テラーノベル
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荒野を歩き始めてから、もう何度も魔物に遭遇している。
今日だけで十回以上はすれ違った。
しかも──歩けば歩くほど、魔物の数が増えてきている気がする。
まるで、どこかへ吸い寄せられているみたいに。
魔物たちは、私たちを見つけると、最初は決まって同じ反応をする。
「……人間じゃねぇか。」
その声は、もう“言葉”としてはっきり聞こえる。
魔物の視線は、まっすぐ私──レベル1の弱者──に向けられていた。
ぎらり、と目が光り、魔物は一歩、こちらへ踏み出す。
来る。
喉がひゅっと細くなる。
足がすくむ。
だが、その瞬間だった。
魔物の視線が、私の横に立つ真帆へ移る。
その瞬間、魔物の喉の奥から、「……グッ……」
と、濁った音が漏れた。
さっきまでこちらへ踏み出していた足が、砂を引っかくようにして止まる。
魔物は一歩、二歩と後ずさりし、肩をすくめるようにして距離を取った。
「……ムリだ……あいつは……」
低く押しつぶしたような声が、砂の上に落ちて消える。
真帆はそれを気にする様子もなく、「おー、またいた」くらいの軽さで通り過ぎていく。
私は、その背中を見て、胸の奥で小さく息を吐いた。
まあ、そうなるよね。
真帆はレベル70。
魔物から見れば、そこら辺の魔物よりよっぽど“脅威”だ。
襲いかかろうとして、真帆を見て、諦める。
それは、魔界では当たり前の反応なのだろう。
……ただ、さっきの魔物の“怯え方”は、ほんの少しだけ、引っかかった。
理由は分からない。
でも、胸の奥が一瞬ざわついた。
真帆の甲冑が、かちゃり、かちゃりと一定のリズムで鳴っていた。
その音に合わせて歩いていた私は、しばらくして、ふと立ち止まってしまった。
「……私、赤い光……食べてない。」
思い出すように、独り言みたいに口から漏れた。
真帆が振り返り、首をかしげる。
「どういうこと?」
私はゆっくりと顔を上げ、自分でも驚くほど神妙な声で言った。
「なのに……レベル、上がったんだよね。」
真帆は、まるで大したことじゃないみたいに言った。
「え? そりゃそうだよ。赤い光は関係ないってば。」
「……関係ない?」
「うん。レベルが上がるのは“殺した時”。赤い光はただの礼儀。殺した証みたいなやつ。」
「礼儀……?」
「そう。魔物同士の“いただきます”みたいな文化。食べても食べなくても、レベルは変わらないよ。」
真帆は軽く肩をすくめる。
「レベルはね、殺した相手のレベルに応じて上がるんだって。弱い魔物ならちょっとだけ。強い魔物を殺せば、そのぶん一気に上がる。」
そこで真帆は、当然のように付け加えた。
「ゲームと一緒だよ、RPGの。強い敵倒したら経験値ドーンってやつ。」
あまりにも軽い言い方に、私は思わずまばたきをした。
ここ現実なんだけど……。
でも、真帆の説明は妙に分かりやすくて、逆に反論できなかった。
「でも……食べると、空腹が癒されるよね?」
「ああ、それは私たちだけみたい。」
真帆はあっさり言う。
「魔物はお腹減らないんだって。」
「……なんでそんなに詳しいの?」
真帆はにこっと笑った。
「魔物に聞いた。もちろん“脅して”だけど。」
……いや、脅して聞くのは、魔物の常とう手段でしょ……。
なんで誇らしげなの。
胸の奥で、あきれと脱力が同時に落ちていく。
私の10日って……何だったの。
記録も観察も“生存のルール”も、全部、勘違い?
