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リフェアリー
128
十三日目の午後、要は、妹の顔を見た。
木曽の村は、谷の底にあった。川沿いに、家が四十軒ほど。山が、両側から迫っている。要は、小学生のころ、夏休みのたびに、ここに来ていた。祖父母の家があった。祖父母はもういない。妹は、大学の休みで、空き家になった祖父母の家に来ていて、そのまま、大剥離に遭った。
村の入口に、ひかりが、立っていた。
誰かが、知らせたのだろう。三人の旅人が、峠を下りてきていると。
要は、足を止めた。
五十メートル。ひかりの顔が、見えた。痩せていた。髪が、伸びていた。でも、ひかりだった。
「……お兄ちゃん」
声が、聞こえた。
妹の声だった。語尾が、少し上がる。「ちゃ」が、少し潰れる。
要は、歩いた。走らなかった。走ると、何かが、壊れる気がした。五十メートルを、歩いた。ひかりも、歩いてきた。真ん中で、止まった。
要は、妹の顔を見た。目の下に、クマがある。唇が、荒れている。左の眉の上に、小さな傷がある。七歳のとき、自転車で転んだ傷だ。
記録では、確かめられない。声では、確かめられない。
顔を見て、傷を見て、手を握った。
温かかった。
「無事だったか」要は言った。
「無事」ひかりは言った。「お兄ちゃんは」
「無事」
それだけだった。それだけで、足りた。
要は、十三日間、歩いた。二百五十キロ。妹の声が本物かどうかを、確かめるために。確かめる方法は、これしかなかった。顔を見て、手を握る。
記号が、現実を代理できなくなった世界で、現実を確かめる方法は、現実に触ることだけだった。
遅い。重い。でも、確かだ。
「ひかり。この人は、つむぎさん。こっちは、瑠衣」
ひかりは、二人を見た。つむぎは、ひかりの顔を見て、小さくうなずいた。覚えた、という顔だった。
村は、無事だった。
米は、あった。去年の秋に収穫した分が、まだ蔵にある。水は、川と、井戸。電気は、小さな水力発電が、村の端にあった。大剥離の前から、村が自前で持っていたものだ。
壊れたのは、村の外との関係だった。
「隣村と、取引が止まってるって、言ってたな」
「止まってる」ひかりは言った。「隣村は、山の向こう。十キロ。前は、うちの米と、向こうの味噌と、薪を、交換してた。でも、大剥離の後、向こうが『うちの村の人間を、信じない』って。うちの村も、『向こうを信じない』って」
「なんで」
「前は、お互い、顔なんて見てなかった。トラックで運んで、振り込みで払ってた。だから、顔を知らない。顔を知らない相手とは、取引しない。それが、今の掟」
諏訪と、同じだった。
「冬が、来る」ひかりは、山を見た。「味噌と、薪が、足りない。米はあるけど、米だけじゃ、冬は越せない。村の人は、山で薪を切ってる。でも、味噌は、作れない」
要は、山を見た。もう、雪の気配があった。
「村長は、誰だ」
「大畑さん。三十八歳。若いけど、村で一番、田んぼを持ってる。去年、お父さんが亡くなって、継いだ」
「会わせてくれ」
大畑は、蔵の前にいた。
米俵を、数えていた。三十代の終わり。体が大きく、顔が四角い。要を見ても、表情を変えなかった。
「ひかりの兄さんか」
「土師要です」
「東京から、歩いてきたって」
「はい」
大畑は、米俵を数え終えてから、要を見た。
「何をしに来た。妹に会いに来たなら、もう会った。冬を越すなら、働け。それ以外なら、帰れ」
「隣村と、取引を、再開したい」
大畑の目が、少し動いた。
「他所者が、何を言ってる」
「他所者だから、言えます」要は言った。「隣村の人間も、この村の人間も、僕は知らない。だから、どっちの味方でもない。どっちも信じない前提で、仕組みを作れる」
「仕組み」
「三冊の台帳。顔。割符。評判。手形。東京から、ここまで、作りながら歩いてきました。全部、侵入される前提で、できてる」
大畑は、長い間、要を見ていた。
「……他所者が、信用を語るな」
低い声だった。怒っていない。ただ、硬かった。
「この村は、四百年、ここにある。信用ってのは、四百年かけて、作るもんだ。十三日、歩いてきたやつが、三冊の帳面で、作れるもんじゃない」
要は、何も言い返さなかった。
大畑は、正しかった。四百年の信用は、三冊の帳面では作れない。
でも、四百年の信用は、山の向こうには、届かない。
「冬まで、働きます」要は言った。「それから、もう一度、話をさせてください」
大畑は、答えずに、蔵に入った。
要は、山を見た。
山の頂に、白いものが、見えた。
初雪だった。
(第2部「帰郷」了。第21話「村の掟」へ続く)
コメント
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ゆめかです〜📖✨ 第20話読み終えたよ! もうね、要がひかりの顔を見て「無事だったか」って言うシーン、涙腺やられた😭💕 たった一言なのに「無事」だけで会話が成立してるのが尊すぎる…。そして顔を見て、手の温かさで確かめるって、記号が壊れた世界ならではの描写にグッときたよ。大畑さんとの距離感もリアルで、続きが気になる!まだまだ冬が来る前にどう動くんだろう…✨