“囁き鳥の止まり木亭”に戻ってみれば、既に一階の広間には夕食を食べに来た客で溢れかえっていた。
「あっ!ノア姉チャン!おかえりーっ!今日は遅かったんだな!」
「ただいま、シンシア。空いている席はあるかな?」
「おぅ!空いてる席まだあるぞ!こっち来てー!」
良かった。夕食をしばらくお預けにされるようなことは無さそうだ。シンシアに手を引かれながら、空いている席に案内してもらう。
さて、ジェシカとは話ができそうだろうか?
案内された席に着いていつものようにハン・バガーセットをシンシアに注文して、その後姿を見送っていると、ジェシカが私の元まで来てくれた。
「ノアさん、お帰りなさい。聞いたわよ。派手に活躍したそうじゃない」
「ただいま。耳が早いね、ジェシカ。その話は夕食を食べに来た冒険者達から聞いたのかな?」
「正解。来る人みんなノアさんのことを話していたわ。人気者ね?」
なんだろう。茶化されているような気がする。
依頼をこなすのを控えると言った昨日の今日でこれだからな。これではあまり活動するつもりが無いと言っても、説得力が無いのだ。からかわれるのも当然か。
「人気者、ねぇ…。まぁ、心当たりが無いこともないかな?」
「いきなり大勢の汚れと臭いを落として綺麗にするし、冒険者にとっては是非持っておきたい本を格安で2冊も提供。そのうえ危険な状況に陥ってる人達を依頼を受けずに全員無事に助けてしまう。厳しく叱りつけたりはするけど、なんだかんだで世話を焼いてくれておまけに凄い美人。人気が出ないわけが無いわよねぇ?」
「ふぅ…。正直とてもむず痒いよ…。だが、この感覚にも慣れる必要があるんだろうね。今日、商業ギルドの依頼を受けている時に[慣れてしまえばどうということは無い]と助言されたよ」
本当に、出来る事なら早いところ慣れてしまいたいものだな。このむず痒さは不愉快では無いものの、どうにも落ち着かない。
っと、そんなことよりも、だ。折角ジェシカの方から私に話しかけてくれたのだ。彼女の予定を聞いておこう。
「ところでジェシカ。明後日か明々後日、仕事が休みだったりしないかな?」
「あら?誰かから聞いたの?ええ、その日は仕事もお休みよ。普段あんまり構ってあげられてないから、シンシアのことを見てあげようと思ってるわ。それがどうかしたの?」
「冒険者ギルドの受付嬢のエリィとは幼馴染だと聞いてね。良ければジェシカが普段勤めている店で食事をしないかって話をしたんだ。それで、ジェシカも休みだったのならジェシカも誘おう、という話になってね」
「えっ!?って、あーそっかぁ…図書館に行ってたからエレ姉さんのことは知ってるとは思ったけど、そっかぁ…。ノアさんの話してた受付嬢ってエリィのことだったのね…。い、い一応聞くけど、エリィやエレ姉さんから、そのぉ、ヘ、ヘンなこととか、聞かなかった?」
「貴方達が幼馴染でシンシアやエレノアともお互いに仲が良い、ということぐらいかな?良ければ貴女達の幼いころの話も聞いてみたいね」
私がエリィと知り合いだと知ると、急に動揺しだしたな。
小さい頃はわんぱくだったという話は、あまり知られたくは無いのだろう。
仮に幼い頃はエリィと共にエレノアに怒られていたことを話した場合、相当慌てふためいていたに違いない。
そうだな。
どうせならジェシカだけじゃなくてシンシアは勿論、都合が合うのならエレノアも誘ってみるのも良いかもしれないな。
「え、ええっと、そ、そうね。い、良いんじゃないかしら!?で、でも、私とエリィだけっていうのもちょっとシンシアが可哀想ね」
「その点は心配いらないよ。勿論、シンシアもエレノアも誘うとも。それに金銭的な心配もしなくて良い。今日の依頼の報酬でたんまりと稼がせてもらったからね。例え一品で金貨を使う事になったとしても支払って見せるさ」
