2話 地味でつまらない女
逢坂くんとラブホテルで過ごす、3時間前。
私は居酒屋にいた。
個室を貸し切って行われているのは、私が勤務している『株式会社 frihet(フリーヘット)』マーケティング部の飲み会だ。
『frihet』は創業15年ほどの比較的新しい雑貨メーカー。雑貨の輸入販売から始まった会社で、ここ最近は国内や海外のデザイナーと協力してオリジナル商品も作っている。
その中でマーケティング部は、主に雑貨ブランドの国内外に向けたPRと、市場分析の結果を元に商品企画を行っている。要はいろんなことをする人がいる大所帯な部署で、私は広報チームに所属していた。
飲み会も参加人数が多く、そこかしこから楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
私は入口から遠いテーブルの隅で、同じ広報チームでひとつ下の後輩、真野(まの)穂(ほの)香(か)と向かい合わせになってカクテルを飲んでいた。
「もう彼氏がひどいんですよーー!
せっかく仲直りしたと思ったのに、今度は別のことで怒り始めて、私悪くないのに……!」
「大丈夫。きっと彼から謝ってくれるよ」
小動物に似た丸い目を悲しそうに歪める穂香を励ます。
「そうやって言ってくれるのは沙希さんだけですよ……! 沙希さんいつも優しいし、ちゃんと話を聞いてくれるからついついしゃべっちゃいます」
「話を聞いてるだけだよ」
「それが大事なんです!」
恋愛経験がなくて、頷いたりありきたりな言葉しか返せないのは本当なのに、嬉しそうに笑う穂香。元気で皆に愛されるキャラの穂香にそう言われると、逆にこっちが励まされてしまう。
「あ、ごめん。ちょっとお手洗い行ってくるね」
「はーい」
話しているうちに結構飲んでしまっていた私は、ひと息つこうと立ち上がった。
個室は木製の引き戸で仕切られるようになっていて、お手洗いはその外だ。
入口に近づくと、そばのテーブルでは綺麗な女性社員に囲まれて、マーケティング部部長の 高野(たかの)聡一郎(そういちろう)さんが談笑していた。
1年間の海外支社勤務の後、2年前にマーケティング部に部長として戻ってきた高野さん。彼が宣伝した商品は必ずヒットすると言われるほど敏腕で、それでいて誰に対しても優しいと評判だ。
そんな高野部長は私の憧れの存在でもある。
初めて会った時から、もう5年。その間ずっと憧れて……恋に近い感情を抱いている。
(今日も素敵だな)
上品さの漂う穏やかな笑みをこっそり横目に見ると、隣にはお酌をする綺麗な女性社員がいた。
(あの2人すごい絵になるなぁ……)
心の中でこっそりため息をついて、私はその場を通りすぎた。
「はぁ……。なんで私ってこんなに地味なんだろう」
化粧室で手を洗いながら、胸の中にとどめていたため息が思わずこぼれた。
鏡に映る自分はメイクをしていても、やぼったくて垢抜けていない。比べるのも失礼だけど、他の女性社員と私は大違いだ。
(さっきの部長と企画チームの先輩、美男美女って感じでお似合いだったな)
私は色っぽくもなければ、男の人と積極的に話せるわけでもない。地味すぎて自信を持てない自分が、高野部長に憧れて、恋心を抱くなんておこがましいにもほどがある。
ましてや、あんな風に隣に並ぶなんてできるわけがない。
(こんなだから彼氏がいたこともないし、処女なんだよね……)
「せめて、穂香みたいに元気で愛嬌があればいいのかな」
(って、なれもしないことを考えてどうするの)
