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「っ……な、なに言ってるのよ。大事なお仕事でしょ?」
その時、槙野の胸元で携帯が振動した。
抱きついていた美冬にもその振動は伝わる。
槙野は名残惜しそうに美冬を離し、スマートフォンを確認した。
「うちのCEOが帰っていいってさ。取引先もいたく満足したそうだ。演し物だった訳じゃなかったんだけどな」
美冬は両手で顔を覆った。
「あんなにたくさんの人の前で~っ」
「お前なあ、恥ずかしいというなら、俺の方だろうが。あそこにいる人たちとはまだ今後も付き合いがあるんだぞ。一生言われるんだからな!」
それを槙野が考えなかったことはないようにも思う。
考えなかったとすればそれくらいに美冬が欲しかったということなのだろうし、考えていたとすれば、美冬の逃げ道は絶たれたわけだ。
どちらにしても、お互いに逃げようのない状況を作った。
天然とか計算とかそういうことではなくて、槙野の本能的な策略なのではないか。
メールを送った片倉は少しも離れようとしないガーデンの二人を見て苦笑した。
槙野はとても包容力があって大人な反面、時折小学校男子か!? と思うようなところがある。
以前に見かけた二人はそんなことすら理解し合っていて、お互いを想いあっているように見えたのだ。
一生に一度のプロポーズをあの場でオープンにしてしまう槙野も、受け入れる美冬も本当にお似合いだ。
ガーデンから中を見る槙野と目が合った。
『はやくかえれ』
と口の動きで知らせる。
槙野はこくりと頷いて、美冬の肩を抱いてガーデンの出口から出ていった。
肩を抱かれつつ会場から出ることになった美冬は戸惑っていたのだった。
「本当にいいの?」
「片倉に帰れと言われた。構わない」
車に乗るのかと思った槙野は美冬の肩を抱いたまま、一区画歩く。
そこには非常にハイセンスな高層ホテルがあった。
ぐいぐいと槙野は美冬をその中に連れていく。
足を踏み入れた中は、シンプルでモダンなインテリアのロビーで、美冬は戸惑う。
「え? ちょ……ホントに?」
確かに先程、家まで我慢できないとは言っていたけれど。
「内装は悪くないぞ。景色もな。雰囲気もとてもいい」
「なんで知ってるの」
家からはさほど遠くない場所にあるホテルだ。宿泊に利用するとも思えない。
一体誰を連れ込んだんだろう……?
「そういう顔で見るなっ。俺が手掛けたうちの会社で出資してるホテルだっ」
「あ、そっか……」
槙野の会社はコンサルティングをしているのだ。ホテルを手掛けることもあるだろう。
それならば詳しいことにも納得だ。
「あのなあ、それは俺も30年以上生きてるわけだし、いろいろあったよ。でも俺が結果選んだのは美冬なんだ。それは信じてほしい」
「信じてるよ」
美冬にだって分かっている。
槙野はとても魅力もお金もある人だ。今まで何もなかったということはないだろう。
一生懸命槙野が言い訳してくれるのが嬉しくて、つい意地悪したくなっただけなのだ。
「そのいろいろって綾奈さんのことも?」
「なんもねえわっ! お前はそこで大人しくしてろ」
面白いのでからかっていたら怒られて、美冬はロビーにある椅子に座らされてしまった。
「はいはいー」
美冬をロビーに置いて、槙野はカウンターにチェックインしに行く。
チェックインカウンターの女性が槙野に気付いて笑顔になった。
にこにこと何か話している。
──そっかぁ……抱かれてしまうんだ。
そう思うと緊張してきた美冬である。それでも今日はするんだっと心に決めていた。
ふと見るとチェックインカウンターに男性がいて槙野と立ち話をしていて、槙野が美冬を手招きしている。
美冬は自分を指さし、ん? と首を傾げると、槙野はこくこく頷いていた。
どうやら来いということのようだが。
「どうしたの?」
「おめでとうございます」
カウンターの男性に言われて、槙野は非常にバツの悪そうな顔をしていた。
「さっきのアレ、SNSに上げられてる。おめでとうのタグ付きで身内に拡散されてた」
「当ホテルの支配人です。この度はおめでとうございます。いやー、うちでやって下さっても良かったのに。公開プロポーズ」
「はー、もう勘弁してくれ」
か、拡散とは……。
自分がプロポーズされる場面が拡散されていると聞いて涙目になる美冬だ。
「もーっ、祐輔のバカっ!」
「泣きたいのは俺だよっ」
「いやいや、好印象ですって。こうして見てもお似合いのお二人ですし、当ホテルも応援いたしますよ」
少し準備しますので、お待ち下さいねと言った支配人は従業員になにか指示をしている。
「お早めに言って頂けたら、準備しておいたんですけどね」
そういう支配人の目が三日月みたいになっていた。
──ちょ……そんな目で見ないでっ!