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416
ヨハク
121
#BL
りすぐみ
23
りすぐみ
17
第三話 海の魔女
月明かりの届かない深海。
暗闇の中から聞こえてきた声に、リリアは身を震わせた。
「誰……?」
周囲を見回す。
しかし、誰の姿も見えない。
聞こえるのは水の流れる音だけ。
すると再び声が響いた。
「会いたいんだろう?」
ぞくり、と背筋が震える。
「人間の王子に」
リリアは目を見開いた。
どうして知っているのだろう。
誰にも話していない。
父や兄ですら、詳しい事情までは知らないはずだ。
「あなたは……」
その時だった。
深海の闇がゆっくりと揺らぐ。
まるで黒い霧が集まるように。
やがて、一人の女性の姿が現れた。
長い黒髪。
紫色の瞳。
美しい顔立ち。
だが、その笑みにはどこか不気味さがあった。
「初めまして、人魚姫」
女性は優雅に頭を下げる。
「私は海の魔女、セレネ」
リリアは息を呑んだ。
海の魔女。
その名は聞いたことがある。
海底のさらに奥。
誰も近づかない禁忌の海域に住む存在。
どんな願いも叶える代わりに、大きな代償を求めるという。
「私に何の用ですか?」
警戒しながら尋ねる。
セレネは楽しそうに笑った。
「決まってるじゃない」
彼女はリリアへ近づく。
「恋する人魚姫を助けてあげようと思って」
「……!」
「人間になりたいんでしょう?」
その言葉に心臓が跳ねた。
否定できなかった。
エリオットに会いたい。
話したい。
隣にいたい。
その願いは日に日に大きくなっていた。
「人間になれば」
セレネは囁く。
「王子の隣に立てる」
リリアは唇を噛んだ。
甘い誘惑だった。
あまりにも。
その夜。
リリアは眠れなかった。
部屋の窓から月を見上げる。
『人間になれる。』
その言葉が頭から離れない。
本当にそんなことができるのだろうか。
もしできたら——。
エリオットと話せる。
一緒に歩ける。
笑い合える。
胸が苦しくなる。
けれど。
「危険だよね……」
海の魔女。
そんな簡単に願いを叶えてくれるはずがない。
必ず代償がある。
それでも。
気づけばエリオットのことばかり考えてしまう。
「どうしたらいいの……」
答えは出なかった。
翌日。
リリアは再び海面近くへ向かった。
王宮が見える場所。
いつもの岩陰。
そこには今日もエリオットがいた。
楽しそうに笑っている。
その隣には、あの少女もいた。
リリアは胸を押さえる。
苦しい。
嫉妬なんてしたくない。
でも。
どうしても羨ましかった。
自分にはできないことを、彼女は当たり前のようにしている。
話すこと。
笑うこと。
隣に立つこと。
全部。
「私だって……」
その瞬間だった。
エリオットが空を見上げた。
そして小さく呟く。
距離が遠くて声は聞こえない。
けれど。
その表情はどこか寂しそうだった。
リリアは不思議に思う。
王子は幸せそうに見えるのに。
どうしてそんな顔をするのだろう。
その時、風が吹いた。
エリオットの胸元で銀色の紋章が揺れる。
リリアの手が止まる。
あの日拾った王家のペンダントと同じものだった。
王子はきっと気づいていない。
自分の大切なものを失くしていることに。
リリアはそっと胸元を押さえた。
そこには今も、あの日拾ったペンダントがある。
「返したいな……」
その言葉は海の中へ消えた。
その日の夜。
リリアは決意した。
禁忌の海域へ向かうことを。
誰にも言わず。
ひとりで。
王国から遠く離れた場所。
魚たちですら近づかない深海。
そこには不気味な沈没船や黒い珊瑚が広がっていた。
生き物の気配はない。
静かすぎる。
まるで世界から切り離された場所。
「来ると思っていたよ」
声が響く。
セレネだった。
巨大な岩の上に座り、こちらを見ている。
「……本当に、人間になれるんですか?」
リリアは真っ直ぐ見つめた。
セレネは微笑む。
「もちろん」
「代償は?」
「聞きたい?」
どこか楽しそうな声。
リリアは頷く。
するとセレネはゆっくり立ち上がった。
「まず一つ」
彼女はリリアの喉へ触れる。
「その美しい声をもらう」
リリアは息を呑んだ。
声。
歌うことが好きだった。
幼い頃から。
海の民は歌を愛する。
それを失う。
想像以上に重い代償だった。
「それだけ……ですか?」
セレネは笑った。
「まさか」
紫色の瞳が妖しく光る。
「もう一つある」
空気が変わる。
リリアは無意識に身構えた。
「人間になった後」
セレネは静かに言う。
「王子から本当の愛を得られなければ——」
胸が締め付けられる。
嫌な予感がした。
「お前は泡になって消える」
世界が静かになった。
リリアは言葉を失う。
消える。
死ぬということだ。
「そんな……」
「怖いかい?」
セレネは微笑む。
当然だ。
怖くないわけがない。
だが。
リリアの脳裏に浮かんだのはエリオットだった。
あの笑顔。
優しい瞳。
初めて見た時から忘れられない人。
「……もし」
震える声で尋ねる。
「もし愛されなかったら、本当に消えるんですか?」
「跡形もなくね」
セレネはあっさり答えた。
「誰の記憶にも残らず」
リリアは目を閉じた。
怖い。
本当に怖い。
でも。
このまま何もしなければ。
きっと一生後悔する。
会いたかった。
話したかった。
好きだと伝えたかった。
だから。
リリアはゆっくり目を開く。
「お願いします」
セレネの笑みが深くなる。
「契約成立だね」
黒い魔力が渦を巻く。
その中心に、小さな青い薬が現れた。
「飲めば明日の朝、お前は人間になる」
リリアは薬を受け取る。
冷たい瓶だった。
そして。
運命を変える一歩でもあった。
海の魔女は楽しそうに笑う。
「さあ、人魚姫」
その声が深海に響く。
「恋の結末を見せておくれ」
リリアは薬を握りしめた。
まだ知らない。
この選択が、自分の運命を大きく変えることを——。
コメント
1件
みぅです🤍🥀 第3話、読みました…! 声を代償にしてまで人間になりたいっていうリリアの切実さが胸に刺さる…。海の魔女セレネの「泡になって消える」って条件、知ってる展開でもやっぱり怖いですね。それでも「お願いします」って言えたリリア、強いよ…。 ペンダントをまだ持ってる伏線とか、王子が寂しそうな表情を見せたところとか、これからどうなるんだろうってドキドキします。続きが気になる…!