通りではあるがユカリは苦みを感じたような表情になる。
「でもじゃあこれで問題解決? エイカもカーサも、あと一応チェスタも助かるの?」
それにユカリ自身の心臓も、だ。
「いや、そもそもあの闇が何なのか分からないとね」ベルニージュは悩ましげに壁を眺める。「ここには書いてない。それも隠されているわけではなく、巨人にとっては常識だからわざわざ書いていないって感じだよ」
「一か八か飛び込むって手もあるけど」とジニは楽しそうに笑う。
ユカリは残念そうに首を横に振る。「それはエイカがやりました」
「闇は入り口と書いてありますね」ベルニージュは覚え書きと壁の文字を見比べる。「やはり闇に触れた体の一部は透けたり、覆い隠されたりしているのではなく、どこか別の空間へと移動しているということですね」
ジニも壁の同じ箇所を眺めている。
「うん。ただ、あの語は『梯子』や『道の端』という語義もあるよ」
「巨人たちは闇に触れて移動する空間を隔たりではなく、連なりと捉えていたということですか」
「おそらくね。カーサの体感とも一致する」ジニは腕を組んで過去を探すように宙を見つめる。「なんて言ってたかな。そう、たしか、その場にいるという感覚ではなく、その場に触れているという感覚だそうだよ」
ベルニージュがぐるりと振り返ってユカリに確認する。
「ユカリは何も感じないんだよね? チェスタの体感は聞いたことある?」
急に話を振られてユカリは焦る。「えっと、ない。心臓の鼓動だよね。でも脈はあるけど。チェスタの体感は聞いたことない」
念のために胸と手首に手を当てるが、やはり心臓はなく、しかし血は流れている。死と生に同時に触れているかのような奇妙な感覚だ。
「実は」とジニが語る。「謎の闇に体の一部を消されたという人物に会ったことがあるんだ。その人の体感は完全に消え去っている感覚だった」
「どこのどなたですか?」とベルニージュが尋ねる。
「忘れた」とジニが答える。「旅先で出会った名もなき女さ」
ジニの若い頃の旅については何度も耳にしているユカリも聞いたことのない話だった。
「巨人とかクオル以外にも謎の闇の魔術を会得している人物が世の中にはいるってこと?」とユカリは尋ねる。
「魔法なんて大体そういうもんさ」とジニは答える。「魔法使いは秘密主義者ばかりだからね」
「ジニさんは違うっていうんですか?」とベルニージュが問う。
「こと魔法に関してはね。誰にだって分け与えても構わないよ」
「へえ。変わってますね」とベルニージュは素直に本心を呟く。
ベルニージュに変わり者と称されるなら相当の変わり者なのだろう、とユカリは妙に納得する。
「話を戻しますけど」ベルニージュは覚え書きに視線を落とす。「人によって体感が違うのは、複数の症状があるのか、あるいは段階的なものなのか。今の時点では分からないね。巨人は闇を制御できていたのかな」
「できていなかったのかもしれないの?」とユカリは少し驚く。「てっきり巨人は当たり前に利用していたのだと思い込んでいたんだけど」
ジニの説明はそのように聞こえた。
「いくつかの文献にはそう記されているんだよ」とジニは誤解を正す。「ただこの壁に記されている言葉の意味は少し違うみたいだ。より正確に言うと闇自体は通過点に過ぎず、闇の奥で自分自身を制御していたらしい。けど、それがどういうことなのかは分からないね。あと分からない単語があるんだけど、ベルニージュは知ってるかい?」
「どれですか?」ベルニージュはジニの覚え書きを覗き込む。「ああ、これは別の土地でも発見例がありますが、未解読ですね。周囲の文字が読めなくて文意が分からないんですよ。これ、どこに書いてたんですか?」
ジニがため息交じりに苦笑する。
「同じような状況だよ」
ジニに案内されて壁の一角へと移動する。確かにその単語の周りが失われている。
「避けろ!」と怒鳴ったのは入り口で見張りに立つソラマリアだ。
振り返ると何かが矢のように飛んできて、跳び避けたユカリとベルニージュの間を通り、壁に叩きつけられた。さっきまで空いていた穴が飛んできた石材で埋まった。解呪による復元だ。よくよく見れば亀裂まで綺麗に埋まっている。
ユカリは立ち上がりつつほっとため息をつく。「どこかに引っかかってたのかな。でもこれで読める?」
「うん」ベルニージュが読み上げる。「何かは不滅なれど不変にあらず。水のように流れ、氷のように浮かび、水蒸気のように飛ぶ。何だろう。闇は違うし、肉体も違うよね」
「魂じゃない?」とユカリは思いついた。
「魂は液体や固体に喩えないでしょ」とベルニージュが首を捻る。
「でも不滅だよ」とユカリは言い返す。「この世の中で本当に不滅なのは魂だけなんだから」
それは世界をも超える。
ベルニージュは食い下がる。「それに闇が作用するのは魂じゃなくて肉体でしょ? チェスタやカーサの例を見るにむしろ魂はそこにそのままあるみたいだし」
「それはそうだけど」ユカリはそれ以上何も思いつかなかった。
「まあまあ、仮に魂だとしたら、と考えてみようじゃないか」とジニが取り持つ。
ベルニージュはその提案を素直に受け止める。
「魂だとしたら」ベルニージュは覚書を確認する。「闇に触れた肉体は魂の次元に移る。そこにはないがそこに触れている。体感が消えるのは、いわゆる幽体離脱現象? 氷が浮かぶって水に、だよね。魂が魂に。魂の状態変化? まさか。でも、もしも魂だとしたら、……謎の闇は深奥への出入り口ということ?」
「深奥って?」とユカリは尋ねる。
「あれ? 言ってなかったっけ? いや、前に話したよね、深奥のこと」
ベルニージュは忘却という現象など知らないかのように心底不思議そうな顔をする。
「言葉の端々で言ってたような気がするけど、深くは聞いてなかったよ」
「簡単に言えば魂の存在する空間のことだよ。色々な仮説や少し怪しい到達体験談がある。魂は魔法に深く繋がってるから魔導書超えというワタシの野望の通過点なんだよ」
「そこにエイカがいるの? 魂だけ? でも消えたのは肉体もだし」
「そっか。魂以外も存在しているのかもね」ベルニージュは腑に落ちた様子で頷く。「この遺跡も現れるまではそこに存在したのかも。別の空間が重なるように存在して」
ユカリは想像しようとしたがまるで駄目だった。別の世界は別の場所にあるはずだ。