笑っていられるのも今のうち、と言わんばかりの形相だった。
今では誰もが迷信だと思っている与太話を力説したのはアルゴだった。
それを笑い飛ばしたのはお調子者のリアムだ。二人は歳が一つ違いの友人同士で、よく喧嘩しているが実は仲良しだ。
その二人を嗜めたのはリンである。名前の感じからしてどこか爽やかな印象のある彼女だが、このなかで1番しっかり者である。
3人はいつも一緒だった。遊ぶ時も、仕事をする時も、笑う時も、泣く時も。 一緒じゃない時の方を数えるのが難しいくらいだ。
ある日、またいつものようにうるさい大人たちから離れて仕事をサボっているアルゴとリアムをリンが呼びにきたところだった。
二人は村の外れにある大きな木の下にいた。辺りは黄緑色の草原で、10メートルはある木が一本だけ堂々と中央に生えていて陰になっている。
遠目に見ると二人はだらしなく怠けているが、近づくにつれてどうやら何か言い争っているようだった。
大きな木の下までくると、リンは胡座をかいているアルゴの頭を叩き、寝転んでいるリアムを軽く蹴ってやった。
二人は非難轟々と抗議したが、頑固親父のニオブのおじさんの名前を口に出すと途端に黙った。
ニオブのおじさんの文句が始まりそうな空気のなか、リンは二人が何について言い合っていたのか聞いた。
すると、さっきまで話していた事とリアムへの怒りを思い出したのかアルゴが勢いよく話し出した。
「聞いてくれよ。リアムのやつ酷いんだ。僕の話をちっとも信じてくれないんだぜ」
「誰が信じるかバーカ。そんな嘘まだ信じてるなんてアルゴもまだまだ子供だな」
「なんだと。この前ニオブのおじさんに怒られて鼻水垂らしてまで泣いてたのはどこのどいつだ」
「あ、言いやがったな。じゃあお前がリンの前で言うなって釘を刺したあの話してやるからな」
「おい。やめろよ。だったらリアムのリアムが歩きだした話を……」
二人の喧嘩は日が暮れるまで続いてしまうため、リンは慌てて制止に入った。
「待って。それで結局アルゴは何の話をしていたの? 嘘って何のこと?」
「嘘じゃないって。それはリアムが勝手に言ってるだけなんだ」
鼻で笑った隣のリアムを憎らしげににらんで、アルゴは真面目な顔をして言う。
「リン。知ってるか。この村の外れにある山の中に化け物がいるって話さ」
「化け物?」
「そう。化け物さ。それは恐ろしくて仕方がないって聞いてる」
「聞いてるって誰から?」
「僕のおばあちゃんだよ。ほら、占い師やってるだろう?」
「ああ。やってるね」
「それで、どうやらばあちゃんのひいばあちゃんから聞いた話らしいんだ。いや、もっというとそのひいばあちゃんもひいばあちゃんのお母さんから教えられたことらしいんだけど」
「なんだか混乱しちゃうね」
困ったようにリンが言うと、リアムもそれに乗っかって言った。
「お前の話はややこしいんだよ。それに数百年も前の話なんて原型残ってないだろう」
「悪かったな。数百年前から文字が発明されてればもっと正確に残ったのにな」
「発明してたとして、俺たちみたいな身分じゃあ教えてもらえないだろ。今でも村で文字わかるやつなんかいないし」
「ねえ。それで化け物ってどんな風に恐ろしいの?」
いちいち話の軌道を元に戻さないとこの二人は二度と元の話に戻らないのだ。
また思い出したようにアルゴは目を輝かせ、期待と自信に満ちた口ぶりでこう言った。
「人を食うんだよ」
「た、食べるの?」
「そうさ。山に入った人は化け物にみんな食われるから、帰ってきた者はないらしい」
「みんな食べられるんだ。すごく怖いね」
「怖いさ。それに恐ろしく強くて、槍やら弓やらで打っても突いてもびくともしないんだって」
「誰も退治できないなんて、どうすればいいの」
「山に入らないことだよ。山に入ったらもうおしまいさ。強いだけじゃなくて、その姿を見るだけで身も心も凍るというんだから、腰が抜けて逃げられないよ」
