テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#❤️💙
みら

19,807
207
64
旅館を出たあと。
阿部と目黒は、元の家へ荷物を取りに戻った。
二人だけではない。
マネージャーと警備の人も一緒だった。
玄関の前に立つと。
阿部は少しだけ足を止めた。
一週間前。
ここで。
女優と話した。
扉の向こうに刃物があった。
夢に来る前の世界では。
この扉を開けてしまった。
胸の奥が。
少しだけざわつく。
目黒が隣を見る。
「あべちゃん?」
阿部は小さく息を吐いた。
「大丈夫」
言ってから。
少し考える。
「……怖いけど、大丈夫」
目黒が笑う。
「うん」
阿部も笑った。
前なら。
最初の一言だけで終わっていた。
今は。
その続きも言える。
目黒が手を差し出す。
阿部はその手を握った。
「入ろ」
「うん」
二人で。
家の中へ入った。
中は。
何も変わっていなかった。
リビング。
ソファ。
ダイニングテーブル。
二人で選んだ家具。
寝室の壁には。
見慣れたものが並んでいる。
阿部がふと立ち止まる。
「……懐かしい」
「数日しか経ってないけどね」
「なんか、もっと前みたい」
目黒も。
「分かる」
と笑った。
夢の中では。
何ヶ月も過ごした。
戻ってきてからも。
一日が長かった。
だから。
この家で普通に暮らしていた頃が。
随分前のことのように感じる。
阿部は寝室の壁を見る。
アンクレット。
婚姻届。
その隣には。
あの日。
二人で書いた紙もまだ飾られていた。
『これから二人でやりたいこと』
阿部は紙へ近づく。
『ずっと一緒にいたい』
『毎日充電する』
『毎日指輪を確認する』
『二人の休みを合わせたい』
『一人で抱え込まない』
『怖い時はちゃんと言う』
『寂しい時は我慢しない』
そして。
途中に。
あの項目もある。
『二人でキスシーンがたくさんある映画に出たい』
阿部の顔が引きつった。
「……これも持っていくの?」
「もちろん」
「そこだけ切っていい?」
「だめ」
「まだ諦めてないの?」
「全然」
阿部は呆れて目黒を見る。
「こんなことあった後でも?」
「だからこそ」
「何がだからこそなの」
目黒が笑う。
阿部も。
結局笑った。
紙を壁から外す。
丁寧に畳んで。
荷物へ入れた。
まだ。
叶っていないことがたくさんある。
だから。
持っていく。
キッチンへ行く。
食器棚を開けると。
そこにも。
思い出が残っていた。
ステンレスのコップ。
淡い色のプラスチックのお皿。
軽くて丈夫な茶碗。
スープカップ。
サラダボウル。
阿部が一つずつ見る。
「これも全部持っていこう」
目黒が笑う。
「全部?」
「全部」
「結構あるよ」
「だって、みんながくれたやつだもん」
左手を怪我した時。
みんなが次々と持ってきた。
割れないものばかり。
心配されすぎて。
阿部が、
「みんな過保護」
と言った日。
最後には岩本から、
『お前が心配かける天才なんだ』
とまで言われた。
思い出して。
阿部が吹き出す。
「何?」
目黒が聞く。
「照の言葉思い出した」
「ああ」
目黒もすぐに分かったらしく笑う。
「心配かける天才」
「もう卒業したから」
「まだ分かんない」
「失礼だな」
「でも前よりは」
目黒は阿部を見る。
「ちゃんと言ってくれるようになった」
阿部は。
少しだけ照れたように笑った。
「努力してるから」
「知ってる」
食器を一つずつ。
箱へ入れていく。
新しい家でも。
また使うために。
リビングへ戻ると。
目黒がテレビを見る。
阿部も。
その視線を追った。
あの日。
二人で作った曲のPVを。
ここで一緒に見た。
公開して。
一分後に。
グループチャットへ、
『サプライズです。』
とだけ送った。
そのあと。
佐久間と康二。
岩本と深澤。
宮舘と渡辺。
最後にラウールまで来た。
誰も約束していなかったのに。
気づけば。
九人全員がこの部屋にいた。
「ここさ」
阿部が言う。
「九人でよく集まったね」
「うん」
「狭かったけど」
「結構ぎゅうぎゅうだった」
「なのにみんな来るんだもん」
「新しい家はもっと広いところにしよ」
阿部が笑う。
「それ前も言ってた」
「今度こそ九人ちゃんと座れるところ」
「普通のソファで?」
「魔王ソファじゃなくてね」
「絶対やだよ、あれ」
二人で笑う。
阿部は。
ゆっくり部屋を見回した。
ここへ引っ越してきた時も。
二人で家具を選んだ。
阿部が欲しかった大きな本棚。
勉強机。
ドレッサー。
遠慮していたものを。
目黒が、
「全部置こう」
と言ってくれた。
ここは。
最初から。
ただの目黒の家ではなかった。
二人で作った。
二人の家だった。
目黒に婚約指輪を渡した朝も。
