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リリアーナの枕元で、丸くなって眠る一匹の黒猫。
この黒猫——ワタシことルーネは、リリアーナから「駄猫」だの「非常食」だのと散々な扱いを受けているが、その正体は高位の存在たる『上位精霊』なのだ。
かつてはアーカイア様の片腕として、世界を股にかけ―…。
…なのに、あのお嬢さんときたら!
思い出すだけで毛が逆立つ。上位精霊がどれほどの価値か、一国の予算で買えるような存在ではないことが、なぜあのエルフには分からないのか!
ルーネが心の中で盛大に悪態をついていた、その時だった。
隣の部屋から、心臓を鷲掴みにするような禍々しい魔力がブワッと溢れ出した。
『お嬢さん!起きなさい、お嬢さん!』
即座に念話を飛ばしたが、あろうことかリリアーナは「むにゃ…」と寝返りを打つだけで、そのまま深い眠りの底へと沈んでいる。
…あぁ、もう!!
埒が明かないと判断したルーネは、禁忌の魔術―『完全擬態』を強行した。
ぐにゃりと輪郭を溶かし、眠る主人と寸分違わぬ姿へと形を変える。
「…ふむ、意外と悪くないですね」
鏡を見ずとも分かる。夜の漆黒を溶かしたような黒髪のロングヘアに、深い血の色を宿した双眸。我ながら完璧な再現度だ。
魔力の暴風が吹き荒れているのは、隣のアルベルトの部屋。
さて、リリアーナの代わりに様子を見に行ってやるとしましょう。
ええと、リリアーナらしく振る舞うには…顔は無表情、けれど空気はトゲトゲさせず、どこか穏やかに、かつミステリアスに…。
…って、注文多すぎませんか!? 難易度高すぎですよあのお嬢さん!!
普段から傍にいるルーネですら、あの絶妙な「無機質なのに温かい」雰囲気を出すのは至難の業だ。ルーネは廊下を歩きながら、必死にリリアーナの「成分」を自分の中に馴染ませていった。
…よし。完璧です。
ルーネは緊張を押し殺し、上品に、かつ控えめに扉を三回ノックした。
「大丈夫…?」
自分でも驚くほど、リリアーナの声にそっくりだった。半分ほど自画自賛したくなったが、今はそれどころではない。ルーネは「冷徹だが慈悲深いエルフの美少女」になりきり、平然とした表情を顔に張り付けた。
扉が開き、アルベルトが幽霊でも見たような顔でワタシ―リリアーナの姿を見下ろす。
「リリアーナ…どうしてここに」
…さあ、ここが腕の見せ所です。
ルーネは僅かに目を細め、少しだけ案じるような色を乗せて言った。
「…魔力が、揺らいでる。廊下まで、漏れてたよ…?」
内心では「お嬢さんの代わりにワタシが来てあげたのですよ! 感謝しなさい!」と叫びたかったが、それを言えば全てが台無しだ。ルーネはただ、静かにアルベルトの瞳を見つめ返した。
「ありがとう。…寒かっただろう、中に入って」
アルベルトに促され、私は内心で激しく葛藤した。
…いいのですか? 深夜に男の部屋に。いえ、今のワタシはお嬢さんであって、ワタシではないのですが。
逡巡したが、お嬢さんなら相手の気遣いを当然のように受け取るだろう。「あ、うん。ありがとう」と、短く、素っ気なく答えて部屋に踏み込んだ。
ソファに座らされたものの、話題が全く見当たらない。
お嬢さんなら、こういう時こそ鉄壁の沈黙を貫くはず。よし、黙っていましょう。
ルーネは視線を斜め下に固定し、無機質な美少女のフリを続けた。
「昨日の君、凄かった」
…はい? 昨日の…何がですか!?
昨日、ワタシが昼寝を決め込んでいた間に一体何をしでかしたのですかお嬢さん!
冷や汗が背中を伝うのを感じながら、ルーネは記憶の断片を必死に漁り、最も「リリアーナっぽい」適当な返答を捻り出した。
「え、あ、普通だよ。あんなの」
視線が泳ぎそうになるのを必死に堪える。大丈夫、今のワタシはリリアーナだ。ただ、少しだけ…そう、少しだけ寝惚けているだけなのです!
「今日の君は表情豊かだね」
「えっ」
…え、あ、は!? バレました!? 待ってください、平常心、平常心…!