「ノアさんったら、そんな料理、王族でも滅多に食べられるようなものじゃないわよ?まぁ、良いわ。シンシアなら喜んでついて来るでしょうし、後はエレ姉さんね。決まったら教えてくれるかしら?」
「そうさせてもらうよ。おや、注文した料理が来たようだね」
「それじゃ、そろそろ接客に戻るわね。ごゆっくり」
シンシアが来るのと同じタイミングでジェシカが接客の仕事に戻って行った。
小声でエリィを見張るだのなんだのと言っているが、おそらく自分の恥ずかしいと思っている過去の話をさせないように牽制するつもりだろう。当日は賑やかなことになりそうだ。
さて、シンシアにも先程のことを話すとしよう。
「ノア姉チャン、お待たせー!さっきはジェシー姉と何話してたのー?」
「ありがとう。明後日か明々後日に冒険者ギルドで働いているエリィと一緒にジェシカが働いている店で食事をしようという話になってね。ジェシカも一緒にどうなって話をしたんだ。シンシア、君もどう?」
「えっ!?オレも一緒で良いのっ!?」
「勿論さ。それに、エレノアも誘おうと思っているよ」
「エリィ姉だけじゃなくてエレ姉もっ!?ホントにっ!?絶対行くぅっ!」
エレノアの予定はまだ聞いていないから分からないが、これで三人は確定だな。それにしても凄い喜びようだな。
だが、この娘からしたら小さい頃に可愛がってくれたであろう女性と久しぶりに会話をするどころか一緒に食事もできるのだ。盛大に喜ぶのも頷ける。
「エレノアの予定はまだ確認できていないから、この後聞こうと思っているよ。少なくとも、ジェシカとエリィとは一緒に食事ができるよ」
「やったあああっ!!ノア姉チャン、ありがとうっ!!」
満面の笑みで喜ぶシンシアが愛おしく思えて、気付けばつい頭を撫でてしまっていた。
いかんな。シンシアも仕事中だというのに、これでは邪魔になってしまう。明日の予定を少し話したら仕事に戻らせてあげよう。
「シンシア、待たせたね。明日は特に依頼を受ける予定は無いから魔力のことを教えてあげられると思うよ。一昨日と同じぐらいの時間に噴水前にいればいいかな?」
「うん!それでいいぜ!えへへっ、ノア姉チャン、明日もしっかり起こしてやるからな!魔力のこともだけど、冒険者の話も聞かせてくれよ!?」
そう言ってシンシアも仕事に戻って行った。
この後はユージェンの所に行かないとならないし、エレノアの予定を聞く必要もある。食事に夢中になって時間を忘れてしまわないように今日の夕食は程々にしておくとしよう。
夕食を終えて図書館へと入れば、いつものようにエレノアが受付カウンターに腰かけているのが目に入った。
「こんばんは、エレノア。今、少しいいかな?」
「あらノアさん、こんばんは。大丈夫よ。何かしら?」
ユージェンとの約束の時間まであと2時間近くある。エレノアを食事に誘った後は、図書館の本をひとしきり複製してしまおうと思ったのだ。鐘の音を聞き逃さないようにしないとな。
ギルド証をエレノアに渡しながら彼女の休日について尋ねることにした。
「エレノアは明後日か明々後日に休みは入っていないかな?エリィやジェシカ、シンシアと一緒に食事をしようと思ってね。4人共仲がいいみたいだから貴女も誘おうと思ったんだ。エリィが言うには結構な高級店らしいけど、金銭の心配はしなくて良いよ。私が払うから」
「あら嬉しい。ええ、大丈夫よ。明後日、明々後日ね?ええ、館長を締め上げてでも休日をもぎ取らせてもらうわ。ふふっ。そっかぁ、久しぶりにシンシアちゃんとまともにお話できるのね?楽しみだわ」
何やら不穏なことを言っていないだろうか?
