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莉久⚁⚄[低浮上]
33
#ご本人様には関係❌
第1話 それはこっちの台詞だ
爪が、龍清の左上腕を裂いた。
金属製の訓練枠が床へ倒れた音と、その影が視界を横切ったのは、ほとんど同時だった。
人型化準備区域の訓練室。
向かいにいた肉食獣由来の半獣型霊獣は、考えるより先に身を翻した。頭上から襲われると判断し、防ぐために振るった腕。その先に残っていた鋭い爪が、龍清の衣ごと腕を掠めた。
裂けた箇所から、人間の血の代わりに淡い香が散る。
半獣型の男は大きく目を見開いた。
もう一度腕が動きかける。
「下がれ」
龍清は声を荒らげなかった。
低く、はっきりと告げる。
「俺から三歩。壁際まで下がれ」
男の呼吸は乱れていた。肩が上下し、喉の奥から唸りが漏れている。それでも龍清の声を聞くと、床を踏みしめながら一歩ずつ後退した。
「そのまま。爪を収めろ」
指先が震える。
やがて、伸びた爪がゆっくりと人型の指へ戻っていった。
「止まれ」
男は壁際で止まった。
龍清はそこで初めて、自分の左腕へ目を落とした。衣が裂け、その下から香が細く漏れている。
深くはない。
腕も動く。
だが、確認もせずに大丈夫だと決める場面ではなかった。
「龍清、腕を」
近くにいた職員が駆け寄ってくる。
「ああ。分かってる」
龍清は短く答え、訓練室の中を見回した。
「ほかに怪我人は?」
「いない」
「倒れた器具を固定してくれ。あとは引き継ぎを頼む」
それから、壁際に立ったままの男を見る。
男は自分の指先を見つめていた。爪はすでに収まっている。それでも、そこにまだ龍清を傷つけた感触が残っているように、拳を固く握りしめていた。
「……上から来ると思った」
掠れた声が落ちる。
「避けるより先に、払った。お前がいるのは、分かっていたのに」
「そうか」
「俺は、お前を傷つけた」
「ああ」
龍清は否定しなかった。
「それは記録する」
男の顔が強張る。
「ただし、俺の声を聞いて自分で止まったことも、自分から距離を取れたことも記録する」
「傷つけたのに?」
「傷つけた。それも事実だ。止まれた。それも事実だ」
龍清は男の目をまっすぐ見た。
「片方だけで、お前を決める必要はない」
男はしばらく黙っていた。
やがて、固く握っていた拳をゆっくりと開く。
「……分かった」
「今は呼吸を戻せ。続きは、引き継ぎの職員と確認しよう」
男が頷いたのを見届け、龍清は職員へ後を任せた。
*
「香脈の表層損傷です。深部までは達していません」
処置室で傷を確認した医療官は、淡々と告げた。
「香漏れも、処置すればすぐに収まります」
「なら、大丈夫そうだな」
「大丈夫かどうかを決めるのは、処置を受けてからにしてください」
「はいはい」
「返事を軽くしない」
「分かった。悪かったって」
龍清が苦笑すると、医療官は呆れた顔をしながらも、傷へ処置を施した。
香漏れを抑える薬剤が塗られ、その上から処置布が巻かれていく。
「今日は左腕をなるべく使わないでください。帰室後、一度処置布を交換すること。香漏れが再開した場合は、もう一度来てください」
「分かった。助かる」
今度は真面目に答えた。
事故を起こした半獣型霊獣の状態確認も、ほかの職員への引き継ぎも済んでいる。残っているのは事故記録だけだった。
龍清は職員室へ戻ると、起きたことを順番に記録した。
訓練器具の転倒音。
視界を横切った影。
防衛反応による爪の展開。
自分が負傷したこと。
制止の声が届いたこと。
対象者が自ら爪を収め、距離を取れたこと。
どれも省かなかった。
書類を整理し、引き継ぎ内容をもう一度確認しているうちに、勤務終了の時刻を少し過ぎた。
立ち上がって資料を棚へ戻したところで、左腕の処置布がずれていることに気づく。
医療官から、なるべく使うなと言われたばかりだった。
「……使わずに仕事が終わるなら、苦労しないんだけどな」
誰にともなく呟き、龍清は片手で処置布を巻き直した。
傷口は塞がっている。
香漏れも、ほとんど感じない。
少しくらい緩くても問題ないだろう。
そう判断して、龍清は自室へ戻った。
*
自室へ戻ると、龍清は先に夕食の準備を始めた。
左腕を庇いながら食材を切り、鍋へ入れる。片手だけでは多少やりにくかったが、できないほどではない。
並べた器は、最初から二人分だった。
しばらくして、扉の外に重い足音が近づいてきた。
聞き慣れた歩調だった。
扉が開き、大柄な男が入ってくる。
かつて天灯院の利用者だった熊由来の霊獣は、今では完全な人型を保ち、戦闘任務を担っている。
任務装具には刃が擦れた跡が残り、肩当てには黒い汚れが付着していた。大きな負傷こそ見当たらないが、その立ち姿には隠しきれない疲労が滲んでいる。
龍清は熊の全身へ素早く視線を走らせた。
「おかえり。……おいおい、ずいぶん派手に汚してきたな。怪我はなかったか?」
返事をする前に、熊の動きが止まった。
鼻が微かに動く。
いつもの龍清の香に混じった、ごく薄い乱れ。
処置布の下から滲む、負傷時特有の香を嗅ぎ取ったらしい。
熊の視線が、龍清の左上腕へ落ちる。
「……それはこっちの台詞だ」
コメント
1件
いやもう、最初から最後までエモすぎたよ…!!😭💕 龍清の「片方だけで、お前を決める必要はない」って言葉、めっちゃ刺さった。傷つけた事実と、ちゃんと止まれた事実、両方向き合うって、そういうリーダー像かっこよすぎるでしょ…!熊が帰ってきて「それはこっちの台詞だ」って締めも、もう胸熱すぎる!!!続き気になりすぎる〜!!✨