戻りが遅いと穂香に心配をかけてしまうし、早く戻ることにする。
そうして個室の入口まで戻った時……。
「部長はマーケの中で、誰が可愛いと思いますかー?」
聞こえてきた大きな声にびくりと立ち止まる。
「俺はやっぱり――」
声の方向からして、高野部長がいた席の辺りから聞こえてくる。話している男性社員は、余程酔っているのか呂律が怪しい。
「こら、お前たち飲み過ぎだぞ」
下品に笑いながら品定めするような話をする男性社員たちを、窘(たしな)める高野部長の声。それでも彼らは、しつこく高野部長に好みを聞き続けている。
「だって、部長の恋愛話って聞いたことないじゃないですか。好みくらい教えてくださいよ。もしかしたら、俺が紹介できるかもしれないですし!」
「バカか、お前。部長にはモデル並みに美人で気の利く、大人な女じゃないと似合わないっつの。お前の知り合いにそんな女いないだろ」
「ひでー!」
(美人で気の利く大人な女じゃないと似合わない、か……)
その通りだと思う。あんなに素敵な部長の隣にはそれ相応の女性じゃないと釣りあわない。
再び落ちこみかけていると、彼らの話題はマーケティング部の女性陣の話に移っていた。
「俺、本当マーケでよかったですよ。だって美人とか可愛い子ばっかりで、毎日癒されてますもん」
(…………)
こういう話の時は、たいてい嫌な思いをすることになるから早く戻りたい。なのに、続けられた言葉に動けなくなった。
「そんなことないだろ。広報の宮内とか地味じゃね? 存在感ないっつーか」
「あーそれな。話しても続かないし、面白味ないっていうかな。って、こんな話本人に聞かれたらまずいか」
(もう聞こえてますけど……)
脳裏に嫌な思い出が蘇って、胸が痛くなる。
(言われなくたって、そんなの自分でもわかってる)
『地味で、つまらない女』
かつて、今と同じように告げられた言葉が呪いのように私に絡みつく。
ここが高野部長たちの席から見えなくてよかった。別の話に切り替わった時に、何も聞いてない振りをして穂香の元へ戻る。
「先輩おかえりなさい! 見てくださいよあそこ。さすが逢坂さん、モテてますね~!」
穂香の視線の先を見ると、女子社員たちの楽しそうな声が聞こえる華やかな席があった。中心にいるのは、同期入社の逢坂千広くんだ。
(相変わらず人気者だな……)
彼とはあまり話したことはないけれど、同期の中で飛びぬけて優秀な印象がある。部長からの信頼も厚くて、次のリーダーは彼になるんじゃないかって噂もあるぐらい。
(かなりモテるから彼女を切らしたことがないって噂も聞いたことがある)
(はあ……同期でも私とは大違いだな……)
そして、飲みかけだったカクテルを勢いよく飲み干し、日本酒を追加注文する。
普段そこまで飲まないから「沙希さん!?」と驚く穂香。それにも構わず、やってきた日本酒をあおった。
傷ついたからと、お酒に逃げるなんて大人のすることじゃないかもしれない。
でも今夜は、飲まずにはやってられない。
(酔ってやるんだから……!)
そう心に決める。
いつまで地味だと言われ続けなければいけないのかと、悲しい気持ちを押しやるように、私はひたすら飲んだ。
(あ、れ……? もしかして飲み会、終わった……?)
いつの間にか私は外にいた。目の前の道路を車が行き交い、息を吸うと冷たい空気が肺に入ってくる。
うん。間違いなくここは外だ。というか、私の荷物は?
ない、と思って探そうとするも足元がおぼつかない。
「わ……!」
「おい、気をつけろ!」
ふらついた私の腕を誰かが掴んでくれた。
(誰……?)
