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#ヒューマンドラマ
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その日も、内庫司の政務の間には、報告を終えたばかりの木簡の束が積み上がっていた。
一介の官吏である縫季が、王太子の書卓のすぐ隣に席を与えられ、直接意見を求められる。
その光景を、好意的に見る者もいた。
だが、家柄を重んじる者たちの目には、出自の知れぬ若者が、あるべき場を越えているようにしか映らない。
縫季にとっては、どちらの視線も等しく遠かった。一刻一秒が、心臓を削る試練だった。
「……縫季。この新道の補修計画だが、資材の運び込みをあと三日早められるか」
「可能です。ただし、周辺農村の労役時間を一割減らす調整が必要です。無理をさせれば、後の収穫期に響きます」
「――ふむ。そなたは、やはり鋭いな。効率よりも、その先にある『生活』を先に見る」
帝辛が顔を上げ、満足げに筆を置く。
ただの褒め言葉だ。仕事上の評価に過ぎない――縫季はそう整え、「恐縮です」と礼を返した。
だが、返した瞬間に気づく。
帝辛の褒めは『終わり』ではない。
いつもそこから、もう一段、何かを確かめに来る。
帝辛の瞳は、温いのに、剣のように澄んでいた。
打算がないのではない。打算を、もっと奥の層に沈めた目だ。
王太子の目は、国のために人を計る――その当然の機能を、隠しもしない。
「……そなた、今の答え。迷いがないな」「迷い、ですか」
「普通は、農村の負担に触れると声が揺れる。上官の顔色を見て、言葉を選ぶ。――そなたは、選ばぬ」
帝辛の声は淡い。
責めてもいない。
だが淡いまま、逃げ道だけを狭める。
「誰かに教わったのか。それとも、最初からそういう『癖』か」
癖。
その語が、縫季の背骨を冷やした。
癖は、外から覗かれるとまずい。
「……たまたま、そう見えただけです」
「たまたま、か」
帝辛はほんの少しだけ口元を緩めた。
笑みではない。
確認の合図に近い。
縫季は思う。
――この男は、『信頼』の顔で近づいて、『警戒』の刃で触れてくる。
ふと、視界の端を清朗が横切った。
相変わらず忙しそうに走り回っているが、その腰の香袋は以前よりも甘い香を放っている。濃度が、また上がっている。
縫季の脳裏に、あの時の言葉が蘇る。
『あの黙り方が一番怖い。……あれ、多分、泣くのを止めてる顔なんだ』
目の前の帝辛は、今、静かに地図を見つめている。
整った横顔。完璧な王太子としての佇まい。
けれど、その輪郭に、あの日見た「青さが残る顔」が重なる。
父を失うことを恐れ、孤独な王座に怯えていた一人の若者。
――と、そこまで考えかけて、縫季は自分の内側に歯止めをかけた。
今のは同情だ。推測だ。縫う必要のない線に、針を差しかけた。
その瞬間から、縫う者が『自分の形』を失う――管理官の警告が、胸の底で冷えた。
「縫季?」
不意に帝辛がこちらを見た。
覗き込むような距離。縫季が視線を外そうとするより先に、帝辛の声が落ちる。
「……いま、そなたの目が逸れた。私からではない。帳からでもない。――別のところだ」
「いえ、ただ……」「『ただ』は、便利だな」
からかうようでいて、刃の置き方が正確すぎる。
帝辛は筆を置いたまま、指先だけで書卓の上の木札を裏返した。音は立たない。
立たないのに、縫季の呼吸だけが乱れる。
「そなたは、不思議だ」
帝辛は淡々と言う。
「抜擢されて浮かれもしない。恐れも、媚も薄い。……なのに、こちらが気を抜くと、そなたは一歩引く」
縫季の喉が詰まる。
『気を抜く』。
それを、王太子が自分に向けて言う。
警戒すべきなのに警戒できない――その兆しを、帝辛自身が一番嫌うはずなのに。
「殿下、私は官吏として――」「官吏は皆、同じ匂いをしている」
帝辛は遮る。
静かな声で、静かなまま。「正しい距離で、正しい顔で。……そなたは、その匂いが薄い」
縫季の背中を、冷たい汗が滑った。
匂い――その言葉は、この世界では言い逃れが利かない。
まして相手は、王太子だ。国のために『異質』を刈る側にいる。
帝辛は、ほんの少しだけ首を傾けた。
試すように。確かめるように。縫季の喉の奥が、冷えた。
このまま言葉を重ねれば、次に剥がされるのは癖ではなく、もっと深い層だ――そう悟った瞬間、縫季は『官吏の手札』を引く。
正しい提案。
正しい気遣い。
正しい距離。
「……殿下。少し、手を休められては」
コメント
1件
うわあああ第12話…!帝辛の「匂いが薄い」って台詞、心臓ぎゅってなった〜!!縫季が自分の感情を押し♡♡♡うとするほど、逆に帝辛がどんどん近づいてくる感じがたまらん…😭✨この二人の距離感、エモすぎてもう…!清朗の香袋の濃度が上がってるのも気になるし、灯台の言葉が刺さるシーンも良かった…次が待ちきれないよ!!