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ティファール
195
#日帝
ティファール
246
みずき(くぅ)
868
戦争が終わった。
けれど、島に残されたものは、あまりにも多かった。
崩れた建物。
焼け焦げた大地。
砲弾によってえぐられた道。
そして、もう二度と故郷へ帰ることのできない人々。
パラオは、静かになった島を歩いていた。
かつて、ここには笑い声があった。
ナイチと一緒に過ごした時間があった。
明日も、その次の日も、当たり前のように続いていくと思っていた日々があった。
けれど、今はもう違う。
風が吹くたび、草木が揺れる。
その音さえ、誰かの声に聞こえることがあった。
「……ナイチ」
小さく名前を呼んでみる。
返事はなかった。
パラオは俯き、しばらくその場に立ち尽くした。
それから、再び歩き始めた。
島の片隅に、いくつもの墓標が並んでいた。
日本兵の墓標。
そして、米軍兵士の墓標。
国も、言葉も、背負っていたものも違う。
彼らは、かつて互いに銃を向け合った。
けれど今、その手に武器はない。
怒鳴り声も、銃声もない。
ただ、静かな風が吹いていた。
パラオは、最初に日本兵の墓標の前で足を止めた。
ゆっくりと膝をつく。
目を閉じ、両手を合わせた。
「……お疲れさまでした」
声が震えた。
「……もう、戦わなくていいんだよ」
返事はない。
それでも、パラオは祈り続けた。
ここで命を落とした人たちにも、きっと帰りたい場所があったのだろう。
もう一度会いたい家族がいたのだろう。
伝えたい言葉があったのだろう。
それでも、その願いは叶わなかった。
「……みんな、帰りたかったよね」
ぽつりと呟く。
「……おうちに、帰りたかったよね……」
目の奥が熱くなった。
パラオは、唇をぎゅっと結んだ。
泣いてはいけないわけではない。
けれど、今は、せめて最後まで祈りたかった。
「……どうか、安らかに眠ってください」
その言葉を残し、パラオは静かに頭を下げた。
次に向かったのは、米軍兵士たちの墓標だった。
パラオは、その前で立ち止まった。
ほんの少しだけ、ためらいがあった。
ここに眠る人たちは、日本兵と戦った人たちだ。
ナイチと同じ時代を生き、もしかしたら、ナイチのいた場所に向かって銃を構えた人たちだったのかもしれない。
パラオには、彼らがどんな人だったのか、わからなかった。
どんな声で笑ったのか。
どんなものが好きだったのか。
どんな未来を夢見ていたのか。
何も知らない。
けれど。
「……あなたたちも」
パラオは、小さく口を開いた。
「……帰りたかったんだよね」
風が吹いた。
墓標のそばに生えた草が、ゆっくりと揺れた。
「……お父さんや、お母さんに会いたかったのかな」
声が、少しずつかすれていく。
「……大切な人が、いたのかな」
パラオは俯いた。
「……ごめんね」
その言葉に、どんな意味が込められていたのか。
自分でも、よくわからなかった。
敵だったことへの謝罪なのか。
救えなかったことへの後悔なのか。
それとも、ただ、命を失ったことが悲しかったのか。
きっと、全部だった。
「……パラオ、あなたたちのこと、何も知らないけど……」
涙が、一粒落ちた。
「……でも、もう、誰にも傷ついてほしくないよ」
小さな手が、ぎゅっと握りしめられる。
「……もう、戦争なんて、なくなればいいのに……」
その願いに答える声はなかった。
それでもパラオは、祈った。
日本兵にも。
米軍兵士にも。
名前の残された人にも。
名前さえ残らなかった人にも。
同じように、手を合わせた。
日が傾き始めていた。
パラオは、二つの墓標の間に立っていた。
どちらにも背を向けず、ただ静かに空を見上げる。
空は、どこまでも広かった。
あんなにも多くの命が失われたのに。
あんなにも多くの人が、二度と帰れなくなったのに。
空は、今日も変わらず青かった。
「……ねえ、ナイチ」
パラオは、誰もいない隣に話しかけた。
「……パラオ、ちゃんとお祈りしたよ」
返事はない。
「日本の兵隊さんにも、アメリカの兵隊さんにも……みんなに」
少しだけ、笑おうとした。
けれど、うまく笑えなかった。
「……これで、よかったのかな」
問いかけは、風に消えた。
パラオは知っていた。
祈ったからといって、死んだ人たちが戻ってくるわけではない。
ごめんなさいと伝えたところで、失われた時間が戻るわけでもない。
ナイチだって、帰ってはこない。
それでも。
それでも、祈らずにはいられなかった。
忘れたくなかった。
敵だったからといって、その人の人生まで否定したくなかった。
味方だったからといって、失われた命を当たり前にしたくなかった。
みんな、誰かにとって大切な人だったはずだから。
「……みんな」
パラオは、両手を胸の前で合わせた。
「……どうか、安らかに眠ってね」
涙が頬を伝った。
「……もう、痛くないように」
風が吹いた。
「……もう、怖くないように」
もう一度、風が吹いた。
「……そして、いつか……」
パラオは、言葉を探した。
「……みんなが、同じ空の下で、笑える日が来ますように」
それは、あまりにも小さな願いだった。
失われた命を取り戻すこともできない。
亡くなった人たちの悲しみを、消すこともできない。
それでも、残された者には、願うことができた。
二度と、同じ悲しみを繰り返さないこと。
誰かの大切な人が、理由もわからないまま命を失うことのない未来。
そして、今日という日を、いつか穏やかに振り返ることのできる世界。
パラオは、ゆっくりと頭を下げた。
「……さようなら」
声は、かすかだった。
けれど、その言葉には、確かな想いが込められていた。
「……どうか、安らかに」
夕暮れの空に、鳥が飛んでいく。
パラオは、その姿を見送った。
そして、もう一度だけ、隣を見た。
そこにナイチはいない。
それでも、パラオは歩き出した。
悲しみを忘れたわけではない。
許せたことばかりでもない。
ただ、亡くなった人たちのために祈ったこの日を、忘れないでいようと思った。
敵も、味方も。
誰かの父であり、母であり、兄であり、弟であり、友人だった人たち。
彼らが生きていたことを。
彼らが帰りたかった場所があったことを。
そして、彼らがもう帰れないということを。
忘れないために。
パラオは、静かに前を向いた。
戦争は終わった。
けれど、亡くなった人たちを想うことに、終わりはなかった。
コメント
1件
戦争が終わっても、心の傷は簡単には癒えないんだなって……パラオちゃんが敵も味方も関係なく、みんなに祈る姿が胸に刺さりました😢💔「帰りたかったよね」って言葉に、言葉にできない悲しみが詰まってて、読んでるこっちまで涙出そうに……。理屈じゃなく、ただ純粋に「もう誰も傷つかないで」って願う気持ちが美しすぎて、静かに響くお話でした。忘れちゃいけないことですね……✨🌙