テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
恵
344
#連載小説
観察者
161
星キラリ

1,755
大広間は、まだ朝の湯気と緊張で満ちていた。
猫見こまは泣き腫らした目で立ち、猫神おりんは腕を組んだままメイドを睨んでいる。猫神あかねが妹の猫神みおを庇うように前に出、双子の猫神うめと猫神さくらが互いに手を握る。ネコキヨは仮面の奥で沈黙し、猫塚れいらが法的な注意を口にしかけて止めた。上座の猫神八千代は、生き返りこそしたものの、金色の瞳を細めて一座を見渡していた。
姫神姫が、一歩前に出た。
「推理しますでごぜぇやす!」
いつもの調子だ。加賀美は太陽穴を押さえ、黙って聞いている。
「犯人は……遠い親戚のネコキヨさんです! 仮面で表情を隠しているのが怪しいでごぜぇやす。遺産を狙って、弁護士のれいらさんと共謀し、パスタに毒を盛った! motiveは正当な血筋アピール! いかがでごぜぇやすか!」
一座がどよめく。れいらが即座に否定し、ネコキヨがゆっくりと首を横に振った。八千代が鼻を鳴らす。
「根拠が薄いニャ」
姫は自信満々だった顔を、徐々に赤らめていく。加賀美が短く息を吐き、代わりに前へ出た。
「推理は、こちらがする」
静かな声に、広間が静まる。
「まず、前提を整理する。全員が同じ大盛りパスタを食べている。症状が出たのは八千代さんだけだ。したがって、料理全体に毒は入っていない」
こまの耳が、ぴくりと動いた。
「次に、口元のアーモンド臭。青酸化合物の可能性は高い。だが、皿やソースの共有では説明がつかない。となると、八千代さんだけが口にしたもの——あるいは、八千代さんだけが使った器具だ」
加賀美は上座の膳を指差す。他の席と違い、そこには古い漆の箸が一膳、丁寧に置かれていた。
「あれは、八千代さんの専用の箸です。今朝も、こまさんが『主の箸』として別途並べていた。違いますか」
こまが小さく頷く。
「はい……代々、主だけが使う箸で……」
「その箸の先端に、ごく少量の青酸化合物を塗布する。食事のたびに微量を摂取し、蓄積ではなく、今朝は量が多めだった。だから倒れた。他の者の皿には一切手を付けていない。したがって、調理担当の猫見こまさんを疑う必要はない」
おりんの表情が、一瞬だけ強張った。
「証拠は?」
「倒れた直後、私が膳を確認した。箸の先に、他の席の箸にはない白い粉の付着があった。微量だが、現場保存してある。分析に出せば足りる。加えて——」
加賀美はおりんの方を見た。
「あなたは今朝、上座の近くを二度、通り過ぎている。一度目は挨拶、二度目は『孫の席を直す』と言って、八千代さんの箸の位置に手を伸ばしている。みおさんとあかねさんも見ていたはずだ」
みおが「見てたニャ……」と小さく答え、あかねが重い沈黙で肯定した。
「明確だ。遺産。双子のうめさん・さくらさんに分を残したい。八千代さんが『メイドにやるのもあり』と言った直後から、あなたは焦っていた。タタリより遺産、と誰かが言ったとき、最初に反応したのもあなただ」
おりんの唇が震える。否定の言葉が出かかるが、加賀美は続けた。
「毒の量が中途半端だったのも、あなたが慣れていない証拠だ。殺すつもりが、完璧ではなかった。だから八千代さんは死に切らなかった。そして——」
加賀美は姫を一瞬見る。
「姫が触れたあとに回復した件は、別途、医学的・特殊な要因も疑う。だが、犯行の構図自体は単純だ。料理は無毒。毒は専用の箸。実行者は、今朝その箸に触れたあなた、猫神おりん」
広間に、長い沈黙が落ちた。
うめとさくらが叔母から一歩離れる。れいらが「弁護士として、これ以上の発言は控えます」と低く告げ、ネコキヨが仮面のまま席を立ちかけた。こまは膝から力が抜け、その場に座り込みそうになる。あかねが支えた。
八千代が、ゆっくりと口を開いた。
「……そうか。おりん、お前だったか」
おりんは顔を覆い、座布団に手をついた。否定も告白も、最初は混在していたが、やがて細い声で漏らした。
「……双子だけは、守りたかった。分家のメイドに全部持っていかれるなんて……冗談でも、許せなかった」
「冗談を本気で潰しにくる方が、よほど許せないニャ」
八千代の声は冷たかったが、咳が混じる。それでも背筋は伸びていた。
「警察は、お前さんだけでいい、と妾は言った。だが、これはタタリではない。人の欲だ。加賀美警部補——あとは、しかるべき手続きを」
加賀美は短く頷いた。
「はい。現行犯に近い状況証拠と、動機、行為の目撃を合わせて、任意同行を求めます。抵抗しないでください」
おりんは、うめとさくらの顔を見て、力なく俯いた。双子は泣いていたが、叔母の袖を掴むことはしなかった。
加賀美警部補は地元警察に要請しておりんを逮捕してもらった。
八千代は死んでいない。
未遂だ。起訴するか聞いてみた。
八千代は少し考えさせてくれと言った。
八千代は双子が泣いているのが不憫そうだ。
不起訴の可能性も出てきた。
姫は自分の迷推理を思い出し、顔を赤くして加賀美の袖を摘まんだ。
「……私の推理は、全然ダメでごぜぇやした」
「いつものことだ。次は、箸を見ろ」
加賀美の声は淡々としていたが、否定ではなかった。姫はそれだけで、救われた気がした。
大盛りパスタの皿は、もう冷えきっていた。群馬の名物は、事件の味を残して、静かに並んでいる。猫神家の朝は、タタリとは別の顔の禍によって、一つの答えを出した。
毒を盛ったのは、料理ではなく箸。
犯人は、叔母の猫神おりん。
皆が驚き、そして、納得した。
続く。
コメント
3件
加賀美さんの推理、すごく綺麗に決まりましたね……! 料理ではなく箸に仕込むという発想、論理的で納得感がありました。姫が派手に外してからの「次は、箸を見ろ」のフォロー、ああいう加賀美さんの距離感が好きです。おりんの動機が「双子を守るため」だったのも切なくて、家族の歪みと優しさが一緒に出ていてぐっときました。