ルカロに使者を送ったところ、一週間後に迎えが来るらしい。
さすがにフロル教の祭礼である誕生祭を、教皇が見届けないわけにはいかない。
アルージエは別れまでの時間を惜しみながら日々を送っていた。
それは一家が朝食を囲んでいるときのこと。
アルージエはフェアシュヴィンデ一家と他愛のない話をして、他愛のない日々を過ごしていた。
「きたわね」
シャンフレックが何かを感じ取ったように顔を上げた。
彼女の視線の先、窓の外──公爵家の庭園に、駆ける白馬の貴公子。
美しい茶髪を靡かせて、碧色の瞳でまっすぐに屋敷を見つめている。
その遥か後方に、彼を慌てて追う馬車の一団があった。
アルージエも彼の顔には見覚えがある。
そう、彼こそは兄フェアリュクト・フェアシュヴィンデ。
「シャルー! いま帰ったぞぉおおおー!」
気がつけば雷光のように。
フェアリュクトは屋敷の扉を開いていた。
『雷光獅子』の名を冠するだけのことはある。
アガンがフェアリュクトを四人のもとへ案内して迎え入れた。
さて、食事を囲む皆を見た彼の反応はこうだ。
まずシャンフレックの顔を見て頬を緩め、次に両親の顔を見てきりっとした表情に戻り、最後にアルージエの顔を見て腰の剣に手をかけた。
「貴様、ルカロ教皇だそうだな」
「あ、ああ……その節は失礼した。勝手に脱獄したことは申し訳ないと思っているが、僕にも事情があるので……」
「ほう。まあ、それはどうでもいい。シャルに変なことをしていないだろうな」
教皇を相手に態度を軟化させない兄を見て、シャンフレックは『これはダメだ』と頭を抱えた。もしもアルージエから求婚されたなんて言えば、激怒して剣を振り回すだろう。
「変なこと……とは、たとえば婚や……」
「お兄様! まずはやるべきことがあるのでは?」
アルージエは案の定、「婚約」と口を滑らせかけた。
彼は馬鹿正直なので、すべて正直に話してしまうのは予想できていた。
慌ててシャンフレックが口を挟み回避。
「やるべきこと? ああ、そうか。」
フェアリュクトは真っ赤な絨毯に膝をつき、高い上背をシャンフレックが見下せるように跪く。
「ただいま戻った、愛しき妹よ。息災だったか? 怪我はしていないか? 何か不安だとか、悩みがあればすぐに言うんだぞ。この黒髪の男に変なことをされているとかな。シャルに不敬を働く者は、即座に俺が叩き斬ってやる。
……ああ、父上と母上もお久しぶりです」
ついでと言わんばかりに、フェアリュクトは両親に軽く会釈する。
矢継ぎ早に言葉を紡ぐ彼を、アルージエは刮目して見ていた。
非常に深い家族への愛……というよりも妹への愛だ。
こんな人間は見たことがない。
ファデレンは呆れたように腕を組んだ。
普段から元気なトイシェンもさすがに苦笑いしている。
「まずやるべきこと。それは聖下への謝罪だろう、フェアリュクト?」
「そうよ? 下手したら国際問題になりかねないのよ?」
手紙にも謝罪のために領地へ帰還されたし……と記されていた。
しかし、フェアリュクトは謝罪をするために来たのではない。
「いえ、いかに教皇聖下が相手であろうとも謝罪する気はありません。この男はシャルに許可も得ず、恋文を書いたのですから」
「恋文……? そんなものを書いた覚えはないが」
「白々しいぞ! フロル教の長ともあろう者が、噓偽りを述べるなど……教義に反しているのではないか!?」
顔を真っ赤にして糾弾するフェアリュクトだが、アルージエには自覚がなかった。
シャンフレックや両親は彼の性質を知っているので、『また思い込みか……』と呆れかえっている。
「お兄様。それは勘違いかと思われます。試しにそのお手紙を拝見しても?」
「ああ、もちろん。ニヒト!」
いつしかフェアリュクトに遅れて辿り着いていた馬車の数々。
その中からひょっこりと金髪の少年が顔を出す。
専属従者のニヒトは、恐る恐るアルージエの荷物を持ってきた。
「こちら、教皇様の荷物になります……お手紙はこちらに」
机上に置かれたのは、アルージエが携行していた荷物。
そしてフェアリュクトの屋敷で書いた、シャンフレック宛ての手紙だった。
シャンフレックはアルージエに確認する。
「読んでもいい?」
「もちろん。きみに宛てたものだからな」
シャンフレック封がされていない手紙を開け、書面に目を通し始めた。
最初は時候の挨拶から始まり、徐々に内容に入っていく。
(あれ……?)
教皇という旨は明かされず、十年前の惨劇で救ってもらった感謝だけが綴られている。それは間違いないのだが。
「どうだろうか。フェアリュクト殿が言うように、恋文ではないだろう?」
(いえ、これは……)
正直、兄がラブレターだと勘違いしても仕方ない。
それくらいに情熱的な内容だった。
直接的に告白などは書かれていないが……
「そ、そうね! ぜんぜん恋文じゃないわ!」
だが、ここは強引に普通の手紙ということにしておく。
アルージエの性格を考えると、おそらくこれが彼の普通の文章なのだ。
「というわけで、お兄様はアルージエに謝罪しなさい」
「チッ……まあ、シャルがそう言うのなら仕方ない。すまなかったな、教皇聖下。この通りだ」
「ああ。そもそも最初から怒っていないのでね。幼いころ、グラバリを襲った賊を殲滅してくれたのはフェアリュクト殿だ。貴殿にも感謝している」
フェアリュクトは非常に不服そうだった。
子どもが無理やり謝罪させられているように。
「とりあえず、これで一件落着ね。これでよろしい、お父様?」
「あ、ああ……聖下がお許しにならば何も言うまい」
なんだかんだで騒動を丸く収め、シャンフレックは胸をなでおろした。
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