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「さすがにそれはありませんよ。あんな激務はごめんです」
どうやら激務らしい。
ますますそんな孤独な攻略対象を癒やす乙女ゲームを所望する。
「……喬人さんが、私に何をしてほしくてこの世界へ送ってくれたのかは分からないけど。全部終わったら、喬人さんと一緒にしばらくこっちの世界でグルメ三昧がしたいな?」
「ええ。喜んで手配しましょう。貴女が食べた物は必ず一緒に食べますから、ちゃんと覚えておいてくださいね」
「きっちりメモしておくことにする」
蕩けるように笑う夫の額へキスをする。
触れるだけのキスだ。
それ以上したら、離したくなくなるから、ぎりぎりの理性で我慢した。
「この空間の維持は、大変なんでしょう? 名残惜しいけど……そろそろ閉じないと駄目だよね」
「……この空間は、貴女が望めば何時でも繋げますよ」
「ありがとう。でもこうやって抱き締めてもらったから、ね。大丈夫だよ。あー、でも。危なくなって咄嗟に呼んじゃったらごめんね?」
「そういうときこそ呼んでください」
夫からのキスは眦に届く。
自然と目を伏せて、その優しい温もりに感じ入る。
「次に会うときは正常な空間で会おうね?」
微苦笑を浮かべる夫の鼻先を軽く噛む。
「ね?」
「……分かりました。緊急時は許してくださいよ?」
「そうならないようにするから!」
離れた温もりが既に恋しい。
それでも私は夫の腕から抜け出る。
「監視、してくれてるのは、続けてほしいな」
「許可がなくても続けますよ?」
「ふふふ。だよね。安心した……念話は今まで通りで問題ない?」
空間を作り出すほどには負担はないだろうけれど。
日常生活に支障が出るほどであれば、控えるつもりだった。
「無問題ですね。この程度であれば、麻莉彩が乙女ゲームの選択肢でちょっと迷う疲労感しか覚えません」
分かりやすい説明に思わず噴き出した。
「もう! 分かった。負担がないなら大丈夫だよね……」
なかなか別れを切り出せない私の気持ちを慮ったのか、夫の姿が静かに何時の間にか忍び寄ってきていた闇の中にとけてゆく。
『二人へ謝罪したあとに、夢で会いに行きますよ』
完全に闇に包まれても念話が届く。
夢で会うのも恐らく、念話同様夫の負担は少なそうだ。
「私も会いたくなったら、夢で会いに行くよ!」
何時でも歓迎しますよ、と返事があって。
視界が元に戻る。
目の前には、フォークが刺さった蕪と大根を重ねてミルフィーユ風にした前菜が鎮座している。
「ん? 主よ。如何した?」
時間経過はなかったパターンらしい。
二人の皿にもまだ前菜が残された状態だった。
「主人に会って謝罪をしていたの」
「そうなんだ! 良かったね!」
いきなり突拍子もない話をしても、まるで疑われない。
それが、時空制御師。
私の愛しい夫。
「二人にも謝罪しに、今夜夢で会いに行くって」
「妾の非も大きかった。わざわざ謝罪に来られることもないんじゃがのぅ……」
「……私と主人の我が儘に付き合わせて、ごめんなさい」
深々と頭を下げれば、二人がおろおろと狼狽える。
店長が楽しげに笑って、話に入ってくれた。
「主の我が儘を聞くのも守護獣の誉れだ。そこは、喜んで! が最良だろうよ」
何か言いかけた二人だったが、私に向かって不承不承頷いてくれた。
「さ。次はスープだぞ。憂いが晴れたなら倍は美味しいと思う。堪能してくれ」
蕪と大根の食感と野菜本来の甘みに加えて、植物系油の甘みまでをも堪能しきると、中央に凹みがあるスープ皿が運ばれてくる。
「スカイビーンズのポタージュじゃ。上に乗っているのはスカイビーンズの葉じゃが、面白い形をしておるじゃろ?」
鮮やかな緑一色をしたスープの上に、典型的な雲の形をした葉が一枚浮かんでいる。
実と葉がなっている本来の姿を想像すると、おかしくて可愛らしい。
「スカイビーンズの塩ゆでは食べたことがあったが、葉は初めてじゃ」
「あ! 味はビーンズの薄い感じ」
甘みとほんの少しの青臭さが、実に野菜らしい。
異世界食材は料理されると、向こうの世界の食材とあまり変わらない印象を受ける。
採取の依頼などを受けて、食材そのものを見た方が異世界気分をよりリアルに体感できるような気がした。
「さぁ、まだまだわしのスペシャルフルコースは続くぞ!」
店長の言葉通りに、お忍びで王族も足を伸ばすというフルコースを満喫する。
