テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
私は砂まみれの制服を握りしめ、もう一度あたりを見渡した。どこまで歩いても、乾いた草と砂ばかりが続いている。
「……ふぅ……」
私が勝手に想像していた魔界とは、ずいぶん違う。
もっとこう……炎とか、地獄とか、禍々しい景色が広がっていると思っていたのに。
静かすぎて、逆に落ち着かない。
真帆も千夏も見えない。
三人まとめて光に飲まれたのなら、きっと近くにいるはず──
そう思わないと、足が止まりそうだった。
私は息をひとつ吐き、歩き続けた。
草を踏む音だけが、やけに大きく響く。
さっき見たレベルの青い光が、頭のどこかにずっと引っかかっていた。
歩けば歩くほど、その違和感がじわじわと浮かび上がってくる。
気づけば、足が止まっていた。
「……ゼロって、どういうこと?」
声に出すと、体の中がひやりと冷えた。
「レベル3の魔物がいて……食べたら4になって……じゃあ、私も……レベル、上がるの?」
自分で言いながら、喉がひゅっと鳴る。
「……レベル1……とか……なるの?」
言葉が風に吸い込まれていく。
ザッ……ザッ……ザッ……
その時──何かが近付いてくる音が聞こえた。
姿は見えない。
私は反射的にしゃがみ込み、乾いた草の陰に身を潜めた。
息を止めて耳を澄ます。
跳ねるような、小さな生き物の気配。
草の隙間から、そっと覗いた。
そこにいたのは──ウサギのような形をした、小さな生き物だった。
草の間で、小さく跳ねていた。
丸い体。短い耳。ふわふわの白い毛。
「かわいい……うさぎ、なの?」
体の中の緊張が、少しだけほどけた。
その瞬間──跳ねる動きの途中で、ふいにこちらへ顔を向けた。
「うっ……」
顔の正面に、六つの目がぎゅっと寄り集まって並んでいた。
それを見た瞬間、喉の奥がひきつり、吐き気がこみ上げる。
私は口を押さえ、胃の奥がぐらりと揺れるのを必死にこらえた。
その魔物の頭上には、またしても青い光の文字が浮かんでいた。
【レベル8】
ウサギのような魔物は、草をかきわけるように私のすぐ近くまで来た。
空気がひやりと変わる。
レベル3とは比べものにならない圧が、肌をじわじわ押してくる。
私は息を止める。
心臓が痛いほど脈打つ。
(……近い……こんなに……)
一歩でも動いたら、胸の鼓動の音さえ聞かれそうで、身体が固まる。
魔物は──
私の足元のすぐ横を、まるで“そこに何もない”かのように通り過ぎた。
「……なんで?」
理由なんて思いつかない。
ただ、さっきのレベル3の時と同じように──
“たまたま”別のものを追っているだけ、そう思うしかなかった。
考えがまとまらない。
ウサギのような魔物が見えなくなった後──
(……あれ?)