砂の上に立つ自分の影が、少しだけ頼りなく揺れた。
真帆がふいに声を落とした。
「そういえばさ、人間を殺した時って……なんか“特別な力”が宿るらしいよ。」
「……特別な力?」
「うん。魔物が言ってた。でも、その“力”が何なのかは──誰も口を割らなかった。」
「脅して聞かなかったの?」
「興味ないし」
真帆は本当にどうでもよさそうに言った。
私はまばたきをした。
興味ないんだ……と胸の奥が少し沈む。
そこは聞いてよ、と言いたくなる。
口を割らない魔物なら、脅して聞けばいいのに。
小さく息が漏れた。
魔物なんて、これから先いくらでも会う。
聞こうと思えば、いくらでも聞けるはずだ。
気づけば、妙に現実的な考えに落ち着いていた。
そんな軽い感じの真帆だけど──
千夏のことになると、空気が変わる。
足取りはいつも通りなのに、その一歩一歩が“迷い”なく進んでいく。
千夏のことを、本気で探している歩き方だった。
歩きながら、真帆は出会う魔物に次々と声をかけていく。
「人間、見なかった?」
角の生えた魔物が、のそりと顔を上げる。
「……にんげん? ああ……“そっち”に流れてった気がする。」
少し進むと、甲羅のような背中の魔物がいた。
「人間、見た?」
「“あっち”……いや、“そっち”か……どっちかにいた……」
魔界には東西南北の概念がないらしい。
彼らは“あっち”とか“そっち”とか、曖昧な指示しか出さない。
普通なら迷うはずなのに──
真帆は迷わない。
魔物が指した方向を、そのまま伝言ゲームのように辿っていく。
原始的だけど、妙に確実だった。
その時、前方から、ざわざわとした声が聞こえてきた。
「……にんげんだ……!」
「囲め……逃がすな……!」
複数の魔物が、砂の上で何かを取り囲んでいる。
背中越しに見えるその輪は、まるで獲物を囲む獣の群れのようだった。
その中心から、かすかに──女の悲鳴が聞こえた。
「やっ……!」
風にちぎられそうなほど弱く、それでも確かに“助けを求める声”だった。
その瞬間、真帆の足がぴたりと止まった。
いつもの軽い顔つきが、すっと消える。
代わりに浮かんだのは、鋭く、冷たいほどの緊張。
次の瞬間──
真帆が怒号を上げながら、輪へ突っ込んでいった。
「う、あああああッ!!」
「千夏に……触るなぁぁ!!」
砂が爆ぜ、甲冑が鳴り、真帆の叫びは、魔物たちのざわめきを一瞬でかき消した。
魔物たちが驚き、輪が崩れる。
真帆は隙間から中心を覗き込んだ。
そこには──
明らかに“人間”の死体があった。
胸元から、赤い光の球体がふわりと浮かんでいる。
もう、死んでいる。
真帆の肩が、わずかに震えた。
次の瞬間だった。
甲冑が鳴り、刀が閃く。
魔物たちの喉から、断末魔になりかけた声が漏れかけ──
しかし、それすら最後まで形にならなかった。
真帆の怒りは、“叫ぶ暇すら与えない”ほど鋭く、速かった。
肉片が飛び、魔物の血が砂に散り、赤黒い飛沫が真帆の甲冑に降りかかる。
私は声を失った。
そこに立っているのは──
もはや“人間”ではなかった。
甲冑を着た影。
ただ立っているだけなのに、周囲の空気がひどく冷たく、重く感じられる。
「真帆!!」
私の叫びが、ようやく真帆の耳に届いた。
真帆の動きが止まる。
刀先が、砂の上でかすかに揺れた。
ゆっくりと振り返った真帆の顔は、血と砂にまみれ、目だけが、どこか遠くを見ていた。
まるで、自分が何をしたのか、まだ理解していないような表情だった。
「千夏ーーー!!」
真帆の叫びが、砂漠の空気を裂くように響いた。
けれど、その声はどこか遠くで鳴っているように聞こえた。
私は、その場にへたり込んだ。
膝が砂に沈み、力が抜けて、立っていられなかった。
見上げた魔界の空は、色も温度も分からないほどぼやけていて、自分が抜け殻になったみたいだった。
千夏が死んだ。
その事実だけが、胸の奥に、冷たい石みたいに沈んでいく。
真帆の叫び声が、まだ遠くで響いていた。
でも私は、ただ空を見上げることしかできなかった。
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