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時間は、城谷月乃が雨宮霊能事務所に連絡した直後まで遡る。
電波の都合上、携帯を使うために一度狂山から下山した月乃だったが、彼女自身、今の事態を完全に受け入れられているわけではなかった。
あの時確かに、雨宮浸の霊力は完全に途絶えた。だが荒れ狂う鬼彩覇の霊力に阻まれ、社の中へ入ることが出来ず、まだ遺体の確認が出来ていない。
霊力が途絶えたということは霊魂の消滅を意味すると言っても良い。だがそれでも、遺体を確認するまでは信じたくないというのが月乃の本音だ。
体力的にもかなり厳しかったが、だからと言って遺体をそのままにしておくわけにはいかなかったし、何よりもしかしたら……という思いを捨て切ることが出来なかった。
(……何度経験したって、慣れるものじゃないか……)
霊滅師として戦い続ける月乃にとって、親しい人間が消えることは珍しいことではない。それでも毎回、こうして動揺してしまう自分がいる。
どうにか社付近まで登る頃には、息も絶え絶えになっていた。
無理もない。少ない睡眠時間で無理矢理活動し続けた上に、狂山を往復したのだ。いくら月乃と言えども、体力には限界がある。
社の周囲で荒れ狂っていた霊力は落ち着きを見せていた。そして月乃は、あることに気がついて目を見開く。
「――――っ!」
月乃はすぐに、社の中へと駆け出していった。
***
吐々の繰り出す触手を、露子はどうにか回避し続けている。
しかしいくら鍛えているとは言え、露子の体力ではかわし続けるのにも限界がある。更に露子には、自分の体力以上の懸念があった。
(なんとかして……アイツを助けてやらないと……!)
絆菜を包む夜海の黒い炎は、まるで消える気配がない。以前受けた時よりも火力が高いのか、絆菜は反撃出来ないまま焼かれ続けていた。
なんとか隙をついて夜海に攻撃したいところだが、それでは先程のように吐々の攻撃を受けてしまうことになる。
なんとか打開できないかと露子が思索する中、おもむろに絆菜が立ち上がった。
「……露子。最悪の場合は……頼んだぞ」
「ちょっと、何する気よ!?」
そして次の瞬間、絆菜の右腕が歪に膨張し始める。
「アンタ……っ!」
絆菜の霊魂が、凄まじい速度で淀んでいくのが理解出来る。彼女は今、自らの意志で自身の悪霊化を早めているのだ。
それを露子が止める間もなく、絆菜はすかさずその右腕を夜海へと向けた。
「……チッ!」
気づいた吐々がすぐに触手を数本絆菜へ向かわせたが、絆菜は止まらない。身体に噛みつかれながらも、絆菜の突き出した右腕は伸びながら膨張と収縮を繰り返していく。
そしてその歪な肉の塊の中から、女の上半身が現れ、夜海と目を合わせてニヤリと笑った。
「っ……!」
それは赤羽絆菜自身の姿だ。その上半身が、両手で夜海の肩を掴んで固定する。夜海はなんとか逃げ出そうともがきながら黒い炎を放ったが、決して放されはしなかった。
そしてばっくりと、物理的にその絆菜の胸元が鋭い牙を覗かせながら開き、夜海へ噛み付く。
「かっ……っ!」
「陰子!」
鋭い牙に身体の両サイドを貫かれ、夜海は苦悶の声を上げた。
そして吐々が夜海に気を取られたその隙を、朝宮露子は見逃さない。
「クソがッ!」
急速に接近し、跳躍した露子は吐々の頭目掛けて薤露蒿里の銃口を向ける。それとほぼ同時に、吐々の触手の内一本が露子へと伸びた。
「終わりよっ!」
「死ねやァッ!」
放たれた弾丸が、吐々の顔面を撃ち抜く。それと同時に、露子の横っ腹に触手の牙が喰らいついた。
深手を負いつつ、露子が地面に叩きつけられる。
「ク……ソ……が……」
そして次の瞬間には、薤露蒿里が吐々の頭部で炸裂した。
頭を失ってぐらりと揺れる吐々の胴体に、露子はリロードすると躊躇なく薤露蒿里をもう一度撃ち込む。
薤露蒿里によって爆散する吐々の霊魂が急速に消滅していくのを感じて、露子は勝利を確信した。
「……やっ……たわね……」
絞り出すような声音でそう言った後、すぐに露子は絆菜の方へ視線を向ける。
先程までほとんど悪霊だった絆菜だったが、今ではほとんど元の姿に戻っており、ふらふらと露子の方へ歩いてきている。
薄れ始めている露子の意識では、夜海が祓われたかどうかを判断することさえ出来ない。やがてすぐそばで絆菜が倒れたのを確認してから、露子は意識を完全に手放した。
***
冥子と八尺女。二体の凶悪な怨霊と対峙していながら、和葉は一歩も退かない。
以前の和葉なら、霊感応によって精神を掻き乱されてまともに動けなくなるような相手だったが、半ば意識的に和葉は感覚をシャットアウトしていた。
「困ったわねぇ。通して欲しいのだけど」
挑発するような声音の冥子だったが、和葉は動じない。盾を構えたまま、絶対に通さないという意思表示だけをして見せる。
「まあ良いわ。押し通らせてもらうだけだから」
そう言って冥子が顎で指示を出すと、八尺女の両腕が伸びる。両腕は真っ直ぐに盾に向かって伸びていたが、その寸前で軌道を変え、盾の内側に向かって曲がっていく。