エリィやジェシカはどうやらエレノアに頭が上がらないようだし、落ち着いていて、知的な雰囲気を醸し出しているが、もしかしたら私が思っている以上に彼女は苛烈な女性かもしれない。
そしてエリィもそうだったが、エレノアもまたシンシアのことを可愛がっているようだ。
「年長者としては、やっぱりあれぐらいの年の子は愛おしいものなのかな?まぁ、私もあれぐらいの子供は可愛いと思っているのだけどね?」
「それはそうよ。あの娘、普段は男の子みたいな恰好をしているけど、仕事中はそれはもう可愛らしいでしょ?それに、ちょっとせっかちなところはあるけれど、エリィやジェシーみたいに無茶をするような娘じゃないし…。つい、抱きしめて撫でたくなっちゃうのよねぇ」
「それね。凄くよく分かるよ。それに、あの娘は抱きしめると温かいんだ。一度でいいから添い寝してみたい」
「ああ!良いわねぇ!添い寝!そうなの、あの娘とっても温かいのよ!寒い季節なんかに抱きしめさせてもらうと、放したくなくなっちゃうのよねぇ~!」
普段よりもエレノアのテンションが高いな。珍しい光景だ。
さて、このままここでエレノアと談笑をして時間を潰しても良いのだが、図書館の本を複製したいのも私の願望だ。そろそろこの場から離れるとしよう。
「さて、ここに来た目的を果たさないとね。この図書館に蔵書されている本、全て複製しても構わないのだよね?」
「ええ、構わないわ。ただ、ノアさん、此処にある本を全て複製するのならそれ相応の紙が必要になる筈だけど。あてはあるの?」
「全く問題無いよ。それが可能なほどの紙を昨日商業ギルドから卸してもらったからね。ここに蔵書されている本を全て複製しても、多分十分の一も減らないんじゃないかな」
「そ、そんなに…。その大量の紙、今も『格納』に入っているのよね?それに加えて今朝見せてくれたデタラメな速さの複製速度…。本当に訳が分からない規格外っぷりね…。でもまぁ、分かったわ。ご自由にどうぞ」
さて、許可も下りたことだし手早く複製を済ませてしまおうか。
ちなみに、私は紙の使用を節約するつもりは一切ない。なぜならば、私の保有している紙の残りが少なくなった場合、魔法によって紙自体を複製、増量する予定でいるためだ。
昨日依頼を片付けている最中に試しにやってみたのだが、問題無く紙を増やせたので、紙の在庫は一切気にする必要が無くなったのだ。
尤も、悪用するつもりは無く、あくまで自分用に使用するだけだが。
本の複製は全て終わらなかったが、ユージェンに会う時間が近づいてきた。というか、午後9時は図書館の閉館時間でもある。残りの本の複製は明日以降にして冒険者ギルドへと向かうとしよう。
冒険者ギルドへ入ると昨日と同様、直ぐにエリィが出迎えてくれてユージェンの元まで案内してくれた。部屋は相変わらずの査定室だ。
冒険者ギルドにもギルドマスターの執務室があるとは思うのだが、ユージェンはこの部屋が気に入っているのだろうか?
「来てくれたか。済まないね。此方の都合に合わせてしまって」
「相談をしたいから時間を設けて欲しいと言ったのは此方だからね。文句は無いよ。時間を取ってくれただけでもありがたいぐらいさ」
部屋に入れば、相変わらず何かの本を読んでいたようだ。
本の内容が気にならないでも無いが、本題を進めさせてもらうとしよう。
「それにしても、まさか冒険者達の識字率にここまで熱心に考えてくれる人がいるとは思わなかったよ。それも、冒険者として積極的に活動しないと吹聴している人が言うのだから不思議なものだね」
「不思議でも何でもないことだよ。文字の読み書きが出来なければ本が読めないからね。本が読めないということは魔術言語を覚えられなくなる。魔術言語が分からないと魔術が習得できない。魔術が習得できないということは当然『清浄《ピュアリッシング》』が使用できない。『清浄』が使えなければ装備を手入れして汚れや臭いを自力で落とす必要があるし、自分の体や衣服も洗濯することになる。そうなれば段々とそれが億劫になって来て不衛生になっていく。それを防ぎたかったんだ。要するに自分のためだよ」
長々と説明したが、要するには私が臭いのが嫌だから連中に肩を貸すことにしたのだ。
今のところ私がやったことはつまり、清潔な状態にするためにあの連中の背中を押してやっただけに過ぎない。若干、脅すようにして本を押し付けたから、あまり褒められたやり方でもないしな。
「だが、本を渡すだけでなく、その後のことまで考えているんだ。感謝すると同時に驚愕するよ。それで、どうやって冒険者達の識字率を上げるつもりなのかな?」
「いくつか案がある。ただ、そのうちの一つに関しては私は勿論、ユージェンだけで決めて良いことでは無いだろうからね。実現は難しいとも思っている」
