「こちらが当店人気ナンバーワン、季節のフルーツタルトです」
「わーっ!! 綺麗……それにとっても美味しそう」
艶々した苺がふんだんに使われ、まるで赤い宝石のように輝いている。フォークを刺すのを躊躇してしまいそうなほどに美しい。
「あ、あの……本当に頂いて良いのですか?」
「もちろん! どうぞ召し上がって下さい」
「ありがとうございます! いただきまーす!!」
私とリズは、目の前に出された苺タルトに夢中になった。そんな私達見て、ジェフェリーさんは苦笑いを浮かべつつ、眼鏡の男性に話しかける。
「なんかすみません。ご馳走になっちゃって……」
「いいえ、あなた方はエリスの命の恩人です。どうぞ遠慮なく食べて行って下さい」
「俺は引率として付いて来ただけなんだけどなぁ」
バターのいい香りがするタルト生地は、しっとりサクサク。フルーツの酸味とカスタードクリームが絶妙なバランスで融合している。クリームも甘過ぎないから何個でも食べれてしまいそうだ。
「うーん……美味しいっ!!」
「お口に合ったようで良かったです。自己紹介が遅れて申し訳ありません。私はセドリックと申します。この度はエリスを助けて頂き、本当にありがとうございました」
眼鏡の男性……セドリックさんは丁寧に頭を下げた。しまった……私もちゃんとご挨拶しないと。タルトを食べる手を一旦止め、姿勢を正した。
「えっと……私はクレハといいます。こちらの2人は友人で、ジェフェリーとリズです」
屋敷を黙って抜け出したのが何となく後ろめたかったので、ファミリーネームは伏せる。
「この鳥を……エリスをうちの庭で見つけた時は、とても驚きました。でも大きな怪我も無く、こうやって無事に飼い主さんの元へ連れて行く事ができて良かったです」
肩の上に乗っているエリスの、羽でふわふわした口元を軽く擽る。そうするとエリスは、クルクルと気持ち良さそうに喉を鳴らしている。その様子を見ていたセドリックさんは、驚いたように目を丸くしていた。
「あの……失礼ですが、もしかしてジェムラート公の御息女のクレハ様でいらっしゃいますか?」
速攻でバレた。
「えっ! ど、どうして……セドリックさん、どこかでお会いしましたでしょうか?」
「ああ……やはりそうでしたか。いいえ、違うんですよ。私がお仕えしている主人……このエリスの飼い主なのですが、仕事の一環で王宮に頻繁に出入りしているんです。私もそれに同行する事があるので、その際にクレハ様のお噂をいくつか耳にしたのです。見た目の特徴なども伺っておりましたので、もしやと思ったのですよ」
「噂です……か?」
セドリックさんのご主人って、このカフェのオーナーさんとかかな? 何でまた王宮に……いや、それよりも噂が気になる。どんなこと言われてるんだろ。よりにもよって王宮で……怖いな。
私が若干虚ろな目をしていると、セドリックさんはニッコリと微笑んだ。
「とても可愛らしい方だと評判だったのですよ。噂は本当でしたね」
「ふぇっ……かわっ……!?」
セドリックさんの口から飛び出た言葉に頬が赤く染まる。
「クレハ様はもう少し、ご自分の容姿がどれだけ目を惹くか自覚なさった方が良いですよ」
「ほんとになぁ……無頓着過ぎてびっくりするよな」
リズが溜息混じりにそう言うと、ジェフェリーさんが追随してウンウンと頷いている。そして、そんなふたりのやり取りを見て、セドリックさんがクスクスと笑っている。
「何なの……みんなして、私をからかっているのですかっ……?」
私の顔はもう湯気が出そうなほど真っ赤になっていた。
「まさか。クレハ様がとっても魅力的な方ってことですよ」
「ええ、それはもう間違いなく。なんせ実物を間近で見て、あっさりと落ちてしまったようですし……」
「はい?」
「あっ! いえいえ、こちらの話です。どうかお気になさらず……」
セドリックさんが言いかけた話が気になったけれど……この時のセドリックさんは、表情はにこやかだったが、これ以上それについて触れるなと言わんばかりの妙な迫力を感じた。深追いするのはやめた方が良さそう。
「それはそうと……!」
何だか居た堪れない空気なので、話題を無理やり変える事にした。
「エリスの飼い主はセドリックさんのご主人だったのですね。今日はいらっしゃらないのですか?」
ガタッ……
いま店の奥で物音がした。
「あの、もしかして他に誰か……」
「ああ、バックヤードの棚から何か落ちたようですね……ちょっと見て参ります」
セドリックさんは、物音がした方へ素早く向かっていく。そして数分も経たないうちに彼は戻って来た。
「紅茶の缶が棚から落ちた音でした。お騒がせ致しました」
「い、いえ……」
缶が落ちたような音には聞こえなかったけどな……
「それでうちの主ですが、生憎と本日は不在でして……申し訳ありません。また後日、改めて主の方から、皆様に御礼状と感謝のお品を送らせていただきますので」
「そんな! ケーキもご馳走になりましたし、もう充分ですよ」
「そうおっしゃられても……それでは主の気が済まないかと。エリスは主が家族同然に可愛がっている大切な鳥なんです。そのエリスを助けて下さったあなた方を、ケーキ1つでお帰しするわけにはいきません」
「えぇ……」
結局セドリックさんに押しきられてしまい、ありがたくお品を頂戴するという事で落ち着いた。セドリックさんのご主人は、かなり義理堅い方のようだ。
「それではセドリックさん、私達これで失礼致します。ケーキご馳走様でした! とっても美味しかったです」
時計を確認すると、もうすぐ17時になろうとしていた。暗くならないうちに帰らないと、黙って外出した事がバレたら大変だ。
「クレハ様、リズ様、ジェフェリー様、今日は本当にありがとうございました。良ければまた、遊びにいらして下さい」
「はい、喜んで!」
「クー……」
エリスが別れを惜しむかのように小さく鳴いた。今はセドリックさんの右腕に止まっているが、エリスは『とまり木』についてからもずっと、私の肩の上に乗って離れなかったのだ。短い間だったけれど、心を開いてくれたような気がして嬉しくなる。
「また会いにくるからね。それじゃあ、またね」
ガタッ!