しかし和葉は動じない。
その両腕は、和葉には当たらずに弾かれた。
「あなた本当に……とっても才能があるのねぇ」
和葉の周囲は、和葉の霊力によって守られていた。
霊壁よりも、これは結界に近い。
和葉には結界を張るような技術はないが、和葉の持っている霊盾(れいじゅん)は和葉の霊力を結界として出力する力がある。
そう、この盾こそが詩袮が特注で用意した和葉の”武器”だ。
倒すことよりも守ることに特化したこの盾は、膨大な霊力を持つ和葉だからこそ扱える代物だ。この盾は正面だけでなく、和葉の周囲を360度防御するものだ。その防御範囲を可能にするには、和葉程の霊力がなければ難しい。
「……面白いわ」
興味深そうに、冥子はそう呟く。
「だったらどれだけもつか……試してあげる」
そう言って口角を釣り上げると、冥子は高速で和葉に接近する。驚いて目を見開く和葉目掛けて、冥子は左手の大鎌を薙いだ。
その瞬間、和葉の周囲の結界は崩壊する。
「っ……!」
一瞬怯んだ和葉だったが、思い切って盾を押し出して冥子へぶつける。大したダメージこそないものの、少しだけ後ろに押し出された冥子は再び笑みを浮かべた。
「……あと何回もつかしらねぇ」
冥子の言葉と同時に、今度は八尺女の腕が二つの方向から伸びてくる。
「ぽ、ぽ、ぽっ……」
一度は破壊された結界だが、和葉は即座に霊盾を通じて結界を展開する。なんとか間に合ったのか、八尺女の腕は和葉の結界によって弾かれた。
「くっ……!」
そして再び、冥子の大鎌が和葉の結界を破壊する。
「二回目。まだいけるかしら?」
言いつつ、冥子は盾ごと和葉を蹴り飛ばす。
「つっ……っ……!!」
その細い足からは考えられない程の威力で蹴り飛ばされ、和葉は蔵の壁に背中から激突する。そんな和葉を、伸びてきた八尺女の手が掴んだ。
そのまま地面を引きずられながら、和葉は八尺女の足元まで引き寄せられる。そんな和葉に噛みつこうと口を開ける八尺女だったが、それを冥子は右手で制した。
「ねえ」
早足で歩み寄り、冥子は真っ黒なヒールで和葉の背中を踏みつける。
「ずっとこうしてるつもり?」
冥子の問いに、和葉は答えない。
それが気に食わなかったのか、冥子は苛立った様子で足に力を込めた。
「そういえばいないけど、もしかして浸を待ってるの?」
冥子の言葉に、和葉がピクリと反応を示す。
「……浸さんは……来ません……」
震える声で和葉がそう呟くと、何か察したのか冥子は声を上げてゲラゲラと笑い始めた。
「あらそう! 死んだの? あの子、結局死んだのね?」
「っ……!」
「本当に、惨めで無様で情けないったらないわねぇ! 何も出来ない癖に、何もない癖に必死で駆けずり回って、結局何も出来ずに死んだのねぇ」
大声で嘲笑し、冥子は再び和葉を踏みつけようとする。しかしそれは、和葉が張り直した結界によって弾かれた。
「馬鹿にしないでください! 私の大事な人を、浸さんを馬鹿にしないで!」
「前にも言ったでしょう? 事実を述べているだけよ。何も出来ない、何もない、何も救えない、雨宮浸はただの人間よ。神格化しちゃって馬鹿みたい」
冥子がそう告げた瞬間、和葉の結界が膨れ上がる。
その想定外の霊力に、冥子は思わずその場から数歩退いた。
「……何もなくなんかない」
ゆらりと。和葉が立ち上がる。
傷口が開いたのか、その肩には血が滲んでいた。
「何も出来なくなんかない。何も救えなくなんかない!」
――――あなたのような人だけなんですよ。ああいう霊の名前を呼んであげて、未練を少しでも晴らしてあげられるのは。
あの夜があったから。
あの言葉があったから。
あの時、雨宮浸が手を差し伸べたから。
和葉はその手を掴むことが出来た。
うずくまって下を向いているだけの和葉が前を見て、ちゃんと歩けるようになれた。
毎日が楽しいって、ようやく思えるようになった。
「だって私は、救われたから」
早坂和葉を救い出したのは、他の誰でもない雨宮浸だ。
「私は! ……私だけじゃない! 沢山の人達が! 浸さんに救われたんだ!」
彼女はいつだって手を差し伸べていた。
和葉だけじゃない。沢山の依頼人を救ってきたし、赤羽絆菜だってその一人だ。
「浸さんが守ってきたもの、守ろうとしてきたものを……あなたなんかに壊させたりしない!」
どうしてかその言葉は、冥子にとってひどく耳障りだった。
柄にもなく顔をしかめ、冥子は大鎌を和葉へ振る。
「――――っ!?」
だがその大鎌は、和葉の結界によって完全に弾かれた。
木霊神社の結界をも破壊する冥子の一撃を、たった一人の少女が完全に防ぎきったのだ。
「私は鋼のゴーストハンターだ! あなたが何をしたって、何度だって立ち上がる! 絶対に守ってみせる! 私は負けない……あなたなんかには絶対!」
「だったらやってみなさいよ」
凍てつくような声音で、冥子はそう言いながら大鎌を振り回し、結界に何度も叩きつける。そんな冥子にならうようにして、八尺女も和葉の結界に対して攻撃を始めた。