レイは額の髪を払い、キスを落とす。
優しい優しい唇。
それを受けて、切なくて胸が詰まった。
レイの気持ちは苦しいほど嬉しい。
私の気持ちに応えてくれて。私を選んでくれて。
だけど……かわりにお父さんを諦めるなんて、寂しすぎるよ。
「大丈夫、いつかお父さんはわかってくれるよ。
だって……家族だもん。
時間がかかっても、きっとレイの幸せを願ってくれるから」
レイは私の額に唇をつけたまま、かすかに笑った。
「残念だけど、そんな日はこないよ。神に誓える」
「もう、そんな悲しいこと言わないで。
今は無理かもしれないけど、レイが幸せに生きていれば、きっとくるよ。
レイだってお母さんに会って考えが変わったでしょ? それと一緒じゃないかな」
「ね?」と笑えば、レイは心底呆れた目をした。
だけど彼の瞳の奥は笑っていて、それを隠すようにため息をつく。
「本当、澪は相変わらずだな。
ありえない幻想でも、否定しちゃいけない気になるから、参るよ」
「もう、幻想なんかじゃないよ。
レイが信じないでどうするの」
むくれたふりをすれば、彼は返事のかわりに、温かいため息をこぼした。
それからレイは私から腕時計を外す。
「レイ?」
「もうかわりはいらないから。
だけど……」
そこで彼は思い出したように苦笑する。
「これを俺のかわりだと思ってだなんて、無茶だったな」
「でもレイだって、私のものが欲しいって言ってくれたじゃない。
もっと早く言ってくれたらよかったのに」
あれからレイに欲しいと言われそうなものを考えたけど、結局わからないままだった。
「そう、その話だけど」
「ん?」
「やっぱり澪の持ち物、なにもいらなかったよ」
私は一瞬黙った。
その後「そっか」と呟く。
欲しいと思ってくれたことが嬉しかったけど、レイには必要なかったんだと思うと悲しくなる。
うつむいた私は、レイがポケットからなにかを取り出すのを横目で眺めた。
「先に言っとくけど、これは母親のじゃないから」
「え……?」
「大学を卒業して、バイトして買ったんだ」
彼の手には銀色の指輪があった。
よく見れば、暗くても真新しい光沢がある。
驚いて顔をあげると、穏やかな目とぶつかった。
「あれから思ったんだ。
俺が欲しいのは澪自身だから、澪のどんなものをもらったとしても、かわりにはできないって」
レイは私の左手を取り、無造作に指輪を置いた。
「あの時、なんでもくれるって言ったよね。
それなら俺に、「広瀬澪」をちょうだい」
レイは指輪ごと私の手を握りしめた。
目の前には大好きなレイ。
そのレイが微笑んで、私の答えを待っている。
胸が詰まって返事なんて思い浮かばない。
だって……ずるいよ、そんなの。
待っているふりして、私が頷くって初めからわかっているんだから。
私は指輪を握りしめたまま、レイにしがみついた。
「ちょっと澪。 返事は?」
レイは驚いたらしく、笑いながらぽんぽんと私の背をたたく。
「……そんなのわかってるくせに、レイは意地悪だよ」
「わかってても聞かせてよ。澪の口から聞きたい」
「それが意地悪なの……!
嬉しいよ。嬉しくて死んじゃいそうだよ。
……絶対離さないでよ、お願いだから」
わめくしかできない私の背を、レイは何度も優しく撫でる。
それからレイは、私にしか聞こえない声で「ありがとう」と囁いた。
「澪は覚えてる?
初めて会った日に言ったこと」
「え……?」
「自分は野田家の家族じゃない、家族はいないって言ったんだよ。でも」
レイは私の肩をそっと押し、握った私の手を開いた。
「家族はつくれるんだよ。
いつか俺と、家族になって」
指輪を抜き取り、左手の薬指に滑らせる。
気付けば、私はレイの胸の中で声をあげて泣いていた。
レイは私を抱いたまま、困ったように言う。
「澪、顔をあげて。
まだ続きがあるのに、こんな泣かれたら言えないよ」
「だ……だって……」
レイを困らせたくなくても、涙でぐしゃぐしゃの私は顔をあげられない。
家族。
ずっと焦がれて、ずっと手に入らないと思っていたものに、レイが一緒になろうと言ってくれている。
もう心のコントロールがめちゃめちゃだ。
悲しくてもこんなに涙は出ないのに、嬉しくて苦しくて、涙が止まらない。
「澪って」
レイは苦笑して私の頬の涙を拭った。
ようやく顔を上げた時、ぼやけた視界になにかが映る。
それは鍵だった。
レイは私のポケットに入れて言う。
「さっき少し先のアパートに越してきたんだ。
今度明るいうちにおいで。
けど……まだけい子には内緒だよ」
悪戯っぽい目で、レイは人差し指を立てた。
私はつられて笑ってしまった。
小さく頷くと、レイは私に触れるだけのキスをする。
「好きだよ。澪」
唇の隙間から声がした。
さっきとは違う、切羽詰まったような響きに、泣かずにいようとしたのに涙が出そうになった。
「私も……レイのことが好きだよ。大好きだよ」
レイを好きになってから、時が経つのが怖かった。
未来なんていらないから、今が続けばいいと思っていた。
だけどもう、そんなことは思わない。
「大好きだよ、レイ。
いつか私と家族になってね」
レイと一緒にいたい。
これから先もずっとずっと。
私がおばあちゃんになって、レイがおじいちゃんになっても、ずっと。
夜風が渡る。
冷たい、けど温かい風が。
私が彼の目を見て微笑んだのと、レイが笑ったのは同時だった。
シェアビー~好きになんてならない~
-完結-
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!