目黒が左手を何度も見て。
今まで見たことがないくらい嬉しそうに笑っていた。
新曲を初披露した夜も。
目黒が後ろから抱きしめて、
「充電」
と言った。
阿部も初めて。
「俺も充電する」
と言った。
たくさん。
あった。
怖いことだけではない。
この家には。
楽しかったことも。
幸せだったことも。
くだらないことで笑った夜も。
全部ある。
阿部は。
少しだけ目を潤ませながら笑った。
「俺、この家好きだったな」
目黒が静かに答える。
「俺も」
「だから」
阿部は目黒を見る。
「引っ越すの、ちょっと寂しい」
「うん」
「でも」
目黒の手を取る。
「次住む家でも、たくさん思い出作ろうね」
目黒が。
ゆっくり笑った。
「作ろう」
「今度はもっといっぱい」
「うん」
「九人で来ても狭くないくらい」
「そこ重要なんだ」
「重要」
「俺とあべちゃんの家なのに?」
「どうせみんな来るから」
「それはそう」
また。
二人で笑った。
必要な荷物をまとめ終えた頃。
阿部は。
ふと思い出した。
「……あ」
「何?」
「日記」
目黒の表情が。
少しだけ変わる。
昔。
阿部が使っていた日記。
女優に追い詰められていた頃。
誰にも言えなかった気持ちを書いていたもの。
『めめを信じてる。』
『でも、今は一緒にいたくない。』
『もう疲れた。』
『全部忘れたい。』
『しばらく一人で生きたい。』
夢の始まりにも。
つながった日記。
「持っていく?」
目黒が聞く。
阿部は少し考える。
「うん」
そして。
いつもしまっていた場所へ向かった。
引き出しを開ける。
「……あれ?」
ない。
阿部はもう一度。
奥まで確認する。
何もない。
「ここだったよね?」
目黒が聞く。
「うん」
阿部は首を傾げる。
「絶対ここ」
別の引き出し。
本棚。
ベッドの横。
収納。
思い当たる場所を。
二人で少し探した。
でも。
結局。
日記は見つからなかった。
「ないね」
目黒が言う。
「うん」
阿部は。
最初に開けた引き出しをもう一度見る。
魔王の魔法で。
時間が戻ったからなのか。
何か別の理由なのか。
分からない。
夢から持ち帰れたものもある。
消えてしまったものもある。
その違いは。
きっと考えても分からない。
目黒が少し心配そうに聞く。
「もう少し探す?」
阿部は。
しばらく考えてから。
引き出しを閉めた。
「……まあいっか」
目黒が少し驚く。
「いいの?」
「うん」
阿部は笑った。
「書いたことは覚えてるから」
全部忘れたいと思った。
一人になりたかった。
仕事もしたくなかった。
目黒のことを信じていても。
そばにいることすら苦しくなった。
あの時。
本当にそう思っていた。
その気持ちまで。
なかったことにするつもりはない。
でも。
紙がなくても。
自分が覚えている。
それでいい。
阿部はバッグの中を見る。
そこには。
夢から持ち帰った新しいノートが入っている。
『帰ったら、続きを書く。』
その続きを。
もう書き始めている。
「こっちはあるし」
阿部がノートを軽く見せる。
目黒が笑った。
「そっか」
「うん」
阿部はバッグを閉じる。
「昔の日記がなくても」
少しだけ考えて。
「昔の俺がいなくなるわけじゃないしね」
「うん」
「全部俺だから」
夢の中で。
何度も言った言葉。
今は。
自然にそう思える。
荷物を持って。
玄関へ向かう。
阿部は。
最後に一度だけ振り返った。
何もなくなるわけではない。
また荷物を取りに来ることもある。
でも。
ここで二人が暮らすのは。
これで終わり。
阿部は。
目黒の手を握った。
「めめ」
「ん?」
「行こ」
「うん」
玄関を出る。
阿部は自分の手で。
扉を閉めた。
怖かった場所。
幸せだった場所。
二人で暮らした家。
全部。
ここにあった。
でも。
二人の続きは。
ここだけにあるわけじゃない。
阿部は目黒を見る。
「次の家、楽しみだね」
「うん」
「本棚大きいのね」
「分かってる」
「キッチンも」
「広いところ」
「九人入れるリビング」
「それもね」
阿部は笑った。
そして。
二人で。
次に帰る場所へ向かった。
コメント
3件

今晩は⭐️ 一気に読みました。 日記に写真集 なぜに冷蔵庫… 温泉文句言いながら十分楽しんでる。 ゆっくり皆んな前に進んでる 新しく始まる事もある 続き待ってます♪
第64話、読み終えました。家を出るシーン、阿部さんの「この家好きだったな」がじんわり来ましたね。怖い思い出も楽しい思い出も全部ここにあるけれど、続きはこの場所だけじゃないっていう決意が伝わってきました。日記が見つからなかったのに「覚えてるから大丈夫」と笑う強さ、ちゃんと成長を感じられて胸が熱くなりました。二人の新しい場所も楽しみです!