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第三十六話:氷の檻と、鉄の処刑場
「……っ、何これ。急に温度下がりすぎだし! 宿の空調システム、完全にバグってるんだけど!?」
庭園の中央で、カノンが自身のデバイスを激しく叩きながら叫んだ。
先ほどまで雲華の霊池から漂っていた甘い香りは、一瞬にして凍りつき、肺を刺すような極寒の空気へと変貌していた。庭園の草花は、瑞々しい緑を保ったまま白銀の結晶へと変わり、空からは羽毛のような雪ではなく、意志を持った鋭利な氷の礫が、朧月館を拒絶するように降り注ぎ始めた。
「旦那様、気をつけて! これ、ただの天候操作じゃないにゃ! 空間そのものが凍りつこうとしてるにゃ!!」
お凛が毛を逆立て、僕の前に立ちはだかる。だが、異変は冷気だけではなかった。
ギチ、ギチギチッ……という、金属が軋む不快な音が足元から響き渡る。
庭園の土を食い破り、赤黒い錆にまみれた巨大な「鉄の鎖」が、蛇のようにうねりながら這い出してきたのだ。その鎖は、朧月館の白木の柱や屋根に絡みつき、逃げ場を奪うように、そして建物ごと「圧殺」せんとする勢いで締め上げ始めた。
「……来たにゃ。最後の二人が、マジでヤバい気合で来てるにゃ……っ」
お凛の言葉通り、霧の向こうから、二つの絶望的な影が現れた。
凍てつく「沈黙の氷穴」の主・霰。
そして、血と錆の匂いを纏う「鉄錆の処刑場」の主・伊吹。
「あるじ様……。……ずるい。あの子たちだけ、ずるい……」
霰の瞳は、感情を氷の中に閉じ込めたように透き通っていた。彼女が足を踏み出すごとに、周囲の空間から音が消え、ただ死のような静寂と凍結が広がっていく。
「みんな、あの方に温かい光をもらって……救われたような顔をして。……私だけ、ずっと冷たい底に置いていかれるなんて、耐えられない……。そんな世界なら、いっそ全部止まってしまえばいい」
「旦那様、あーあ、ひどいツラしてんじゃん。……あんたを奪い合うのは、もう飽きたんだよ」
伊吹が、巨大な処刑鎌を肩に担ぎ、冷笑を浮かべる。だが、その声は微かに震えていた。
「だったら、いっそあんたを私の鉄の檻に閉じ込めて、一生出られないようにしてやる。……そうすれば、あんたを傷つける女も、あんたを連れ去る奴もいなくなる。……永遠に私だけの、壊れない玩具にしてあげる」
伊吹が鎌を振り下ろすと、数百、数千という鉄鎖が意志を持った猛獣のように僕の四肢へと殺到した。同時に、霰の冷気が僕の足元を地面ごと凍らせ、機動力を奪う。
「ちょ、マジで重すぎ! 二人とも、愛が重すぎて物理的な負荷がかかりまくりだし! このままだと旦那様、マジで押し潰されちゃうんだけど!?」
カノンが、背負っていた大型のバックパック――一晩で改造を重ねた最終決戦用ユニットを展開した。
「旦那様、下がってて! いや、アタシの隣にいて! これがエンジニア・カノン様の最高傑作! 旦那様の霊力とアタシの技術を融合させた、究極のデバッグ・ガジェットだし! 『王の聖域・フルバーストモード』、起動ッ!!」
カノンが僕の手を握り、デバイスのトリガーを引く。
僕の金角から溢れ出した黄金の霊力が、カノンの装置を媒介に、純金色の衝撃波となって全方位に解き放たれた。
その光は、霰が作り出した絶望の氷を一瞬で気化させ、伊吹の鉄鎖を、赤熱させる間もなく黄金の飴細工のようにドロドロに溶かし、無力化していく。
「なっ……!? 私の処刑具が……鉄が、こんなに優しく、溶かされるなんて……っ」
「氷が……私の、孤独が……蒸発していく……。あぁ、熱い……あるじ様、熱いよ……っ!」
二人の女王が、自らの魔力を跡形もなく上書きされた衝撃と、そこに込められたあるじの「熱」に当てられ、その場に膝をついた。
僕はカノンに「ありがとう」と短く告げ、動けなくなった二人のもとへ、ゆっくりと、けれど確かな足取りで歩み寄った。
「霰、伊吹。……最後は、君たちだね」
「……旦那……様……。……怖い……。このまま、みんなと一緒にいられないのが怖い……。私を、その温かい光の中に、入れて……お願い……」
霰が、凍りついた涙を流しながら、僕の衣の裾を掴んだ。その指先は、誰よりも温もりを求めて震えていた。
伊吹もまた、強がっていた「処刑人」の仮面を脱ぎ捨て、錆びついた服を泥と涙で濡らし、子供のようにうずくまっていた。
「君たちは、誰よりも強くて、そして誰よりも、独りになることを恐れていたんだね。……でも、もう大丈夫だ。自分を閉じ込める氷も、他人を拒絶する檻も、僕が全部壊してあげる」
僕は二人の体を、包み込むように抱き寄せた。
僕の金角から放たれる黄金の光が、二人の魂の深淵、暗く冷たい場所にまで浸透していく。
「支配」の象徴であり、彼女たちを永遠に苦しめていた、最後の一対の黄金の『刻印』。
僕が指先でそれに触れ、優しく解き放つイメージを浮かべた瞬間――。
――カランッ、と、鎖が外れるような清らかな音が、隠り世の空に響き渡った。
二人の肌に刻まれていた刻印が、眩い閃光と共に砕け散り、何万もの光の蝶となって舞い上がる。それは夜明けの空へと昇っていき、隠り世全体を黄金色の粒子で満たしていった。
「「――あ、あぁぁぁぁぁぁぁッ!!」」
二人の悲鳴のような絶叫は、やがて甘美な、すべてを許された者の安堵の溜息へと変わった。
氷は解け、鉄は消え、後に残ったのは、ただ一人の男を愛し、その慈愛に触れて号泣する、二人の恋する少女の姿だった。
「……旦那様、マジでモテすぎにも程があるし! これ、マジで宿の増築、エンジニア総動員でも一生終わらないレベルなんだけど!」
カノンがスパナを肩に担ぎ、呆れたように、けれど誇らしげに笑った。
傍らでは、玉藻や紅羽、瑞稀たちが、新しく「家族」となった二人を、複雑ながらも温かい(あるいはライバル視する)眼差しで見つめている。
これで、六人の女王すべてが救済された。
あるじ様を巡る、奪い合いと支配の物語は終わりを告げ、ここからは、誰も見たことのない「共存」という名の、新しくも騒がしい日々が始まる。
「……さあ、みんな。お腹が空いたね。朝ごはんを食べよう。一花、厨房の火加減の調整、頼めるかな?」
「お任せください!皆さんの元気が出るお料理を作りますね!」
カノンが僕の腕をぎゅっと組み、他の女王たちがそれに続こうと一斉に動き出す。
朧月館に満ちる、賑やかで、少しだけ危険な「愛」の気配。
あるじ様の新しい日常は、今、この黄金の朝から幕を開けたのだ。