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最終章 わたしが生きる理由
千早の部屋を出たあかりは、いつもより少しゆっくりと歩いて帰った。
空には星がにじんでいた。風が静かに吹いて、どこか遠くで鈴虫が鳴いていた。
耳をすませば、夏の終わりの音が聞こえてくる。
「リスト、全部終わっちゃった」
呟いた言葉に、もう涙はなかった。
日記の中の千早は、まるで今でもそばにいるみたいだった。
怒って、笑って、ふざけて、抱きしめてくれるようなぬくもりが、そこにはあった。
そして、こうも書いていた。
——「あかりには、私のぶんまで幸せになってほしい」って。
その言葉を読んだとき、胸の奥で、何かがほどけた。
あんなに自分を責めていたのに、千早はずっと許してくれていた。
苦しんでいたのは、自分だけだったのかもしれない。
「……死なないで、よかったのかな」
歩きながら見上げた空には、もう花火はない。
でも、あの夜の光は、きっと心の中にずっと残る。
あかりはポケットから、しわくちゃになった“死ぬまでにやることリスト”を取り出す。
折れ曲がった紙の端には、もう何も残っていない。
だけど、不思議とその紙がいとおしかった。
「ねぇ、千早」
夜風に声が溶ける。
「次は、“生きてやりたいことリスト”でも、作ろうかな」
空を見上げながら、あかりは静かに笑った。
深夜のアイスみたいな、ちょっとした幸せを。
知らない駅での発見みたいな、ささやかな冒険を。
キャンドルの火のぬくもりみたいな、あたたかい時間を。
そして——誰かと、また笑い合える未来を。
まだ怖い。
でも、少しずつでいい。泣きながらでもいい。
千早のぶんまで、生きてみたいと思った。
あかりはその紙を、新しいノートに挟んだ。
「またね、千早。きっと、いつか夢に出てきてよね」
帰り道、どこからか風鈴の音が聞こえた。
それはまるで、小さな鈴の音——千早が最後に残してくれた、優しい風のようだった。
(完)