「それはまた随分と大規模なことをやろうとしているみたいだね。まずはその案から聞かせてもらおうか」
「”中級”へ昇級をさせるための試験を導入するんだ。ただし、実技試験では無く筆記試験。規定以上の得点を得られなかったものは不合格として、昇級はさせないようにしたら良い」
「いきなりどぎつい案が出てきたな。確かに、それは私の一存で決められるものではないな。しかし、流石に厳しすぎではないか?」
私が考えた案を伝えれば、非常に驚愕した表情で私に説明を求めた。
「さっきも言った通りさ。魔術を使用できるようにするにはまず第1段階として文字の読み書きの習得が必須だ。何故なら、本という記憶媒体を読み取るには、どうしても文字の読み書きが必要になってくるからだ」
「それはその通りだな」
「だったら、冒険者の必須技能としてしまえばいいのさ。いっそのこと、ギルド側から文字の読み書きができるように依頼でも出して、半ば強制的に勉強させてしまえばいい。それが2つ目の案だ。何だったら、常設依頼にしてしまっても良いぐらいだ」
冒険者として活躍したいのなら、ごく一部の例外を除いて魔術は必ず必要になる。たとえパーティを組んで魔術の使用を担当させたとしたら、1人に負担が掛かり過ぎてしまう。不満も直ぐに溜まってしまうだろう。
理想としては『清浄』ぐらいの簡単な魔術は全員が使えるようにしておくべきだ。
まぁ、それはひとまず置いておいて、2つ目の案というのは依頼という名の勉強会だ。
まずギルドが教会やら図書館にあらかじめ授業料のようなものを支払っておき、その金額から報酬として冒険者に依頼の料金を渡す、マッチポンプじみたものだ。
これは一つ目の案と違い、個々のギルドで行うものなので、比較的やりやすいとは思う。
「そして3つ目。この手段は正直あまりやりたくない手段だな」
「貴女がやりたくないというからには、何か危険な手段なのか」
「危険と言えば危険だろうね。コイツを入り口に設置しようと思うんだ」
そう言って今朝の内に考えておいた一つの魔術を作り上げる。この魔術は条件を満たすことによって効果が発動する罠のようなものだ。魔力を込め続ければ、効果を発揮し続けるのだ。
「これは、大地操作系の魔術かな?我々でも容易に使えそうだな」
「うん。効果としては効果範囲に入った汚れや臭いの酷い者が通ろうとした時に、地面から私の尻尾と同じようなモノが生えて汚れや臭いの酷い者を弾き飛ばす効果だ。弾き出し終わったら尻尾のようなモノは地面に帰って行くよ」
「そんな複雑な効果を持った魔術、いつの間に…。これもミネアが見たら喜びそうな魔術だな。改良次第では不審者を防ぐ防犯魔術になる…。それにしても…うん、実に良いな!早速今日の帰りにでもギルドの入り口に施してもらって良いかな!?」
正直、3つ目の案が1番メチャクチャだし、受け入れられないと思っていたのだが、まさかこの案が最も気に入られるとは思ってもみなかった。
「正直なところ、貴女が言う通り1つ目の案は私の一存で決められるものではない。直ぐに実施できるのは2つ目と3つ目の案だけだろうね」
「私としては3つ目の手段がそこまで気に入ってくれたことが意外だよ」
「強引な手段ではあるが、最も分かり易い方法だからね。とても気に入ったよ。まるで[ギルドに入りたければちゃんと身綺麗にしろ]と言っているみたいじゃないか」
「実際そんな感じのことを考えながら作ったからね。それで、どうする?」
私が挙げられる案はこの3つだ。1つ目を除き、実際に扱うかどうかはユージェンに決めてもらうことにしよう。
いや、3つめは帰りにでも早速使用してもらいたかったんだったか。この様子だと2つ目もそのまま採用されそうだな。
「先ほども言ったと通り、3つ目の案の魔術は早速使ってもらうとして、2つ目の案も検討してみるとしよう。1つ目の案に関しても、冒険者ギルド全体を通して採決を取ってみるよ」
「よろしく頼むよ」
「それにしても、貴女はなんだかんだで面倒を見るのだね。この街に残っている冒険達が皆して貴女のことを姐さんと呼んで慕っているのも頷ける」
「ああ、流石にいい加減慣れてきたけど、初めて聞いた時はなんだそれは、と思ってしまったよ」
冒険者達の衛生観念と識字率の話はこれぐらいにしておこうか。
実は、ユージェンにはもう1つ聞いておきたいことがあったのだ。
果たして、答えてくれるだろうか?
「話は変わるのだけど、1つ、この国に関して聞きたいことがあるんだ」
「…あまり機密に関わることは答えられないと言っておくぞ?」
おそらくユージェンだったら答えられる内容だと思うのだ。
聞きたい内容は勿論、例の人工森林と人工鉱床についてだ。