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……見つめられている、と思いながらも、指月は表情も変えずに、エレベーターの階数ボタンの前に立っていた。
ペットボトルを手にした謎の殺人鬼(?)が自分を見つめている。
可愛らしいその殺人鬼はもう一度、ペットボトルに口をつけかけ、うーん、という感じに小首をひねってやめた。
そのままこちらを見て、
「あ、ギョーザ」
と呟く。
ギョーザね……と思いながら、
「飲まないんですか?」
と話しかけてみると、
「いえ、ひとりで飲むのも悪いなと思って。
それにエレベーターで立って飲むのも」
と彼女は言ってくる。
きちんと育てられたお嬢さんのようだ。
また社長はどんな悪辣なことをして、この人に恨まれてるんだ? と思ってしまった。
いや、確か、先祖の恨みとか言っていた。
幾らやり手の社長でも、過去にさかのぼって、この人の先祖の会社に圧力をかけるとかは出来ないから、今回ばかりは社長は関係ないんだろうな、と思いながら、夏菜に、
「じゃあ、座って飲んだらいいじゃないですか」
と言うと、
エレベーターの中にしゃがんで飲んでいるおのれを想像したのか、彼女は、ははは、と笑う。
無邪気な殺し屋だ。
「あのー」
と遠慮がちに殺し屋は話しかけてきた。
「御坂
社長はいつもあんな感じに狙われてるんですか?」
「そうですね。
朝の日課のように狙われてますね」
いや、毎日、刺客が訪れるわけではないが。
そのくらい当たり前のことになっている。
……ああいう連中が毎日やってきたら、この会社パンクするけどな、と思ったとき、総務のフロアにエレベーターが着いた。
チン、と音がし、扉が開く。
「さっきいらした総務の樫本部長の指示に従ってください。
私は上のフロアにいるので、困ったことがあったら、いつでもお呼びください。
それから、帰る前に、社長のところに顔を出された方がいいですよ」
と言うと、えっ? という顔をされる。
「行ってもいいんですか?」
さっき、殺しかけたのに?
と思っているのだろう。
「ま、一度行ってみてください。
私は社長秘書の指月です」
「あっ、藤原夏菜と申しますっ」
と言って、ペットボトル殺人未遂犯、藤原夏菜はペコペコと頭を下げてきた。
「よろしくお願いしますっ」
夏菜は樫本部長に最敬礼して頭を下げた。
「ああ、うん。
よろしく。
えーと、みんなには君が社長の命を狙ってきたことは伏せてあるからね」
「ありがとうございますっ。
よろしくお願いいたしますっ」
「……なんか君、張り切ってるけど。
社長殺しに来たんじゃないの?」
「いや、殺しに来たというか。
まあ、ちょっと復讐に」
「社長にもてあそばれたとか?」
と真面目そうな部長だが、そこはやはり、ちょっと興味を覗かせて訊いてくる。
「いえいえ、先祖の恨みです」
そんなことで申し訳ない、という風に夏菜は苦笑いして言った。
あの必死の形相でナイフを手に突っ込んできたおじさんに比べたら、自分の復讐の優先度なんて、低くていいような気がしてきたからだ。
なにがあったか知らないが、あの人にまず殺させてあげたいと思ってしまう。
……いやいや、殺人はいけないが、と思いながら、夏菜は樫本に向かい、決意表明をする。
「私、こういう普通の会社で働いたことないんですっ。
頑張りますっ」
「……君、今までなにしてたの? 学生さん?」
と不思議そうに言われてしまったが。
「藤原夏菜ですっ。
よろしくお願いしますっ」
とりあえず、お茶出しの仕事は今日はないということで、総務の雑務の手伝いをすることになった。
「あら、よろしく。
派遣さん?」
と素敵なロングヘアの美女がパソコンを打つ手を止めて言ってくる。
水原美鳥とその美女は名乗った。
だが、そこを通りかかった目許はきついが、ふんわりゆるふわウェーブで髪型だけ穏やかな感じの女、元田利南子が、
「そんな愛想よくすることないわよ、美鳥。
こんなチャラチャラした派遣なんて、男見つけに来ただけに決まってるんだから」
と言ってくる。
それから、利南子は夏菜を睨み、
「……あんた、なに興味津々みたいな目で私を見てるのよ」
と言ってきた。
あっ、すみませんっ、と夏菜は頭を下げる。
「すみません。
OLさんってこんな感じなのか~って思って」
「あんた、今まで何処でなにしてたのよ?」
と利南子は眉をひそめる。
学生さん? とまた言われてしまった。
仕事終わり、指月に促されて社長室まで行った夏菜はドアをノックする。
「藤原夏菜ですっ」
「誰だ」
と有生のよく通る声がした。
夏菜は少し考え、
「ペットボトル殺人鬼ですっ」
と名乗った。
「入れ」
と声がする。
……殺人鬼に入れっておかしいようなと思ったが、それで誰だかわかったからだろう。
広い社長室に入ると、夕日を背にデスクに座る有生はパソコンから書類に視線を動かすついでのようにこちらを見て、
「殺人鬼。
今日一日、我が社のためによく働いたか?」
と訊いてくる。
「どうだった?」
と問われ、
「はい。
すごく楽しかったです。
いい会社のようですね」
と夏菜は答えた。
「でもあの、一人しか狙ってないのに殺人鬼っておかしくないですか?
