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二月六日、金曜。清算書が、仕上がった。
A4の紙で、四十二枚。真尋が、一月の後半から、事務所の仕事のあとに毎晩作った。
一枚目は、九年分の収入と支出を、年ごとに並べた表。二枚目から、恭平の振込の推移。三十三万円が二十八万円になった月。それ以後、一度も戻らなかった三十七か月。
その次に、四百十二万円の内訳。振込の減額、百八十五万円。戻らなかった立替、三十二回、九十七万円。学資保険の返戻金、百三十万円。
その次に、百三十万円の行き先。初期費用、六十一万二千円。家具、二十三万円。指輪の内金、四十五万円。合わせて百二十九万二千円。
その次に、仕送りの出どころ。月三万円、二〇二三年十二月から二〇二六年一月まで、二十六回。家計の口座から。その口座に、真尋のパート代から毎月五万円から六万円を入れてきた表。
いちばん最後に、一枚だけ、別の紙。恭平の接待費の控えの、十月二十九日。『接待 村瀬工務店 村瀬様 2名 ¥18,600』。その横に、真尋の家計簿の、同じ日。『10/29(水)恭平 休み。「ゴルフの打ち合わせ」。立替 20,000(ゴルフ)』。
数字と日付だけで、感想は、一行も書かなかった。誠一の言葉どおり、引き算は、読む人がする。
「真尋さん、穴、開けるわよ」
大久保が、穴あけ器を持って来た。四十二枚を二つに分けて、左の端に、二つずつ穴を開けていく。
誠一が、火曜ではないのに来ていて、黒い綴じ紐を持っていた。穴に紐を通し、裏で結んで、余りを切る。
「帳簿は、こうやって綴じる。昔は、全部、紐だった」
神谷が、所長室から出てきた。表紙の白い紙を一枚、机に置く。胸ポケットの赤ペンを抜いて、右下に書いた。
『作成 神谷税理士事務所』
前に書いた紙と、同じ字だった。
真尋は、その横に、自分の赤ペンで、書き足した。
『作成補助 篠原真尋』
神谷が、それを見た。何も言わなかった。
「所長。これは、調停にも、法事にも、出します」
「出しなさい」
神谷は、綴じた清算書を一度持ち上げて、重さを確かめるようにして、机に戻した。
「これは、監査報告書だ。あなたが読む。私は、読まない」
「読まない、とは」
「法事の席で、これを読み上げるのは、あなただ。私は、名前を貸しただけだ。中身は、全部、あなたの数字だ」
誠一が、紐の余りを捨てながら言った。
「読み上げの練習は、二十日にやる。金曜。ここで。俺と、怜司の前で」
「はい」
坪井が、自分の机から、小さく言った。
「篠原さん。それ、表紙、僕がコピーして、予備を作っておきます。十部」
「ありがとう」
大久保が、湯呑みを配った。
「十部も要らないわよ。親戚、何人いるの」
「二十人くらい、と聞いています」
「じゃあ、二十部。足りないより、余るほうがいい」
坪井が、「二十部」と言って、コピー機に向かった。
真尋は、綴じた清算書の表紙を見た。『作成 神谷税理士事務所』『作成補助 篠原真尋』。九年、家計簿に自分の名前を書いたことはなかった。家の金は、家の金で、誰の名前も要らなかった。今、初めて、自分の名前が、家の数字の表紙に載っている。
夜、九時。
真尋が帰り支度をしていると、神谷が所長室から出てきて、コートを着ていた。
「駅まで。業務の延長だ」
「所長、家は、上ですよね」
「駅に、用がある」
二人で、ビルを出た。二月の夜は、寒かった。真尋は、手袋をはめた。去年の冬に買った、黒い、安いもの。
駅までは、歩いて三分。神谷は、半歩前を歩いた。
「法事は、二十二日か」
「はい。日曜です」
「一人で行くのか」
「結衣と、二人で」
神谷は、少しのあいだ、何も言わなかった。
「清算書は、二十部ある。一部は、ロッカーに残しなさい。持っていった分が、全部なくなっても、ここに一部ある」
「はい」
「それも、業務だ」
真尋は、業務だ、という言葉を、今日は数えなかった。
駅前のロータリーを抜けて、改札の前に着いた。
真尋は、手提げから定期を出す。そのとき、左の手袋が、手提げの持ち手に引っかかって、床に落ちた。
拾おうとした真尋より先に、神谷が、拾う。
神谷は、手袋を、持っていた。
一拍。
二拍。
真尋は、手を出していた。神谷は、手袋を見て、それから、真尋の手に、置いた。
#復讐
草原草原(くさはらそうげん)

1,510
木風
791
#サレ妻
都築七美
1,141
「忘れ物は、減点だ」
「はい」
手袋を、はめた。神谷の手は、手袋に、触れただけだった。真尋の手には、触れなかった。
「月曜、九時半」
「はい。お疲れさまでした」
真尋が、改札に向かって一歩出たとき、改札の向こうから、声がした。
「いい写真、撮れました」
真尋は、止まった。
改札の向こう側。柱の横に、黒いコートの女が立っていた。明るい茶色の髪。片手に、スマホ。画面を、こちらに向けている。
瑠美だった。
「真尋さん。それと、所長さん、ですよね。神谷税理士事務所の。恭平さんから、名前は聞いてます」
瑠美は、スマホを、少し揺らした。
「今の、いい写真でした。手袋。恭平さんに、送っておきます。お義母さまにも」
真尋は、何も言わなかった。
神谷が、真尋の前に、半歩、出た。
コメント
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みぅです🤍🥀 読みました。このエピソード、すごく好きです。 数字だけで綴られた九年分の重みが、44枚の紙に全部詰まってる感じがして、心臓がぎゅっとなりました。 「初めて、自分の名前が、家の数字の表紙に載っている」という一文、本当に胸に来ました。 最後の瑠美さんの出現で、一気に寒気が走りました。続き、気になります……🌙