まるで信じられない話だけどね、とリアムに向けてアルゴは嫌味ったらしく言い添えておく。
それを受けてリアムは言い返した。
「ああ。本当に信じられない話だな。だって、今ので矛盾してるところを見つけたもんね」
「え? どこどこ?」
リンは不思議そうにリアムの顔を見た。
「簡単さ。山に入った者はみんな食べられてるのに、なんで化け物がいることが分かるんだよ」
「それはさっきも話しただろう。僕のおばあちゃんが占い師だからさ。山に入らなくても化け物が見えたんだ」
「化け物の姿は見えたとして、なんで弓や槍が効かないってわかるんだ。まさか人と化け物が今まさに戦ってるところを見たと言うんじゃないだろうね」
「違うよ」
「じゃあ説明してくれよ」
勝ち誇ったようにしたり顔のリアムだが、アルゴのやけに神妙な表情を見て眉を顰めた。
リンも怪訝に思った。なぜアルゴは黙ってしまったのだろうかと。
短い沈黙を破ったのは当のアルゴだった。
「見たんだ」
「見たって何を?」
リアムが聞き返す。
「もちろん化け物をだよ」
「アルゴが? まさか」
「いや、違うんだ。僕じゃないよ」
「それともおばあちゃんが見たとでも言うつもりなのかい」
「ううん。違う」
「だったら誰なんだよ。その化け物を見たことがあるっていうホラ吹きは」
「それは」
ざわざわ。
リンは頭上の木を見上げた。風が強くなってきたのか葉が大きく揺れている。
さっきまで太陽が高く昇っていたのに、いつの間にか空は雲がかかっている。
葉の間から漏れていた木漏れ日は消えていて、憂鬱なグレーが天を支配していた。
大雨の予感がした。それもひと一倍強い雨が降ってくる気がした。
アルゴはその束の間に告げた。
「狩人さ」
「狩人? 狩人なんていくらでもいるだろう。それこそ俺の……」
「君のお父さんだよ」
ぴしゃっ。
世界が真っ白になった。
そして、もの凄い衝撃音が鳴り響いた。
真横から固く重いものを乱雑に投げつけられたようだった。
3人は固まり、誰一人反応できなかった。
互いに顔を見合わせ、真上の大木を見上げる。
幹が割れていて、ぷすぷすと煙を上げていた。
火が上がっていたが、天上からは大量の雨粒が落ちてくる。やがて消えるだろう。
放心状態のままリアムがぼそりと何か言った。
アルゴとリンはその様子を同じように呆けて見る。
リアムはもう一度言った。
「だから隠してたんだ」
「え?」
リンが聞き返した。
「隠してたって?」
「父さんがあちこち傷を作って帰ってきたことがあった。どこ行ってたのって聞いたら、山だとしか答えなかった」
「それって」
「アルゴが話した山に違いない」
「で、でも別の山ってことも」
「分かったんだ。なんで父さんがそれだけ言って、あとは全部隠したのか。アルゴの言ってたことで全部分かった」
リアムは陰と影で真っ暗になった横顔をわずかにこちらに向けた。
それは恐怖の色だった。
「父さんが帰ってきた翌日、父さんと一緒になって山に入った狩人仲間が行方不明になっていたことがわかった。それは聞いてるだろ」
「うん。確か3人……」
「戻ったのは父さんだけ。でも、何も知らないと答えていた。はぐれてしまって後の行方は知らないって」
リアムは唇を噛む。
「アルゴ。お前の話は本当だよ。皮肉だけど、ある意味で化け物を見たホラ吹きっていうのは正しかったみたいだけどね」
「待ってよ。そんなの偶然の一致かもしれないじゃない」
「ううん。違うんだリン。これは偶然の一致なんかじゃない」
「なんで、そんなことわかるの?」
震える声でリアムは言った。
「父さんの顔さ。普段はしっかり前を見据えているのに、あの恐怖でどうしようもなくなった顔を見れば誰だって分かるさ」
大雨はいつまでも降り続いた。
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