さっき、指月さんがそうおっしゃってたので、つい、言ってしまいましたけど」
「……先祖の恨みとかいう訳のわからないもので善良な一市民を狙ってくる奴は充分な殺人鬼だ。
藤原夏菜。
何故、先祖の恨みで俺を殺そうとする」
「あの、私が七代目なんですよ」
「……七代目?」
「七代祟ってやるって言われた、その最後の七代目なんですよ」
と唐突に夏菜は近代的なオフィスにふさわしくない話を語り始めた。
「誰に?」
「貴方のご先祖に」
「……待て。
それだと恨んでいるのは、俺の先祖では?」
「そうなんですけど。
七代祟ってるやるって言われた私のご先祖は、七代怯えて暮らしてきたんですよ。
で、七代目の今、私はそっちの七代目の貴方にきっと祟り殺されるんですよ」
「今、重要なところを確認していたのに、お前の訳のわからない話のせいで、混乱してきた……」
どちらかと言えば、それを理由にお前を殺したい、と有生はパソコンを見たまま言ってくる。
「私は、貴方にいつか狙われるのではと、いつも気を抜かずに生きてきました。
高校のとき、すごい人気の先輩に花火に誘われて、河原で待ち合わせてたんですけど」
有生はもはや聞く気もないのか、疲れたように、ぽちぽちとキーボードを叩いている。
「後ろからいきなり肩を叩かれて、ぞわっと来たので、腕つかんで、投げ飛ばしちゃったんですよ。
先輩は怯えてそれから声かけてこないし、他の人も卒業まで誰も声かけてきませんでした。
花火に行く途中のうちの学校の人たちが結構それ見てたらしくて」
貴方のせいですよ~、と夏菜が言うと、
「待て」
と有生は言う。
「お前がぞわっと来たのは、身構えて生きてきたからじゃなくて、暗い河原で肩をつかんできたその男の下心を感じたからだろ。
投げ飛ばしたのは好きじゃなかったからだ。
よかったじゃないか。
俺のおかげで、貞操が守れて」
「そ、そうなんですかね……?」
「だいたい、七代祟ってやるっていうのは、七代目まで祟るって意味で、あとはもういいよって意味じゃないのか」
「え、そうなんですかね?
七代目まで祟って、そこで一族絶えさせるという意味では?」
「それなら、末代まで祟ってやるだろ」
ああそうか、と手を打つと、
「七代祟ってやるとか猫か」
と言われてしまう。
猫は七代祟るって言いますもんね……。
「猫が祟ってきても、ひねりつぶしてくれるわっ」
と威勢良く言う有生の後ろには可愛い仔猫のカレンダーが貼ってある。
何処の社名も入ってないので、贈答でもらって仕方なくとかではなく、好きなのだろう、猫が……。
「ともかく、俺はお前を祟る予定はない。
第一、どうやるんだ、祟るって」
そうですよねえ、と改めて問われ、夏菜は小首をかしげる。
「でも私、ずっと貴方のせいで、今まで人生縛られてきた気がして。
それこそ、呪いですよ。
だから、一撃加えてやりたくて、此処に来たんですけどね。
もうほんと、生まれてから今まで、ずっと貴方を祟り殺したい気分だったんですよ」
「……それだと呪われてんの、俺だよな」
七代目にやり返されるという話だったのか……?
