その勢いで尻餅をついたが、彼女を放さないようにしっかり腕に力を込める。
『どうして邪魔するの!? お父さんのところに行かせてよ!! お父さんのいない世界なんて、どうやって生きていけばいいか分からない!』
彼女の悲痛な声を聞き、俺はすぐに状況を納得した。
――この子も、同類か。
腕の中の少女はまだ幼い。旅館から見た時に中学生ぐらいと判断したが、実際に触れると子供と大差ない華奢な体をしている。
…………いや、待て。腕にムチッと当たるこれは……。
俺は一瞬目を剥いたあと、ソロソロと彼女から両腕を離した。
命は助けたし、いつまでもくっついてる必要はない。万が一疑われて通報されるのは御免だ。
少女は冷えた地面に座り込み、体を震わせて嗚咽する。
頼りないその姿を見て俺は過去の自分を重ねて感情移入し、何とか慰めてやろうと思った。
『……親父さん、亡くなったのか?』
尋ねると、彼女は小さく頷いた。
『つらいよな。俺も小学生の時に母親を亡くした』
ポンポンと頭を撫でると、少女はゆっくり顔を上げて俺の顔を見た。
『……お兄さんも親を亡くしたの?』
〝お兄さん〟と呼ばれて、心の中の何かがグラッと傾いだ。
思いだしてはいけない〝誰か〟の記憶が蘇りそうになり、俺は乱暴に髪を掻き上げる。
『…………あぁ。だから気持ちは理解する』
言いながら、大きな目に涙を溜めた少女を見て『守りたい』と思ってしまった。
――見ず知らずの、初対面の女の子を相手に?
――キモいだろ。しっかりしろ。
『……お父さんのところに行きたい。……私、どうすればいいの……』
少女は弱々しい声で呟き、涙を零す。
母には『困った人がいたら助けるように』と言われていた。
だが篠宮家に引き取られたあとは生きるので精一杯で、他人の面倒なんか見られなかった。
なのにこの少女を前にすると『何とかしてやりたい』という気持ちが沸き起こり、自分でも驚いている。
『…………あのさ、親を失った先輩が言うけど、死ぬのは簡単だ』
俺は冷たいアスファルトの上に胡座をかいたまま、少女にポツポツと語る。
『大切な人はいるか? お母さんは?』
『……いる。…………友達も、少ないけど……』
少女は手で目元を擦り、洟を啜って答える。
『お前がここで飛び降りたら、お母さんはお前の死体と対面するだろう。警察や大勢の人がお前のために動く。そんでちょっとだけニュースになるかもな。小さなニュースになって、やがて人に忘れ去られていく。人の死なんてそんなもんだ』
我ながら、オブラートに包んだ綺麗な言葉が言えない。
死にたいって言ってるやつは、『つらいね、大変だね』と共感してほしいだけの時もあるが、本当に死ぬ奴は何を言っても死ぬ。
優しくしても真実を言っても同じなら、飾らない言葉を口にするのが誠意だ。
そもそも、俺は他人に優しくするのが苦手だ。
小さい頃は愛されて育ったが、今は針のむしろの状態で生活している。そんな奴が他人に優しくできるはずがない。
だから俺にできるのは、つらい現実を教える事だけだ。
夢物語を話し、希望を与えるのは他の人の役割と思っている。
『死後の世界なんて、誰も分からないんだよ。幽霊が出てくるホラー映画も、感動映画も、全部人が作ったものだ。見える人は幽霊を目にするかもしれないが、見えない人には〝かもしれない〟の世界だ。幽霊が見えたとして、生きている人間が死んだらどうなるかなんて分かるはずがない。生まれ変わり? 天国? そんなん、世界中の色んな宗教が混じって、人が都合のいいように解釈したものだ。お前はそんな曖昧なものを信じて死ぬのか?』
少女に語りかけているうちに、かつてすべてに絶望し、何度も死にたいと願った少年時代の俺に説教している心地になった。
彼女は気まずそうに目を逸らし、ボソッと呟く。
『…………やな人』
『やな人で結構。俺はむしろ、夫を亡くして、娘にも先立たれるお前のお母さんのほうが気の毒だよ。子供に死なれた親ほどつらいもんはないぞ』
『……子供いるの?』
『いないけど』
言って、俺はわざと軽薄そうに笑う。そのあと、溜め息をついて真面目な顔をした。
『俺だって、何回死にたいって思ったか分からねぇよ。でも今は、母親をひき殺した犯人に一矢報いられるよう、社会的に力のある男になろうとしてる。いいか? 世の中には人を殺しても、のうのうと生きてる奴がいるんだ』
俺は目の奥に激しい憎しみを宿し、子供相手に言い聞かせる。
『さっきも言ったけど、死ぬなんていつでもできるんだよ』
そう言うと、彼女は唇を引き結び、俺を反抗的に睨んだ。
コメント
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尊さんが助けてくれて良かった....😢 こういう時は 優しい言葉よりも強い言葉の方が伝わるし、刺さるね……
子供だからと言って頑張れとかじゃなくて、対等に話す尊さんだから朱里ちゃんはやな人と言って睨み返したんだよね。生きてやるって思ったと思う。
尊さんが助けてくれて良かったよ。 とにかく、自分から命は絶っちゃダメなんだ。とにかくダメなの。あの世には行けないからね。 尊さん、ありがとう。