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なんでここに松井さんが? と頭に浮かんだ疑問を見透かすように松井さんが喋り出した。
「ふふ。びっくりするよね。ごめん。偶然通り掛かったとかじゃなくてね。真白ちゃんに用があってここに来た」
「私に?」
「本当は絢斗を通すのがスジなんだろうけど。九鬼のオッサンに付いてちょっと色々と聞きたくてさ。そろそろ櫻井家の裁判が、無事に終わる頃合いだろうし。真白ちゃんのお母様の協力はどうかな? とか、地元の人達の雰囲気とかを知りたくて、取材をしたくて来た。ほら、絢斗を挟むと面倒、じゃなくて時間のロスになるから。僕もまた新しい事件を追っていてね。時は金なり。真白ちゃんなら分かるだろ?」
怒涛の軽快なるマシンガントークに「な、なるほど」と、何とか相槌を打つと。
「だから息抜きも込めて、美人と本当はオシャレなバーとかでワイン片手に取材と洒落込みたいけど、バレたら絢斗に殺され兼ねないからここは一つ。一杯、四百五十円のコーヒーで付き合ってくれないかな?」
パチンと指を鳴らした先に、駅近くにあるコーヒーチェン店があった。
その軽やかな物言いに、くすりと笑ってしまうのだった。
直接お礼も言いたかったし、あのホテルではお世話になった。
母も協力に乗り気だと言うことを伝えたいと思い、首を縦に振った。
「分かりました。取材受けます。でも絢斗君に一度、メッセージを入れていいですか? これから松井さんの取材を受けます。ってことを言っておきたいな、って」
絢斗君と松井さんはお友達で、松井さんは私が絢斗君とどう言う関係かは知っている。
その上で私を口説くとか。そう言ったことはないだろうと思うけど、絢斗君に変な誤解はされたくはなかった。
じっと松井さんを見つめると。
「美人のおねだりには弱いから、仕方ないね。絢斗に連絡してくれて構わない。その代わり『ホテルの最上階スカイバーで超高級ワイン、シャトー・マルゴーを奢って貰った』と、一文を足しておいて欲しい」
ニヤリと笑う松井さんに、私もまた笑ってしまうのだった。
絢斗君に今から松井さんに取材を受ける旨を連絡してから、コーヒーチェーン店に入った。
店内はオフィス街に馴染むように、落ち着いた雰囲気。上から吊るされたシンプルな照明や、角にある大きな観葉植物が映えるお店だった。
店内の端にあるテーブルを先に私が陣取り。その間に松井さんがコーヒーをオーダーしてくれていた。
ウッドベースのチェアに腰を掛け。鞄を机の下のカゴに入れてスマホをそっと机の上に置いた。絢斗君から連絡がきたら、すぐにわかるようにしておきたかった。
松井さんは取材は簡単なもので、時間はあまり取らせないと言っていたけど、ちょっとだけ緊張する。
ふうっと息を吐くと松井さんが戻って来て。私の前にトレイから、白いカップに入ったコーヒーと氷が入ったウォーターグラスを置いてくれた。
「ホットのシャトーマルゴーお待たせ。ミルク、砂糖は無しで良かったかな?」
「ふふっ。無しで大丈夫です。ホットのシャトーマルゴーありがとうございます」
つい松井さんのノリに乗ってみた。
松井さんは向かいの席に座ると、ジャケットの内側からスマホを取り出し。画面からメモ機能を呼び出して、ペンタブレットを持った。
「ま、緊張しないで。取材と言っても九鬼のオッサンの悪事がバレて。地元の人は変化を感じることがあったか? オッサンの様子を見た人はいないか? とか、そんな感じだから。その後に真白ちゃんのお母様への、取材要点を伝える段取りを想定している」
ペンをクルッと指回しする姿が、とても似合っていた。
それで問題ないと、こくりと頷いた。
互いにコーヒーを飲みながら。
しばし、こんな内容は井戸端会議と変わらないかも。大丈夫かなと思いつつ、地元で聞いたことを伝え。
私の家には何も嫌がらせなどは、起きてないことを伝えた。
松井さんはさらさらと、画面にペンタブを走らせて「うんうん。そう言う|市井《しせい》のリアル感はいいねぇ」と、熱心に書き綴っていた。
そして一通り地元の事を話し終えると。
松井さんは名刺を取り出して、その裏にボールペンで「これが僕の聞きたいことの要点」だと項目を書いた名刺を私に差し出し、それを受け取った。
「この名刺をお母様に渡して欲しい。ここからは真白ちゃんを挟むと、悪いけど手間になってしまうからね。で、お母様がその内容に納得したら。その名刺に書いてある番号に連絡をして欲しい。もちろん質問などオッケー。それで問題なかったら、あとは僕とお母様とで日程調整して取材する流れだ」
手際がいいと思った。
受け取った名刺の裏に書かれた要点は、事件の発端から裁判までの流れについてなどが知りたいと、ポイントがわかりやすく纏められていた。
「分かりました。帰ったら早速、母に渡します」
名刺を無くさないようにと、すぐに鞄の中の手帳の間に差し込んだ。
スマホを見ると22時をちょっと過ぎたところ。コーヒーも残り少ない。絢斗君からの連絡はなし。
この辺りでお暇するのがベストかなと思い。
ホテルからの一件について、お礼を述べることにした。
「あの、お礼が遅くなってしまったんですけど。ホテルの件は本当にありがとうございました。絢斗君や松井さんが居なかったら、今でもゾッとします。それに、雑誌読みました」
「ほぅ?」