ルーネは焦りのあまり、無意識に自分の頬を両手でペタペタと触ってしまった。
筋肉の動きをミスしましたか? それとも、ワタシ自身の「お調子者」な性格が漏れ出しましたか!?
必死に誤魔化そうとした結果、ルーネはただ不思議そうに首を傾げることしかできなかった。
アルベルトは何かを思い直したように、ふっと表情を和らげた。
「ここの生活には慣れたかな?」
「はい…、お陰様で」
この男…話題を逸らしましたね?
ルーネは「なぜ魔力が暴走していたのか」という本題をいつ切り出すべきか、リリアーナらしいタイミングを必死に計算し、迷っていた。
「どうしたの?」
アルベルトに優しく覗き込まれ、ルーネは決辞を固めた。ここで引いては、わざわざ化けてまで来た意味がありません。
ルーネはリリアーナの「確信を突く時のトーン」を意識して、ポツリと問いかけた。
「…悪夢でも、見たの?」
問いかけた瞬間、アルベルトの瞳に鋭い不信感が宿るのを、ルーネは見逃さなかった。
…ああ、失敗しましたね。お嬢さんなら、もっと上手く踏み込んだはずです。
ルーネはこの空気を払拭しようと、リリアーナが以前こぼしていた「悪夢」について、自嘲気味に語り出した。
「私、いつも悪夢を見るから。暗くて、痛くて、苦しくて…でも、起きた時には何も覚えていないの。ただ、重苦しい感情だけが、泥みたいに心に残っているだけ」
それは演技ではなく、リリアーナの孤独を一番近くで見てきたルーネの、本心からの言葉だった。
すると突然、アルベルトが距離を詰め、大きな掌がワタシの―リリアーナの頭を優しく撫でた。
「なんの真似…?」
「ただの、お呪いだよ。君を元気づけるためのね」
…お呪い、ですって!?
想定外の「慈愛」に、ルーネの心臓(仮)が大きく跳ねた。
もし、今ここに居るのがルーネではなく、本物のリリアーナだったなら。独りで悪夢を耐え続けてきた彼女の心に、この温もりはどれほどの光をもたらしただろうか。
…はぁ。まったく、この男。後でちゃんとお嬢さんに報告して、貸しにしておきましょう。
「そう…」
ルーネは不器用な主人の反応をなぞり、その温かさが消えないうちに、静かに頷いた。
「君の言う通り、俺は悪夢を見たのさ。『黒髪赤眼のエルフは、殺してしまいましょう』と囁かれる夢をね」
「そう」
ルーネは興味なさげに、短く応じた。
実際、微塵も興味がなかったからだ。殺したければ殺せばいい。もっとも、この男を含めたパーティ全員でかかったところで、我がリリアーナの足元にすら及ばないでしょうが。
リリアーナというエルフは、それほどまでに強く、気高い。…だからこそ、脆い。
「…もし、良ければさ、黒髪赤眼のエルフがそう言われる意味を―」
アルベルトが核心に触れようとした瞬間、ルーネの背筋に冷たい震えが走った。自室に残してきたリリアーナの魔力が、ドロリとした悪意に侵食されている。
「…私、もう自室に帰るね」
言い捨てて、脱兎のごとく部屋を飛び出す。廊下を駆けながら擬態を解き、四足の獣へと戻って主人の寝室へ滑り込んだ。
そこには、リリアーナの精神を弄ぶ、悍ましい悪魔の影があった。
「シャーッ!!」
喉を鳴らし、上位精霊としての威圧を叩きつける。悪魔は面倒そうに鼻を鳴らすと、窓辺へと逃れた。
『これで、諦めたとは思うなよ』
不吉な捨て台詞を残して消えた影を追うより先に、ルーネは震えるリリアーナの肩に飛び乗った。
『お嬢さん、起きなさい! 幻影に惑わされてはいけません、起きなさいっ!!』
必死の呼びかけに応じ、リリアーナが目を見開く。その瞳に宿る、自分自身への激しい嫌悪と絶望。
狂ったように叫ぶ彼女を、ルーネはただ寄り添うことで繋ぎ止めた。
朝日が昇り、ようやく眠りについたリリアーナの寝顔を見つめながら、ルーネは誓う。
…あのお嬢さんを「屑」呼ばわりした不届きな悪魔は、このワタシが必ず、塵一つ残さず消し去ってやりましょう。
エージェント67