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「沙羅!!」
白い配達用バンの扉を開けようとした時に、聞き覚えのある声を聞いて沙羅は心臓が飛び出しそうになった
ふりむくと、息を切らせて力がこっちへ走って来る
信じられない!
彼はライブ中じゃないの?
「なにやってるの?力!」
思わず沙羅は力に向かって叫んだ!
「来てくれてありがとう!」
頬を上気させてまるで沙羅が来てくれたことが、嬉しくてたまらないとばかりに瞳を輝かせてこっちを見ている
ダメよ!沙羅!この瞳に騙されないで!
「ステージはどうしたのよ!」
「今は雄介のバンドが繋いでくれているよ!君が出て行くのが見えたから、あわてて飛び出して来た、その・・・一言お礼が言いたくて」
「別に!少しだけでも来いって陽子達がうるさかったし、でも、もう帰るわ!」
車のロック・キーを握りしめたまま、なぜか沙羅の手が止まっている、力は嬉しくなって一歩沙羅の方へ足を向けた
「音々ちゃん美人だね」
チラリと沙羅は力を見て、ツンッと顎を上にあげた
「自慢の娘よ、とても賢くて、優しくて、面白くて、物怖じせずに自分の意見を言うし、なかなかの頑固者、嘘やごまかしは、たちどころに見抜いちゃう、もっとも私はあの子に嘘などついたことないけど」
力が眉をひそめた
「・・・僕だって嘘をつかないよ・・・」
―結婚するって言ったじゃない―
咄嗟に沙羅は頭の中の考えを打ち消した
ああ・・・力を見ているとイライラする、なんならもう一発みぞおちにお見舞いしてやりたい
音々の話を十分にしてもかまわないのだと沙羅が思い始めたのはその頃からだった
力は真剣に娘の事を知りたがっている様に思えた、沙羅が言う音々の事を一言も漏らさないとばかりの真剣なまなざしだった
それから会話は自然に音々の話になった
「将来は科学者になりたいんだって、何の科学者になるのかは迷っているみたい、人体実験、テクロノジー、毎日変わるの、この間は宇宙について研究すると言ってたわ、あらゆる世界があの子を召喚してるみたいよ?」
「へぇ~・・・あの頃の年代はてっきりお姫様とかになりたいんだと思っていた」
力が感心したように言う、沙羅はフッと笑った
「なぜかディズニー・プリンセスには興味を示さなかったわ、『美女と野獣』のアニメを見せたんだけどクライマックスの野獣の呪いが解けて王子様に変身するシーンを見て、あの子ったら一言「野獣の方がよかった」と言ってガッカリしてたのよ、だからやりたいこと全部叶えたら?と私は言ったわ、だって夢はどれか一つだけ選ばなきゃいけない決まりはないでしょう?」
フフフッ
「同感だね!僕もきっと同じことを言ったと思うよ」
音々の事を話して、だらしなく頬が緩むのを必死でこらえた、そして力が近くにある自動販売機を指で示した(何か飲むか?)と聞いているのだ、沙羅はなぜか去りがたくなって大人しく力についていった
今度は力はポケットに小銭を忍ばせていた、こんな片田舎じゃあの恐ろしいブラック・カードよりも現金の方が役に立つことを学んだのだろう、デジタルキャッシュ決算大国の韓国と違って日本はまだまだ現金商売が根強い
二人は自然に缶コーヒーを片手に自動販売機に並んでもたれていた、力と再びこうして二人っきりでいるなんて沙羅は夢にも思っていなかった
人生何があるかわからない、そこから熱心に力は娘の事を聞きたがった
いつの間にか、沙羅はべらべら音々について語り始めていた
赤ちゃんの頃からよく寝る子でとても育てやすかったこと、八カ月で高熱を出して救急車に運ばれた事、赤ちゃんの頃のあの子は何事にも「前ぶれ」がなかったこと、ハイハイしてるかと思えばいきなり立ちあがりスタスタ歩き出して外に出ようとしたものだから、あわてた沙羅が玄関でこけたこと
