テラーノベル
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告げられた瞬間、腹部にずしりとした重みを感じた。亮は反射的に、自分のお腹へ手を当てる。
「いや……男が妊娠なんて、ありえないだろ」
ようやく絞り出した亮の言葉に、女医は不思議そうに首を傾げた。
「青木さんの年齢でしたら、自然妊娠も珍しくありませんよ」
「……は?」
まるで、亮の方がおかしなことを言っているかのようだった。
「ご家族にも、安定期に入ったらお伝えくださいね。初期はホルモン変化が強く出やすいので、無理は禁物です」
その後もエコー写真を渡され、出産までの流れや注意事項を説明されたが、亮の耳には何ひとつ入ってこなかった。
診察室を出ると、正面に大きな案内板が見えた。
『男性妊婦健診センター』
「……悪い夢だろ」
壁には、大きなお腹を抱えて笑う男たちのポスターが並んでいる。
震える手でスマートフォンを開けば、ニュースにも『父性サポート給付金』『男性出産ランキング』『パパマタニティ講座』という見慣れない文字が並んでいた。
(世界が……狂ってる)
いや――。
(狂ったのは、俺の方なのか……?)
*
帰りの電車でも、亮の混乱は収まらなかった。
優先席では中年の女性が眠り、向かいの若い男性はイヤホンをつけてスマートフォンを眺めている。誰も亮のことなど気に留めない。
次の駅で、女性が乗り込んできた。
ふわりと香水の匂いが漂った、その瞬間だった。
「……っ」
突然、胃が大きくひっくり返った。
亮は慌てて口元を押さえる。
(なんだ、これ……)
今までなら何とも思わなかった匂いなのに、耐えられないほど気持ちが悪い。電車が揺れるたび、吐き気はさらに強くなった。
*
自宅へたどり着くなり、亮はトイレへ駆け込んだ。
「おぇっ……」
何度吐こうとしても、胃液しか出てこない。喉が焼けるように痛み、目には涙が滲んだ。
何も食べていないのに、身体が勝手に何かを拒絶している。
「……これが」
便器にしがみついたまま、亮は荒い息を繰り返す。
「つわり……?」
信じられない思いで、自分の腹へ目を落とした。
この中に命がいる。その事実も、まだ現実のものとは思えない。
そのとき、スマートフォンが鳴った。
届いたメールを見て、亮の表情が固まる。
件名:《Re:Birthプログラム体験の開始をお知らせします》
本日より、Re:Birthプログラム体験が開始されました。
“理解”は、痛みの中にある。
交代された人生を、お楽しみください。
「……これ、この前のメールと……」
数日前に届いた、あの奇妙なメールが蘇る。
(人生を交換する……)
そこで、亮ははっと顔を上げた。
「彩……!」
寝室、洗面所、リビング。
慌てて部屋中を探すが、どこにも彩はいない。
「彩!」
返事はなかった。
いや――違う。
違和感は、もっと前からあった。
棚の上に飾っていたはずの二人の結婚写真がない。彩が集めていた雑貨も、人形も、化粧品も、服もない。
まるで最初から、“彩”という人間が存在しなかったかのように。
(俺は……元の世界とは、真逆の世界へ来てしまったんだ)
呆然と立ち尽くしていると、ぐぅ、と腹が鳴った。
(……何か食べないと)
冷蔵庫を開ける。
納豆、卵、味噌、牛乳。普段なら何とも思わない匂いが一気に鼻へ流れ込んできた。
「うっ……!」
亮は慌てて扉を閉め、ソファへ崩れ落ちた。
その直後、会社のチャット通知が鳴る。
《明日の会議資料、家で修正お願いできますか?》
「……は?」
画面を見つめたまま、亮は呟く。
「無理だろ……こんな状態で……」
断ろうと返信画面を開き、指が止まった。
(病気じゃ……ない)
自分が彩に言った言葉が、頭をよぎる。
(この世界では、これが“普通”なんだ)
吐き気が、また波のように押し寄せてきた。
(彩……俺、“怠けすぎ”なんて、笑って言ったよな)
再び胃がせり上がり、亮はトイレへ駆け込んだ。
便器にしがみつきながら何度もえずき、涙を流す。
(冗談じゃない)
(こんなの……地獄だ)
*
数日後。
亮は吐き気を抱えたまま、いつも通り出勤した。駅では、大きなお腹を抱えた男性たちが《父親マタニティマーク》をつけ、当たり前のように席を譲られている。
(この世界じゃ……これが普通なのか)
自分のバッグには何もついていない。
亮はまだ、自分が妊娠したという事実すら受け入れられずにいた。
*
「青木さん、また顔色悪いね」
「……大丈夫です」
会社でそう答えた瞬間、亮は気づいた。
いつかの彩と、まったく同じことを言っている。
(大丈夫じゃない。でも、“怠けてる”って思われるのが怖い)
休みたい。それでも有給はほとんど残っていないし、仕事に穴を空ければ評価にも響く。
結局、亮は吐き気を堪えながら仕事を続けた。
昼休み、社員食堂で定食の匂いを嗅いだ途端、胃が大きく波打つ。
「食べないと、お腹の子に悪いわよ?」
上司の何気ない言葉に、亮は俯いた。
(食べたいんだよ)
(でも、食べられない)
そして思い出す。
自分も彩に、何度も同じようなことを言った。
(俺……何も分かってなかった)
*
それでも亮は働き続けた。
吐き気、胸焼け、頭痛。立っているだけでも精一杯なのに、「妊娠は病気じゃない」という言葉が、自分自身を縛っていた。
そして翌朝。
会社から届いた《出勤確認》の文字を見たところで、視界が揺れた。
(彩は……毎日こんな状態だったのか)
(俺は、それを“甘え”だと言った)
次の瞬間、亮の身体は床へ崩れ落ちた。
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都築七美
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コメント
1件
これ第2話めっちゃ重い……亮が“彩の立場”にされてく絶望感がじわじわくる。つわりの描写リアルすぎて胃が痛くなった。「俺が彩に言った言葉」が走馬灯みたいに甦るところ、胸が潰れる。世界観の反転もの、ちゃんと地獄だわ。続き気になる🔥