胃の奥が、じわりと沈むように重くなる。
空腹というより、身体の内側からゆっくり力が抜けていくような感覚。
落ちてきてから数時間しか経っていないはずなのに、まるで何日も何も食べていないみたいな脱力感が広がっていく。
息を吸うたび、体の中がスカスカになっていくようで、立っているだけで足に力が入らない。
「くっ……」
視界がにじみ、私は両膝から崩れ落ちるように地面へついた。
砂の冷たさが膝を通してじわりと伝わる。
呼吸が浅くなる。
指先が震え、視界の端が暗く滲む。
自分の顔が、混濁したようにぼやけているのがわかる。
「……私……死ぬ……の?」
その言葉は、考えたわけじゃない。
体の奥が勝手に察して漏れた“本能の声”だった。
そして──
そのすぐあとに、もうひとつの声が浮かんだ。
「……なにか……食べなきゃ……」
それもまた、理屈ではなく、生きようとする身体が勝手に発した声だった。
そのとき──草の間で、かすかに光るものがあった。
「こ、これ……」
あの白い芯のようなもの。
その表面に残る、ほんのわずかな赤い光が、暗くなっていく視界の中で、神秘的に揺れて見えた。
まるで、沈んでいく意識を呼び戻す灯りみたいに。
手を伸ばすと、白い芯は生き物の体温みたいに、じんわり温かかった。
「……これ……食べ……」
自分の声が、自分のものじゃないみたいに聞こえた。
その瞬間──
頭の奥で、ふたつの声がぶつかった。
『食べろ』
『食べてはいけない』
どちらも自分の声なのに、どちらも自分じゃない。
意識が混濁して、境界がぐちゃぐちゃに溶けていく。
「……でも……食べないと……死ぬ」
その言葉は、理性じゃない。
体の奥が勝手に叫んだ“生きたい”という声だった。
震える指が、勝手に白い芯をつまむ。
止めようとしても止まらない。
身体が、飢えた動物みたいに動く。
そして──
赤い光の部分だけを、こそげ取るように、むさぼるように口へ運んだ。
「……んぐ……っ……!」
それは、上品さの欠片もない、
“生きるために食う”という、ただそれだけの行為だった。
──瞬間。
ふわり、と溶けた。
驚くほど優しい甘さが舌に広がり、さっきまで身体を支配していた脱力と命の危機を、一気に吹き飛ばした。
体の中に、じわじわと温かさが戻ってくる。
呼吸が深くなり、視界の暗さがゆっくり晴れていく。
「……はぁ……っ……」
砂の上に手をつき、しばらくその場で息を整えた。
その静寂の底で、遠くから、低い振動がひとつ響いた。
ズシン……
両手と両膝を地面につけていた私は、その微かな揺れを体の芯で感じた。
「……え?」
砂がほんの少し跳ねる。
腕が、かすかに震える。
ズシン……
ズシン……
一歩ごとに、振動が強くなる。
地面が、低くうねるように震え、私の身体を下から突き上げてくる。
ズシン……
ズシン……
ズシン……
振動が近づくたび、砂が細かく跳ね、私の身体も小刻みに震え続けた。
そして──
草の向こうから、巨大な影がゆっくり姿を現した。
背丈は、私が見上げてもまだ余るほど。
ひび割れた皮膚の隙間から黒い煙が漏れ、呼吸のたびに、胸の奥でゴウッと炎が燃えるような音が響く。
顔の中央に、巨大な“ひとつ目”。
その目は──
身体の特徴とは釣り合わないほど澄んでいて、表面はぬるりと濡れているような、不気味な艶があった。
その目が私をしっかり捉えている。
そして、その上に浮かぶ青い光の文字。
【レベル15】
「……じ、じゅう……ご……」
その数字が、体の中にずしりと沈んでいく。
身体が硬直して、動けない。
でも──次の瞬間、
ひとつ目が鋭く向きを変えた。
視線の先には──
六つ目のウサギのような魔物。
レベル15の巨体が、獲物に狙いを定めた。
そして、私の存在など最初からなかったかのように襲いかかった。
──数秒後。
遠くで、何かが潰れるような、断末魔のような音が響いた。
それが何であるか、見なくてもわかった。
やがて、足音と揺れが遠ざかり、草原には静けさが戻った。
レベル15の魔物が通った跡は、草が帯状に踏み潰され、地面がむき出しになっていた。
その踏み跡の先に──黒いものが転がっている。
「あっ!」
反射的に駆け寄り、私はそれを抱きしめていた。
リュックサック。
私の。
砂まみれで、ベルトはちぎれかけているのに、抱きしめた瞬間──いつもの匂いがした。
震える手でファスナーを開ける。
中には、割れたスマホ、ペンケース、ノート、小さなハサミ、絆創膏、そしてポーチ。
私はポーチを開けた。
その中身を見た瞬間、指が自然に動いていた。
リップクリーム。
砂埃で乾ききった唇に、そっと塗る。
ほんの少しだけ、甘い香りがした。
──その瞬間、張りつめていた何かがふっと切れた。
ぽたり、と涙が落ちる。
声は出ない。
泣くつもりなんてなかったのに、勝手に涙だけがこぼれていく。
私は手の甲で涙を拭い、深く息を吸った。
そして、リュックを背負い、乾いた風の中へ、また一歩を踏み出した。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!