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「お前また……、なに連れてきてんだ?」
すぐに事態を察した彼は、とにかく店内へ入るよう私に促し、女のほうへ歩みを寄せた。
先方は、電信柱の陰に隠れるようにして、こちらにジッと視線を据えている。
目先の史さんに気づいていないのか、彼女のお目当ては、まだ私のようだ。
そんな状況も、彼が「よお!」と放った一言をきっかけに一変する。
ギョロリと目玉を動かした女は、次いで「おぉ……? おぉぉぉぉ!?」と声を上げた。
どういった情操かは判らない。
見様によっては敵意とも取れるし、見ようと思えば喜悦《きえつ》にも見える。
とにかく、何らかの激情に突き動かされるように、よろよろと歩み出た女は、少しずつ史さんのもとへ躙り寄った。
「なんだコイツ……?」
一方で、ワケも分からず情熱を傾けられた彼は、右手に速やかに神剣を顕し、当面の防備を固めた。
共鉄の柄頭に円環をあしらった、内反りの剣。
石上の社伝によれば、素戔嗚尊が、かの八岐の大蛇を退治した際に、振るった剣とされる。
あれが実物なのか、もしくはレプリカなのか、私には判別のつけようが無い。
ただ、あの剣を目にする度、胸の奥底から滾々と湧いてくる懐かしさのようなものは
「………………」
そこで、はたと思い当たった。
私はかつて、あの剣を手にした史さんを目撃している。
あれはそう、逆立ち女に追われる私たちの前に、彼と琴親さんが現れたあの時。
意識が落ちる間際、私はたしかに、あの剣をとる史さんの姿を目の当たりにしたのだ。
ただ、あれほど綺麗な形じゃなかった。
その剣身は、隅々まで酷い錆びに覆われていたような気がする。
だから今まで、パッと見で判断が付かなかったのか。
あの特徴的な形状だけが、記憶に残っていたのかも知れない。
数年来の疑問が解決したものの、すぐに別の疑問が生じた。
なぜ、今になって思い出した?
あの夏の日からこちら、かの剣を目にする機会は度々あった。
けれど、私の錆びついた記憶は、うんともすんとも言わなかった。
手のひらに、頑なに握ったペンを確認する。
ちょうど、あの頃の出来事を整理している最中だからだろうか?
それに、何だろう?
鼻の奥がツンとする。
「止まれてめぇ! それ以上寄りやがったら」
「おぉぉ………」
怒号を聞いて、店先に意識を向ける。
今にも斬り掛かりそうな史さんのもとへ、ひょろひょろと差し伸べられた女の手が、力なく下を向いた。
「あん?」
「待っとうせ………」
先ほどとは打って変わり、何やら意気消沈している様子だ。
こちらもひとまず剣線を下げた史さんは、わずかに身を乗り出し、静聴の姿勢を示した。
その末に、彼は思ってもみない事を言い出した。
「ちぃ坊、ちょっと来い」
「えぁ……?」
うっかり変な声が出た。
なにを言い出すんだこのヒト。
「この女、お前さんに用があるらしいぜ?」
「それは………」
それは知ってるよ。
どんな用か、考えたくもないけど。
「え? なになに? いや……っ!? ちょ、やだ!」
「暴れんな」
店の奥まで引っ込み、柱にしがみついて狼狽えていたところ、いよいよ業を煮やしたのか、こちらにズカズカと歩み入った史さんが、嫌がる私をむんずと掴まえた。
抵抗も虚しく、外へ連れ出される。
その間、“鬼!”だの“悪魔!”だの、ひどい罵倒を浴びせていたと思う。
程なく、私の身柄は、あろうことか女の鼻先に、吊るし上げる格好で差し出された。
「待っとうせ………」
「いやぁ………」
近くで見て思った。 意外と美人さんだ。
恐怖心が限界を超えて振り切れた所為か、頭の片隅はいたって冷静だった。
「それ、お前さんにやるってよ?」
「ぇや、結構です………。まだ」
先方は、どことなく照れた仕草で、件の品を突き出した。
樽型の、忌まわしい物品。
生憎と、私はまだそれの世話になるつもりは毛頭ない。
「もらっとけよ。 割りかし使えるぞ?」
「いやいや! だってこれ、棺桶……」
「あ? バカ野郎、漬物の樽だ、それ」
「待っとうせ………」
「ん? ほぉ、風呂にも使えるってよ」
「は………?」
意味を理解するのに時間は掛かったが、途端に肩の力が抜けた私は、その場にヘナヘナとへたり込んだ。
「待っとうせ………」
「あ、大丈夫。大丈夫です……」
そんなこちらの身を、どちらかと言えば史さんよりも彼女のほうが、あせあせと案じてくれていたように思う。