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果報は眠っている愛華をお姫様抱っこで運んでいた。
いかがわしい光を放つラブホテル街において、その光景は異様なものに思えた。
しかし彼はすれ違う人がこちらに送って来る卑猥な視線を一切無視していた。
果報の中に今ある感情は『安堵』しかなかった。
このまま屋敷に愛華を連れて帰り、寝かせれば全ては夢の中ということで決着はつくだろう。
果報は止まり、自分と愛華が出てきたラブホテルをにらみつける。
「もっとやっておけばよかったですかねえ……」
***
愛華がテニスサークルに入ろうと思って既に3日が過ぎていた。
テニスサークルのサークル棟に行き、そこで『入りたいのですが』と言うだけで事は済むのだが、あまりに世の中を知らない愛華にとっては、それすらもハードルが高かった。
「お……おかしいですわね。こんなはずではないのに……」
愛華が頭を抱えながら、教室でテニスサークルの勧誘の紙を見ながら悶々としていると、ひとりの女子が声をかけてきた。
「テニスサークル……興味あるの?」
「えっ?」
振り向くと、少しギャルのような恰好をした女子生徒がこちらを覗いて首を傾げている。
「それ、テニスサークルの紙でしょ?」
「え、ええ……そうですけど」
「テニスサークルに入るなら歓迎するよ」
「え、どういうことですの?」
「ああ、ごめんごめん。私、テニスサークルに入ってるんだ」
「なるほど、そうなんですね」
「あ、名前言うの忘れてたね。私は『喜瀬玲奈』。玲奈って呼んでくれればいいから」
「ありがとうございます、喜瀬さん」
「れーいーな」
「玲奈……さん」
「さんもいらなーい、もう、同じ学年なのに硬くない? えーと……」
「あ、豊宮愛華です」
「じゃあ、愛華って呼ぶね。で、どうする? テニサー入る?」
「いいんですか?」
「別に断る理由ないし、ウチのサークルはどんな人でもウェルカムだよ。ちょっとだけテニス経験があるといいかなーってくらい」
「テニス経験はあります! 小学生の頃からプロの鎌綿さんに習っておりまして……」
「えー、けっこうガチじゃん?」
「ガチ……?」
愛華が目をぱちくりしていると、玲奈があははと笑い始める。
「愛華ってめっちゃ面白いね。なんか私が今まで付き合ってきた友達と全然違う感じ」
「そ……そうですか?」
「うん、なんか見てて面白い」
「そんなこと言われたの、初めてです……」
「そういう堅苦しい敬語もなしでさ、普通にタメ口使ってよ」
「えーと、じゃあ、よ、よろしく……」
「うん、よろしく。あ、そうだメッセージアプリ使ってる?」
「え、あ、はい……一応……」
「じゃあそれ教えて、後で連絡するからさ」
愛華は手早くスマホを出してメッセージアプリを起動させると、玲奈を追加して微笑んだ。
愛華にとっては、久しぶりの友達追加だった。
高校1年生の頃にスマホを始めて手にいれた時は色々と追加をしていたが、それ以外で使うことなどはなかったので、なんだかこそばゆかった。
「じゃあ、あとでねー」
笑顔で去っていく玲奈に手を振りながら、愛華は微笑んだ。
「新しいお友達ができたわ……!」
心の中でそう叫びながら、ふふんと胸を張る。
父も母も兄も、愛華は箱入り娘のままでいると思っている節があるが、そんなわけではない。
自分の足で立ち、自分の頭で考えて前に進んでいるのだ。
それを今、実感できた気がする。
鼻歌交じりで授業の用意をしながら、愛華は教授の登場を待った。そして、あることに気付いた。
「あれ……玲奈って、さっき教室出て行かなかった?」
するっと出て行ったのであまり何も思わなかったが、見事に授業をサボった玲奈。
愛華はふんふんと頷きながら、玲奈の行動に感銘を受けていた。
「アレがサボり……大学生が主人公の漫画でよく読むやつですわね……。それをあんなに見事にするなんて……」
感心している愛華をよそに、教授が入って来て講義が始まった。
いつもなら教授の話にすぐに集中できる愛華だったが、テニスサークルに入れることがうれしすぎて、あまり授業が耳に入ってこなかった。
***
「愛華―、こっちこっち」
玲奈は愛華に向かって手をヒラヒラとさせている。
玲奈の前にはここ最近話題になっていたお菓子と、大学内にあるカフェで売っているコーヒーラテが置いてある。
「食べる?」
お菓子を勧められ、緊張しつつもそれを頬張る愛華。
「おいしい……」
「あはは、なんでこのぐらいのお菓子でそんなに感動してるの」
「いや、私、こういう市販のお菓子ってあまり食べさせてもらえなくて……」
「へえ、そうなんだ。愛華って結構お嬢様なの?」