1歳の市の乳児検診の時に「言葉が遅い」と診断されてとても心配したこと、なのにその検診1週間後、急にマシンガンのようにしゃべりだして、そこから今現在まで音々のマシンガントークは続いている事
保育園でまぶたを蚊に刺されて「お岩さん」のように片目が腫れあがった写真を、力に冗談の一貫で見せたのに、彼は沙羅のスマホの写真を見てかなりショックを受けたようで、本気でこの保育園の衛生管理はどうなっているんだと怒り出したのは沙羅の心を温かくした
「・・・大変だっただろうね・・・一人で妊娠・・・出産なんて・・・」
力は言葉を探しつつ言った
「妊娠がわかったのはかなり月日が経ってからよ・・・情緒が不安定なのも、体重が増えたのも、時々吐き気がするのも自律神経が崩れているんだと思ってた、んで、ようやく病院を受診したの・・・そうしたら妊娠4か月目に入ってると言われたわ・・・」
「それは・・・さぞ驚いただろうね・・・」
気を遣う力にフッと沙羅は微笑んだ
「驚いたなんてものじゃなかったわ、でも・・・ちょうど病院から帰ったその夜・・・初めて胎動を感じたの・・・まだパニック発作を引きずっていた頃だったけど・・・たしかに感じたの、まるであの子に『私を殺さないで』って言われたみたいに感じた・・・そこからこの子が愛しくて・・・愛しくてたまらなくなって、生まれてからは現在まで毎日感動の嵐よ・・・そりゃぁ大変だなと感じる時はあったかもしれないけど、記憶に残ってないわね、そんな事を感じる贅沢はあの子は与えてくれないの」
沙羅は真由美や陽子・・・そして自分を支えてくれている近所の人達の事を思い出した
「でも、今考えると私は恵まれていたのよ、理解してくれる友人もいたし、必要な助けを得られて仕事を続けられたし、今でもお客様や周りの人に本当によくしてもらっているわ、愚痴を言うなんてバチあたりに思えるぐらい」
「そっか・・・」
しばらく二人供黙って夜の森林が風に吹かれる音を聞いた、ライブハウスからくぐもった雄介が吼える声が聞こえる
「その・・・あなたと・・・音々の話が出来て良かったわ・・・」
沙羅がポツリと言った
「私の娘は宇宙一なの、完璧なの、あの子は奇跡よ、でもそれは私にとってだけ、あまりにも私が娘自慢をしすぎると真由美でさえしらけて引いてしまうのに・・・なんだか・・・今日初めて私と同じぐらい一生賢明になって聞いてくれる人がいると思えたわ、あなたはあの子の事何も知らないのに・・・」
ボソッ
「残念だな・・・
最初から僕も傍に居たかった・・・」
じっと沙羅は目を見開いて力を見つめた
「あっ!その・・・これはけっして君を非難しているわけでは無くて、本当に音々ちゃんが可愛いすぎて・・・もっと一緒にいろいろしたいと言うか・・・そのっ・・・違うんだ!もちろん!僕にそんな権利があるだなんて・・・そんな厚かましい事・・・」
力の言葉は最後はしどろもどろと・・・ちから無く途切れた
二人はまた暫く黙って、遠くで聞こえるライブハウスの音漏れに耳を傾けていた
「・・・一つだけ条件を聞いてくれるなら、あの子と過ごす時間をあなたに与えてもいいわ・・・」
「ええっっ!本当?」
沙羅が肩眉を上げて一指し指を力に掲げて睨む
「ただしっ!私の心の準備が出来るまで、まだあの子に父親だなんて言わないで!その時が来るまであなたは私の友達だという事にしておいて!!」
「わかった!」
力が真剣な顔つきで頷いた
「来週の水曜日・・・音々のスイミングスクールの検定試験があるの・・・いつもは陽子にお願いしてるんだけど、私はお店で迎えに行けないから・・・」
そして大きく息を吐いて沙羅は続けた
「もしよかったら・・・あなたが音々を迎えに行ってあげてくれる?」
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・:.。.・:.。.