ボールペンをジャケット内に戻しながら、松井さんは嬉しそうに整った眉毛をピクリと動かした。
「ちょっと前に出ていた『記者Mが九鬼氏に迫る!』ってやつです。記者Mって松井さんですよね。凄くわかりやすい内容で感銘を受けたぐらいです。ああやって記事にするまで、凄く大変だったんだろうなって。ほんと、ペンは剣より強しだなって思いました」
「記者Mは桃太郎君かもしれないし。|摩利支天《まりしてん》さんかもしれない。けど、誰かの目に止まって何か思ってくれたら、どのMさんも至上の喜びに違いない。だから、もっと買ってくれていいからね。定期購読コースをおすすめしておく」
ぱっと明るく笑う松井さん。
自分だと明かさないのは、有名になりたいからとかじゃなくて。ジャーナリズム精神が根付いているからなのだろうと思った。
これで言いたいことも言えた。
あとはコーヒーご馳走様でした。これからも記者の仕事頑張って下さいと言って、席を立つところまで思い描いたところ。
机の上に置いていた手に、松井さんの手が静かに重なり。びっくりした。
「っ、え。あのっ。松井さん?」
これは松井さんなりのジョークなんだろうか。しかし重ねられてしまった手は、やんわりと手首を掴み。何か意志めいたものを感じた。
「真白ちゃん。ここからは絢斗にオフレコ。真白ちゃんさえ良ければ、僕とこれから遊ばないか?」
すっと明るい笑顔が消えて視線が鋭くなる。
それだけでガラリと印象が変わって焦ってしまう。
「な、何を言ってるんですか。やだなぁ。松井さんたらっ。遊ぶとかって。ボーリングとかですか? それだったら、今度絢斗君と一緒に、」
「違う。ホテルのお誘いだよ」
「!」
「絢斗が入れ込むほどの真白ちゃんには、非常に興味があってね。別に僕は本命じゃなくていい。真白ちゃんが暇なときに相手をしてくれたら、それでいいさ」
それってセフレでは。
喉まで出かかった言葉をぐっと飲み込む。
何でいきなりこんな事を言うのかわからない。まるで試されているようで、ざらついた気持ちになる。
ホテルでの一件や絢斗君の友達でなければ、すぐに席を立っている。
そんなざらついた気持ちをギリギリで抑え込み。
じっと様子を伺うような、松井さんの視線を見つめ返し。
──松井さんとは揉めごとにしたくない。
穏便に済ませたい。そう思った。
これは松井さんに何かあって、気の迷いがふいに表に出てしまった結果かもしれない。
何かの間違いであって欲しいと思いながら、重ねられた手を慎重に引き抜いた。
「松井さん。《《シャトーマルゴーで酔った》》んですよね。こんなところで酔っ払うなんて、私。絢斗君に笑い話として話しちゃうかも。でも、それが悪酔いだったら……今なら私の胸の中だけに、冗談として収めておきます。だからお水でも飲んで、酔いを覚ますのは如何でしょうか?」
自由になった手で、すっと氷の欠片が小さくなったウォーターグラスを松井さんの前に押しやった。
これで思い直して欲しい。
今だったら、笑えない冗談を水に流せるからと、松井さんと押しやったグラスを見比べていると。
「……そうだね。真白ちゃんの言う通り。少々悪酔いが過ぎた。悪かった」
と言ってから、グラスを手に取り。松井さんはごくりと水を飲んだ。
その姿を見てホッとした。
良かった。
直ぐに引いてくれた松井さんの態度に、肩の力が抜けた。
松井さんにも色々と悩ましい事があって。それを発散させようとした先が、たまたま私に向いただけ。きっとそう。
流石にこれから母に取材するにあたって松井さんが母に何かするとは思わないけど。次は二人で会うことは、やめておこうと思った。
必ず絢斗君を呼ぼうと思った。
それでも松井さんに、誘われてしまうなんて残念としか言いようがない。
喉に刺さった小骨のようなチクリとした痛みを心に感じたが、ここは明るく笑うことにした。
「酔いが覚めて良かったです。私、そろそろ帰ります。あ、母にはちゃんと名刺のことは伝えておきますので、よろしくお願いします。あの、お仕事これからも頑張って下さいね」
ぺこりと頭を下げて、机の下から鞄を手に取り。ガタリと席から立ち上がると。
「真白ちゃん。一ついいかな?」
帰り際に声を掛けられてびくっとした。
けど、それを表情に出さないように平然とした態度を取った。
「はい、なんでしょうか」
「絢斗とは上手くいってる? 最近ケンカしたとかではない?」
そんな風に見えるのだろうか。それとも絢斗君から何か言われたから、私を誘ってみようとか思ったのか。
真意はよくわからないけど、キッパリと否定することにした。
「ケンカなんかしてません。上手くいってます。何も問題ありません」
「そっか。ならいい……」と言葉を松井さんは区切るが「本当、絢斗は一体何を……」と口籠り。
はぁっと大きくため息をこぼして。
「あの元顧問弁護士の引き合いが無かったら……」ぶつぶつと言いながら、後半の声は尻すぼみして消こえなかった。
最後に私の視線ではっとして。
「あ、済まない。ちょっと考えごとをした。引き止めて悪かった。悪酔いを覚ますために僕はもう少しここにいる。取材ありがとう。お母様によろしく伝えてくれ」
スッキリと笑う松井さんはいつもの様子。
先ほど私を誘った雰囲気と何か違和感を感じたけど、これ以上食い下がっても仕方ない。
今の私にはこの場を去ることが一番いいだろうと思って、もう一度頭を下げて店を後にしたのだった。