「一応……そうだと思います」
「ほら、敬語やめてってば」
「あ、ごめんなさ……ううん、ごめん。お嬢様と言われればそうかもしれないけど……別に私は普通だよ」
「まあ確かに、親がお金持ちでも関係ないよね~ウチも親は金持ってるけど全然私にくれないしさ、自分のことは自分でしろー!って言って全部押し付けて来るの、めんどくさくない?」
「えー……でもちょっとうらやましいかな、それ」
「なんで?」
「だって私、色々不自由なく過ごさせてもらってるけど、その分制約はキツイんだよね。バイトもダメだし、高校生になるまでスマホは禁止だったし、友達の家に行くのも年に2回とか3回だけ……なんだか疲れるんだよね、この生活」
「嫌にならない?」
「もちろん嫌。だから、大学に入る時は内部進学を断ってこの学校に来たんだ。内部進学だったら女子大で小中高と一緒の環境になっちゃうと思ったからさ。ここは共学だし、色々な人がいると思って……それで自分とは全然違う人と繋がってみたいと思ってさ」
「なーるほど。愛華って結構大人しそうに見えて大胆に行動するんだね」
「そうかな?」
「そうだよ、普通なら親の敷いたレールに乗っていけば安全なんだから。そこに甘えないでいるなんて、結構強いと思うよ。私だったらなんだかんだで親の敷いたレールに乗っかっちゃうと思うし」
「私が……大胆……」
愛華は自分の胸に手を当てて目を閉じる。
今の自分の選択は間違ってなかった。
両親に何を言われてもこの学校を選んでよかったと思う。
フッと目を開けると玲奈が微笑んでいた。
「んじゃあさ、この大学生活、もっと楽しくしようよ」
「そうだね……うん、絶対に楽しくしたい!」
玲奈はグッと親指を立てる。
「そう考えると、私の入ってるテニサーはすっごい楽しいよ。テニスは試合を目指すって感じじゃなくて楽しくやるだけだし、きっつい練習もない。飲み会だって結構あるしさ……それに」
「それに? 他に何かあるの?」
玲奈はニヤッと微笑み、愛華に近づく。
「先輩たちが結構イケメンぞろいなのよ」
愛華はその言葉に、ちょっと気圧される。
自分の今まで生きてきた世界にあまりいない『男』という人種が近づいていることに動揺を隠せなかった。
「実はね、テニサーに入る子の何人かはイケメンな先輩狙いが多いんだよ」
「な、なるほど……」
「とはいえ、そういう人って大体彼女持ちだからラブロマンスなんて起きないけどね」
「ラブロマンスは起きない……」
愛華が残念そうな顔をしたのを見逃さなかった玲奈は、愛華の肩を軽く叩く。
「大丈夫大丈夫、それでもいつかはチャンスが巡ってくるからさ。とりあえず楽しくテニスしてイケメン眺めてればいいから」
愛華は玲奈の言葉に頷きながら、少し妄想を始めた。
テニスサークルに入った愛華は、目の前のイケメンの先輩に熱い視線を向けられる。彼は愛華の近くに寄って来て、そっと愛華の手を取る。
「僕と一生ダブルスを組んでほしい」
急な告白に戸惑いながらも、やっと白馬の王子様が現れたと思って満面の笑みを浮かべる愛華。
「ええ、もちろ……」
その瞬間、玲奈に頬を軽く叩かれた。
「おーい、愛華、聞いてるのか」
愛華は自分が妄想の世界にトリップしていたことに気付き、首をブンブンと横に震わせる。
「ううん、大丈夫」
「じゃあ、早速テニサーのサークル棟に行こっか」
「うん」
愛華と玲奈は立ち上がり、サークル棟へと足を向けた。
一歩一歩進みながら、愛華は自分の胸の鼓動が激しくなっていくことに気付いていた。
***
テニスサークルのサークル棟は少し埃っぽく、古さがにじみ出ていた。
「まあ、着替えるだけの場所だしさ、仕方ないっしょ」
玲奈はそう言いながら、自分の持ってきた運動用のTシャツと短パンに着替えると愛華の背中を押した。
「サークル棟には誰もいなかったけど、とりあえずコートに行けば誰かいるからさ」
愛華は玲奈に押されるがまま道を歩いていく。
今から自分の新しい生活が始まると思うとドキドキが止まらない。どんな人と出会って、どんなことをしてしまうのか……少し油断すれば妄想の世界に飛んでしまいそうになるので、愛華は唇をきゅっと引き締めて歩いていた。
「愛華、そんなに緊張しなくていいからさ」
自分が妄想に浸らないようにするためにしていた表情は、玲奈には『緊張』に見えたようだった。
「ああ、うん……慣れない場だからちょっとね……」
「大丈夫大丈夫、すぐに慣れるよ」
4面あるコートに着くと、手慣れた手つきで下級生にボールを投げている男がいた。
「いーよ、今の感じで打っていこう」
男は下級生が上手くコートにボールを打てるように指導をしている最中だった。
