初めての魔法授業から1週間が経ち、コンティドロップスを使わずに力を引き出せるようにはなった。けれど、それを上手くコントロールするのにはまだ慣れなくて、小さな石ころを風を起こして浮かせるくらいしかできない。ルーイ様は焦らずにのんびりやれと仰ってくれている。体に負担のかからない程度に、毎日少しずつ練習をすることにしよう。
部屋の時計を見ると、もうすぐ14時になろうとしていた。今日はこれからリズと遊ぶ約束をしているので、魔法の特訓はおしまいだ。
窓を開けて部屋の空気を入れ替える。爽やかな風が入ってきて気持ちがいい。私は両腕を上げて、思い切り伸びをした。何となく庭の植え込みの方へ視線を向けると、葉っぱの緑色の中に混ざり込む、鮮やかな赤色が目に飛び込んで来た。
「あれ? 何だろう」
花でも咲いているのかと思ったが、時折クークーという鳴き声のようなものまで聞こえてくる。私はバルコニーへ出た。赤い物体の正体をつきとめるため、手摺りから身を乗り出して目を凝らす。すると、そこにいたのは……見た事の無い色合いをした美しい鳥だった。バサバサと羽をはばたかせながら、地面にうつ伏せになっている。
もしかして飛べないの? 怪我をしているのかな……。そう思った瞬間、さっきよりも大きな声で鳥が鳴いた。羽を動かすのを止め、体を小刻みに震わせている。
「あっ!!」
鳥がいる場所から2メートルほど離れた所に大きな猫がいた。明らかにあの赤い鳥を狙っている。あの猫は……お隣のお屋敷で飼われているメアリーだ。またウチの庭に入り込んでいたのか。
「大変!! 早く助けてあげないと。でも、今から庭に走って行っても間に合わないかもしれない……どうしよう」
そうだっ! 魔法で……。成功するかは分からないけれど、迷っている暇はない。鳥のいる方向へ右手を向けると、深く息を吸って集中する。
「お願い……あの鳥を助けたいの……」
柔らかな白い光が翳した手から溢れ出す。鳥を中心とした周囲に風が舞起こり、その体を優しく持ち上げた。そして、ゆっくりと私のいるバルコニーの方へ運んでいく。突然の事に驚いたメアリーは、その場から逃げて行った。
「もう少し……」
しかし、バルコニーの手摺りを越えた所で集中力が途切れてしまう。魔法が消えてしまった。
「危ないっ!!」
私は勢いよく駆け出し、落下していく鳥を間一髪で受け止めた。
「はぁ……はぁ、良かったぁ……間に合って」
腕の中に抱き込まれた鳥は、めちゃくちゃに暴れだした。キーッキーッという悲痛な鳴き声が、辺りに響き渡る。
「大丈夫っ!! 大丈夫だから、怖がらないで……」
袖から露出していた手首を鋭い爪が引っ掻き、血が滲む。大きな翼が頬を掠め、そこにも切り傷ができた。それでも私は、鳥を抱く手を離す事はしなかった。次第に鳥は暴れるのをやめて、腕の中で大人しくなっていく。恐る恐る鳥の背中を撫でてみた。もう暴れる素振りを見せないことにホッとする。
足から少し出血をしているが、折れてはなさそうだ。翼や体の方には目立った外傷は見当たらない……思ったより軽症で良かった。
「傷の手当をしないとね……」
鳥を改めて抱き直すと、私はバルコニーから自室へと戻ったのだった。
この鳥はどこから来たんだろう……。足の治療を終えた頃には、鳥はすっかり落ち着いたようで、用意したグラスから水を飲んでいる。
「こんな色をした鳥……見たことない」
全身は鮮やかな赤色で、所々に青や黄色の羽も見える。本当に綺麗な鳥だ。多分ペットとして飼われていたのだと思うけど……。そうだとしたら、飼い主はさぞ心配しているはずだ。
その時、コンコンと扉をノックする音がした。時刻を確認すると14時になっていたので、リズが遊びに来たのだろう。
「クレハ様、リズです」
やっぱり。さすがリズ、時間ぴったりだ。私は部屋の扉を開けてリズを迎え入れた。
「いらっしゃい、リズ」
「こんにちは、クレハさ……ま……」
リズは私の顔を見た途端、目を見開いて硬直してしまった。
「ど、どうしたの……? リズ?」
「かっ……」
「か?」
「顔がっ……!! クレハ様! そのお顔、どうなさったんですかっ……!」
「顔? ああ……これ?」
どうやらリズは、さっき鳥を保護した時に付いた擦り傷のことを言っているようだった。
「これは大した事ないのよ。ちゃんと消毒もしたし、塗り薬もつけてあるから」
むしろよくこれに気づいたなと感心してしまう。傷ができた直後はうっすらと血が出ていたが、それを拭き取って消毒してしまえば、間近で目を凝らさないと分からない程度の傷でしかなかったのだ。
「クレハ様のお顔に傷が……クレハ様の可愛らしいお顔に傷がぁ……」
「リズ、聞いてる? 大丈夫だって」
「クレハ様っ!!」
「は、はいっ……!」
リズは私の両肩をがしりと掴んだ。物凄い気迫だ。
「クレハ様はもっとご自分を大事になさって下さい! クレハ様に何かあったら私っ……」
「リズったら大袈裟なんだから。こんなの擦り傷だよ?」
「クレハ様!!」
「ごめんなさい! 気を付けます!! で、でもね……今回のコレには事情があるの。だからあんまり怒らないで」
「どういう事です?」
「クーッ! クーッ!」
その時、私達の背後で鳥が鳴きだした。
「何なんですか……アレは……」
リズは丸い茶色の瞳を細め、怪訝そうな顔をしながら呟いた。
「そうだったのですか……そのお顔の傷は、この鳥がやったんですね……」
リズがじろりと鳥を睨む。
「リズ……」
「申し訳ありません……つい」
魔法の事は伏せて、鳥を助けたくだりだけをリズに説明する。しかし、今度は鳥が責められそうになってしまったので、やんわりと彼女を注意した。
「怪我をして怖い思いをしたのだから仕方ないよ。知らない人間に急に触られたのも、ビックリしただろうしね」
「しかし、珍しい色の鳥ですね。外国の鳥でしょうか」
「ペットだとしたら飼い主さん心配してるだろうね。おウチに連れて行ってあげたいけど、場所が分からないし……どうしよう」
「あれ……クレハ様。これ何でしょうか」
「うん?」
「この鳥の怪我をしているのとは反対の足……左足にリングのような物が付いています」
怪我の手当に夢中で気づかなかった。リズの言う通り、左足の付け根近くに丸い輪っかのような物がある。
「クレハ様。このリングの側面に文字が書いてあるのですが、多分これ住所です」
「ほ、ほんとう!?」
「はい。えーと……西オルカ通り35番って書いてあります」
「きっとそこがこの子のおウチだね!」
迷子になった時のために、飼い主さんがこのリングを付けておいてくれたのだろう。
「良かったね! おウチに帰れるよ」
鳥に向かってそう話しかけると、まるで言葉を理解しているかのようにクーッと嬉しそうに鳴いた。