顔を上げると、ハッとするような鋭い目が私を見ていた。
「逢坂くん……? どうしてここに」
「はぁ? お前、覚えてないの?」
呆れたように眉をしかめ、逢坂くんが事の顛末を教えてくれた。
どうやらあれから私は、飲み会が終わる頃に潰れてしまったらしい。
帰り際、穂香がおろおろしてるのに気づいた逢坂くんが、同期のよしみで私の面倒を引き受けてくれて今に至るとのこと。
(全然覚えてない……)
「ごめん……迷惑かけて」
「別にいいけど。あと少し、駅まで歩けるか?」
「う、うん……」
腕を引かれながら歩いていると、不意に逢坂くん尋ねてきた。
「何かあった?」
「え?」
「宮内がこんなに酔うなんて普段しないだろ。だから何かあったのかと思って。仕事で失敗でもしたか?」
「……」
普段なら「何もない」と誤魔化すと思う。だけどさっきの言葉に、私はだいぶ傷ついていた。悲しくてどうしようもない気持ちを誰かに聞いてもらいたかった。
きっと、ここにいたのが普段あんまり接点のない同期だからなのもある。醜態を見せてもいいやと、半ばやけくそにしゃべり出した。
「私って地味だよね……」
「は?」
「……大学の頃、好きだった人に言われたんだ。地味でつまらない女って」
嫌でも思い出す。友達に誘われて入ったサークルで好きになった先輩。何回か2人で出かけたりもしてたのに、ある日、先輩が陰でそう言ってるのを聞いてしまったのだ。
『宮内って一緒にいてもつまんねーんだよ。地味だし。あいつとセックスしても楽しくないだろうなー』
その言葉にどれくらい傷ついたか。
それから自分に自信がなくなって、頑張っても周りの女の人みたいにはなれなくて。男の人とも積極的に話せないし、恋をすることも怖くなってしまった。
「そしたら26にもなって恋人もいたことないし、処女だし、周りにおいてかれるし、でもどうしたらいいかわからなくて。もう悪循環っていうか……」
逢坂くんは、こんな私の話を黙って聞いてくれている。だから余計に止まらない。
「私だってわかってるんだ……。この歳で処女の女が重いってことくらい……」
言葉と一緒にこみ上げてくる涙で、視界がぼやける。
「高野部長だって誰だって嫌に決まってる」
「……っ。へぇ宮内、部長のこと好きなの?」
聞かれて、あ、と思った。私の気持ちは誰にも言ったことがなかったからだ。
恥ずかしいのと申し訳ないので、俯いてしまう。
「……こんな私が部長のこと好きなんて、おこがましいって思うかもしれないけど……」
言いながら、とうとう涙がこぼれた。
「でも私だって、皆みたいに恋愛してみたい。部長に近づけるようになりたい……っ」
「宮内……」
止まらない涙を手の甲でごしごし拭う。
「せめて処女じゃなくて……少しでも恋愛の経験があれば違うのに……」
――そうだ。処女捨てればいいんだ。
自分で口に出して閃いた。もう何だっていい。変われれば。もう今の私がすがるものはこれしかない。
「おい、宮内!? どこ行くんだよ!」
ふらふら歩き出す私を逢坂くんが引き止めようとする。
「止めないでっ。私、今、処女捨てるって決めたの……!」
「はぁ!? お前何言って……」
「離して……っ」
逢坂くんの手に逆らって、たまたま通りかかったサラリーマンに声をかけようとする。
「あっ……」
だけど相手は私を見て、そそくさ離れていった。
呆然と立ち尽くしていると、腕を引かれた。その人はやっぱり逢坂くんだった。
「何してんだよ」
「逢坂くん……。ねぇ、やっぱり私が地味だからダメなのかな?」
腕がだらんと垂れる。でも、逢坂くんが掴んでくれているからその場にうずくまらずに済んでいた。
「もうこんな自分が嫌……」
「そんなことねぇよ」
「……!?」
強い力で逢坂くんと向かい合う状態にされた。まっすぐで真剣な目にとらえられて、わずかに息が止まる。
「お前は魅力なくなんてねぇよ」
「け、けどさっき……」
「さっきのおっさんは忘れろ。その辺のおっさんじゃなくて、俺が教えてやる」
「え……?」
「お前が知りたいエッチなことも全部、これから俺が教えてやるって言ってんの」
逢坂くんが掴んだままの腕を引いて歩き出す。
(え? 逢坂くんがってどういうこと?)
混乱し始める私の耳には、
「ったく、人の気も知らねぇで……バカなやつ」
そう呟く逢坂くんの声は届かなかった。
つづく
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