店の奥からまた物音がした。さっきから何回も聞こえている……やはりセドリックさんの他にも誰かいるのだろうか。
「また紅茶缶が落下したみたいです……ね」
眉間にシワを寄せながら、セドリックさんが部屋の奥を睨んでいる。ちょっと怖い。
「さようなら! セドリックさん」
「さようなら、気を付けてお帰り下さい」
私達はセドリックさんに挨拶をして帰路についた。今日は中々に慌しい1日だったなぁ。『とまり木』かぁ……オルカ通りにこんな素敵なカフェがあるなんて知らなかった。また食べに行こう。次に行く時は姉様も誘ってみようかな。
3人の後ろ姿が見えなくなるまで見送り、俺は店の中に戻る。エリスが無事に帰ってきたので、明日からはまた通常通り営業できそうだ。そうでなければ、引き続き『とまり木』の従業員総出で捜索活動に繰り出さなければならなかったのだ。エリスに店の住所を書いた足輪を付けておいて本当に良かった。
「さて、と……」
ジェムラート公爵家2番目の姫……クレハ・ジェムラート。まさか、こんな所でお会いすることになるとは思わなかったな。俺は店の奥に視線を向けた。
それは、あの方も同じだろうな……
彼女の姉であるフィオナ・ジェムラートには1度だけ会った事がある。と言っても、近くで姿を見る機会があったというだけで、面と向かって言葉を交わしたわけではないが……
俺がフィオナ様を見たときの第一印象は正に「完璧」だった。類稀な美しい容姿に気品溢れる身のこなし、見る者を魅了し圧倒するその存在感は、とても10歳そこそこの少女とは思えなかった。けれど……俺はこの完璧過ぎる少女の笑顔を見た瞬間、恐怖に似た感情を覚え、背筋がぞくりと震えたのだ。いい歳をした大人が、10も年下の少女に気圧されるなんてと、その時の事が忘れられない。
妹であるクレハ・ジェムラートは社交的な姉とは対照的で、あまり公の場には出てこなかった。そのせいでどんな方なのか全く分からなかったのだ。彼女と会った事のある人間の話だと、姉同様とても美しい見た目をしているが、似てはいないとの事。それ以外だと餌付けをしたくなるとか、わざと困らせて反応を見たくなるとか……何とも要領を得ないものばかりで参考にならなかった。しかし、今日実際に彼女と接してみて妙に納得をしてしまった。
プラチナブロンドの髪に、魔力を有する者特有の青い瞳。それはとても神秘的で、整った容姿と相まって彼女の存在をどこか現実離れしたものにする。けれど、本人は至って普通の女の子だ。飾った素振りも無く、感情に合わせてコロコロ変わる表情は見ていて退屈しないし、とても愛らしかった。
「クーッ! クーッ!」
俺の腕に大人しく止まっていたエリスが、勢いよく羽ばたき店の奥に飛び去っていった。主の元へ行くのだろう。
そうだ……この主以外に懐かないエリスが、クレハ様にはぴったりとくっ付いて離れなかったのにも驚いた。まるで、主と同調しているようなそれに、何とも言えない気分になる。
これからあの方はどうなさるのだろう……
あの様子から見て、クレハ様に本気でハマってしまったのは間違いない。
「まさか主が一目惚れとはな……」
クレハ様はとても可愛らしい。仕草や表情……やることなすこと全てがドストライクだったんだろう。何となく予想はついているが、あの話をクレハ様で正式に進めることになるのだろうな。
しかし、それよりもまずやるべき事は――――
「御礼のお品は何にしましょうかね?」
俺は店の奥に向かって問いかけた。