と有生は呟く。
「まあ、それはいいが。
総務のお茶出しは手伝ってやれよ。
来週の会議だけでも」
と言われ、
「はいっ、ぜひ、よろしくお願いいたします」
とつい、頭を下げる。
本当に楽しかったからだ。
「ドラマでしか見たことなかったんですよ。
OLさんの生活とか。
先輩のOLさんによるいびりとか」
「……何処の女子社員だ」
「ああでも、歓迎会だといって、ランチおごってくださいましたよ。
悪い方ではないのでは?
きっと新しく入ってきたものに対する洗礼なんですよ。
通過儀礼です」
「……お前、大学でなに勉強してた」
「民俗学です」
「だろうな。
わかった、もう行け。
総務で用無しになるまで雇ってやる」
「ありがとうございます。
では、失礼します」
と頭を下げて行こうとしたとき、
「社長っ」
と遠くで指月の声がした。
いきなり社長室の扉が開いて、掃除夫姿の男が飛び込んでくる。
「御坂ーっ」
その手にはフローズンなペットボトルより重い鉄アレイがあった。
これは死ぬ。
駆け込んできた若い掃除夫の足許に夏菜は足をかけ、よろけたその腕を両手でつかむと背中に乗せるようにして、斜めからのちょっと無理な体勢だったが、軽く投げ飛ばす。
遅れて走ってきた指月が床に叩きつけられた暴漢を見て、
「……お見事」
と言った。
床に頭を打ち付けたらしく、一瞬、暴漢は意識が飛んだようだった。
「あっ、畳の上じゃないのにっ。
すみませんっ。
大丈夫ですかっ?」
と思わず、夏菜は暴漢の顔を覗き込もうとしたが、すぐに意識を取り戻した暴漢に腕をつかまれる。
きゃっ、と悲鳴を上げた夏菜に、有生が立ち上がる気配がしたが、指月は動かなかった。
夏菜は男の手を空いている足で蹴り、その手が離れた隙に、男が落としていた鉄アレイをつかむ。
男の両腕を両膝で抑え、鉄アレイをその喉仏に突きつけた。
身動きできなくなった男がグッとつまる。
深めに被っていたキャップが落ちた。
イケメンだった。
「大丈夫ですか?」
とそのままの体勢で、夏菜は男に確認する。
いや、イケメンだったから訊いたわけではない。
有生を撲殺しようと……、
いや、ぽこり、と長年の恨みを込めて殴ろうと思っていただけなのに、うっかり他人様を殺してしまってはまずいからだ。
後ろから、
「やっぱり、俺がお前に祟るより先に、お前に殺られそうだな。
それじゃ、男は寄り付かないだろう」
と有生が言ってきた。
お前に迂闊に迫ると命に関わる、と有生は言う。
「これはうっかりしてたら、本当にペットボトルで殺られてましたね、社長」
夏菜の強さをわかっていたように、暴漢との間に割って入らなかった指月が言った。
「いやいやいや。
私が学んだの、護身術だけなんですよっ。
こちらから攻撃するのは苦手なんですっ」
と夏菜は叫んだが。
「性格的なものですかねえ。
充分殺れそうな腕は持ってますけどね」
とあまりありがたくないことを言って、指月は夏菜を褒めてくれる。
「よしっ、お前を雇おう。
俺のボディガードとして」
と有生が言い出した。
「ええっ?」
「お前、俺に恨みを晴らしたいんだろうが。
その前に、俺が別の奴に殺られたら困るだろ。
側にいることで俺も狙える。
一石二鳥だろう?
指月、例の会議のお茶出しが終わったら、こいつ、秘書に異動させるから。
お前、仕事を教えてやれ」
と言われ、指月がめんどくさそうな顔をする。
いや、私、普通におねえさま方ときゃっきゃとOLやってみたかったんですけどね……と夏菜は思っていたが、このワンマン社長には逆らえそうになかった。