魚料理は、彩絲が絶賛するブラックサモンのムニエル。
真っ黒い鮭の切り身は、話に聞いていても衝撃を受けた。
味は食べ慣れた高級鮭で、たっぷり脂の乗った身がすっと口の中にとろけていく食べやすさだった。
喉を通るときまで鮭の香りが残っているのを考えると、向こうの世界の物より美味な気もする。
魚料理用にと少なめに出された白ワインは、フルーティーでさっぱりと口腔に残っていた魚油を綺麗に流してくれた。
口直しのソルベは、食前酒と同じスイーティーモーレンのシャーベット。
刻んだ皮は綺麗な青色で驚かされる。
味は酸っぱさの弱いレモンが近い。
肉料理は、まるうしのステーキ。
綺麗な真円の肉が分厚く切られて、ミディアムレアに焼かれて出てきた。
生きている牛が見てみたい。
味は和牛のA5ランクのやわらかさ。
脂っこくないので、結構な量のステーキがあっという間に腹の中へと消えてしまった。
ソースはなく、ピンク色の岩塩を細かく砕いたものが、皿の端にちょこんと乗っていたのみ。
せっかくなので使ってみたが、まろやかな甘みも感じる塩だった。
肉料理用にとこれも少なめに出された赤ワインは、スモーキーで濃厚。
肉が思いの外さっぱりしていたので、ワインの重みが実感できた。
渋さがないスモーキーさは、経験がなくて不思議な風合いだったが、美味しいのには間違いなかった。
サラダは、透き通ったガラスの皿に小ぶりサイズで出てきた。
ドレッシングは、鉄板のフレンチドレッシング系。
緑しか見えないサラダだったが、判別できただけでも十種類の野菜が使われている。
ここまでの数はなかなか使われない。
味的にみれば癖のある野菜は少なかったが、一種類ハートの形をしている野菜がとても気になった。
これもなっているところが見てみたい。
チーズは……こちらの世界的には、ズーチーは……フロッグズーチー。
つまりは、蛙のチーズだった。
爬虫類から、どうやってチーズ? と思ったら、蛙肉に当たる部分が蛙チーズになっているらしい。
ぱかりと腹を割るとチーズがみっしり詰まっている、異世界らしい蛙というかチーズだ。
少し赤みがかっていて血の色を思わせたが、スプーンで掬って食べたそれは、ウォッシュチーズの癖がないタイプによく似ていた。
何故かほんのりとワインのような香りが漂っている点も突っ込みどころだった。
デセールには、力が入っていた。
まずは彩絲が所望のゴールデンスッパイダのミニプリン。
レモンチーズケーキのねっとり系。
そんな味だ。
容器が蜘蛛で出てきたらどうしようかと思ったが、花の形の愛らしい器に入ってきたので一安心。
所謂ゲテモノ料理屋さんにいくと、蜘蛛容器で出てきたりもするらしい。
そちらには決して足を向けまいと誓う。
生ピンクピルンの花飾り盛り。
一人一個の大盤振る舞いだったが、果肉の甘さとやわらかさは最高で、手を加えずとも十分だと思える最高級品。
ソースや飾り用の他の果物も添えられなかった潔さに、思わずうんうんと頷いてしまった。
旬の果物は、そのまま食べるのが一番に該当する逸品だ。
キャラメルのアイスクリームにクラッシュナッツ入り。
ナッツはたぶんクルミ。
よく煎ってから粉砕したタイプ。
キャラメルはビターだけど、焦げた感じが鼻につかない程度で、食欲をそそる。
ここにきてそそられても困ってしまうが、デセールを食べ尽くすのに役立ちそうだ。
三種類のクリを使ったモンブラン。
色の濃さが違ったので、たぶんそうだと思う。
味の違いは、それぞれ使っている砂糖の味につられて判断できなかった。
砂糖は、和風砂糖、洋風砂糖、中華風砂糖の三種類。
ザラメの食感を残すモンブラン生地が印象深かった。
モンブランを支える土台はタルト生地。
中に生クリームとチーズクリームとモンブランクリーム。
よく味がぶつからないと感心するほど、違うタイプの味が詰め込まれている。
とても、食べ応えがあった。
デセールを攻略する三人は無言。
店長はデザートワインのグラスに、蜂蜜の味がするワインを注ぎながら、満足げな微笑を浮かべている。
〆はハート型のビター&ホワイトチョコレートと、エスプレッソ。
三人揃って、最高に美味しかったです! と結構大きな声を店長に向けてしまった。
結局、酒代や追加料理の全てを無料にしてもらったお礼にと、夫が収納しておいてくれたアイテムの中から希少食材を出せば、またしても三人分の無料フルコース招待券をもらってしまうという素敵なオチまでついた、最高のディナーだった。