現実は非情なもので、ヒルデガルドの願いを叶えてくれることはなかった。むしろ状況は悪化したと言えるだろう。なにしろプリスコット伯爵に意中の人がいるなどといったうわさは、首都でも有名だ。その相手らしい女性と話しているのだと分かって興味津々に「どんな人物なのだろう?」と寄ってくるのだから。
そんなとき助け舟を出したのがイーリスだ。
「プリスコット卿。実はボクたち、仕事で来ていて、これから説明会があるんです。遅れてしまうと申し訳ないので、行っても構いませんか?」
「えっ! ああ、そうなのか、これは失礼した……」
腕時計を確かめて、アーネストは頭を掻く。引き留め過ぎてしまった、と深く反省しながら彼女たちに「では、のちほどゆっくり」とお辞儀をして送り出す。集まっていた貴族たちの興味も、彼から聞けばいいと風向きを変えた。
「助かった、イーリス。耳が千切れるかと思ったよ」
「うん。ボクたちも実際、忙しいからさ」
あのままではいつまで経っても放してくれなさそうな雰囲気で、飛空艇に来た理由などをぺらぺらと説明されていては、自分たちのうわさはもとより、依頼においては少ないといえどもいくらかの信頼を失うことになってしまう。
ゴールドランクに歴代最速で昇級した冒険者が、その名声にふんぞり返って依頼をなおざりにしたと囁かれるのは胃が痛む。
「皆さんは人気者ですね。俺も驚きましたよ、あの大陸の大槍、プリスコット伯爵と仲が良いとは聞いていましたが……まさか本当だったなんて」
「別に仲が良いわけじゃない。つきまとわれてるだけだ」
世界が平和になる前は、それほどアーネストも彼女に対して情熱的ではなかった。だが、穏やかな日常が取り戻されてからは、執拗なくらいの好意を向けられ、何度断ってもめげずに『俺と結婚してほしい』と伝えることが増えた。ヒルデガルドは興味がなく、家族がいるのは嬉しいが、男女の仲になりたいと思ったことはない。できるかぎり距離を置いてほしいと伝えるも、それは叶わない願いだった。
「私は気侭な人生を歩みたいんだ。誰に縛られることもなく、時間に制限されず、自分らしい在り方で世界と繋がっていたい。好意を向けられるのは嫌ではないし、あいつが必死になるのも悪い事じゃないが……」
少々しつこい。それに尽きる話だった。
「大変だね。経験のないボクには言葉がないよ」
「君は自分の夢と恋愛、どっちが大事だ?」
「うーん……今は自分の夢、かなあ」
「私もそうだ。しかし、それを邪魔する奴がいたら」
「頬を引っ叩いてやるくらいの気持ちでいるよ」
「私は、その感情を殺して何年も経ってるわけだが」
「……流石にしんどいね。聞くだけでゾッとする」
隣でうんうんと聞いていたクレイグも微妙な反応だった。
「実際に会うのは初めてでしたが……相当な変わり者なんですね、彼は。良く言えば一途という奴なんでしょうが、たしかに俺でも困るかもしれません」
「だろ。君は恋人がいたりはしないのか?」
尋ねられて、クレイグは内緒ですよ、とちいさく。
「もうすぐ結婚するんです。深夜にギルドの受付をよくやっているエルマって子なんですが、何か月か前に知り合ってから、意気投合しまして……」
ゴールドランクは収入もそこそこ良い。もともとイルフォードに小さな家を持つクレイグは、それなりに貯金もあるので家庭のためなら新居も探せるくらいで、ギルドの受付であるエルマという女性に生活で心配をかけずに済むと自慢げだ。
「なるほどな。なら、新婚祝いを用意しとかないとな」
「いつ頃になるの? ボクたちも時間を作って挨拶とかしたいね」
クレイグは二人の申し出に嬉しそうな顔をする。
「実は、この仕事が終わったら二週間ほど依頼を受けるのはやめるつもりで、そのあいだに準備を。ですから、たぶん一か月後くらいですね。今から楽しみで仕方がないです。結婚式は大きくせず身内だけ集める予定でしたから、お二人のような信頼できる方であれば、ぜひ紹介させてください」
ギルドに所属してから新たな友人となったクレイグの幸せな話を聞いていると、気付けば説明会場に到着していた。もう既に多くの冒険者が集まっており、「よう、クレイグ。こっち来て話そうぜ」と仲間に誘われて、彼は「じゃあ、あとでまたゆっくり話しましょう」と、ヒルデガルドたちと握手を交わして別れた。
イーリスはにまにまと頬を緩ませている。
「いいなあ、いいなあ。ああいう幸せな話を聞くの」
「君も興味が湧いたのか?」
少し考えて、彼女は首を横に振った。
「ううん、そんなでもないよ。ただ、ああして話を聞くと、こっちも幸せを分けてもらえた気がするんだ。ヒルデガルドはどう、ちっとも感じない?」
「どうだろうな。だが、まあ、たしかに聞いていて気持ちは良い」
清々しい雰囲気で語るクレイグの表情は、兜を着けていても透けて見えるようだった。声の朗らかさは聞き心地が良く、彼の幸せを応援したくなる。
「飛空艇の警備が終わったら、私たちも何か気に入ってもらえそうなものを探してみよう。なんなら魔法薬でも良さそうだ、疲労回復ポーションとか」
「……あれ、もしかしてボクが作る感じ?」
ヒルデガルドは無言で微笑みかけた。