「鷹野部長!」
玲奈がボールを投げている男に話しかけると、男は近くにいた女性にボール投げを交代してもらってこちらに近づいてきた。
近づけば近づくほど、男の顔立ちが整っていることに気付く。
目立つような格好をしていないが、爽やかさが身についており、近くにいるだけで空気がよくなる。
「どうした、喜瀬」
「このテニサーに入りたいって子がいたんで連れてきました」
鷹野が愛華の方を向き、微笑む。
歯が日光に照らされて白く光っていた。
「どうも、テニスサークル『てーきゅー』の部長をやらせてもらってます鷹野健也といいます」
「あ、えっと……豊宮愛華です……よろしくお願いいたします」
「豊宮さんね、えーっと、ウチのサークルに入りたいってことだけど?」
「はい、これ……」
愛華は入部届を鷹野に手渡した。
「はいはい、ありがとう。えーっと、二、三、質問いいかな?」
「はい」
「ウチのサークルってテニス経験者が割と少ないから、もし経験者ならちょっと指導の方も手伝ってほしいんだけど……できる?」
「はい、大丈夫です。小中高とテニスをしてましたので」
「ならOKだね。あと、1年生は色々と雑用をしてもらうこともあると思うけど、そういうのもしてくれるかな? もちろん、部長である俺も手伝うからさ」
「問題ないです」
「そっかそっか、じゃあ今日は練習の見学でもしててよ。『こんな感じでみんな楽しんでるんだ』ってのがつかめればいいからさ。明日からラケットと運動できる格好で来てくれればいいから」
「わかりました」
「じゃあ、よろしくね」
鷹野はボールを投げるところにまで戻っていき、練習を続ける。
愛華は鷹野を見つつ、うんうんと頷いていた。
そこにヌッと現れた玲奈は、愛華の鼻をツンとつついた。
「惚れたな~?」
「え、誰に!?」
「鷹野部長に」
「いやいやいや、そんなわけないですよ」
「愛華ってば結構惚れやすそうだもん」
「そうかな……」
「だって小中高と女子校でしょ? 男に免疫ないから優しくされるだけでコロッといっちゃいそうな気がするもん」
「も、もうっ……そんなことないよ。ただいい人だなって思っただけ」
「でも残念だねえ、鷹野先輩は2年前から付き合ってる年上の彼女がいるんだよ」
「いやだから、狙ってないってば……」
「まあまあ、そう気を落とさずに次にいけばいいよ愛華……」
「勝手に話を進めないで……」
「じゃあ私、練習してくるから、悪いけどそこで見ててね」
愛華は元気よく走っていく玲奈に手を振りながら、近くにあったベンチに腰掛ける。
パコン、パコンというラケットでボールを叩く音が木霊するこの場所は、とても心地がいい。
前にいた場所ではこんな風にのんびりとは練習していなかった。
テニスを教える先生達は何かの使命感に燃えており、緊張の中で練習させられて『楽しむ』ということは一切できなかった。
それに比べて、ここはどうだ。
誰しもが楽しむためだけにテニスをしており、緊張など微塵もない。
愛華は平和そうな皆の顔を見ながら、自分もこの中に混じれるのがうれしくなった。
「よっと」
いきなり、隣に男性が座ってきた。
「あれ、君……見ない顔だね」
男は愛華に向かってニッコリと微笑みかけている。
先ほどの鷹野とは違って、細見で一見すると華奢なようにも見えるのだが、よく見ると筋肉がついており弱さは皆無だった。
「今日入部した、豊宮愛華と言います。よろしくお願いいたします」
「豊宮さんね、よろしく。俺は3年の九条礼人(くじょう れいと)、よろしくね」
スッと出された手に、愛華は少し戸惑った。
男の人に触れるのは、父と兄と果報を除いて久しぶりだからだ。
しかしそんな緊張を見せるわけにはいかないと思った愛華は、怯えてないふりをしてその手を握った。
愛華が手を離そうとしたその時、スッと九条が愛華の耳元に近寄った。
「そんなに緊張しなくていいんだよ……」
九条は愛華を見るとフッと微笑んだ。
彼には自分が緊張していることが全てバレていたのだ。
「え、いや、その……」
「焦ってる顔もかわいいね」
九条がさらに顔を近づけようとすると、鷹野が叫んだ。
「おーい、九条! 来てたんなら練習手伝ってくれ!」
九条は鷹野の方を向き、少しけだるそうに答える。
「はーい」
自分のラケットを持った九条はベンチから離れていく、そして、フッと振り向いて微笑んで愛華に手を振った。
その瞬間、愛華の胸に電撃が走った。
運動してもいないのに、心臓の鼓動は激しくなり、頬が紅潮し始める。
「九条……先輩……」
愛華はその名前をつぶやくだけで、なんだか胸がしめつけられるような気がした。
***
テニスコートの近くにある林の中で、果報は双眼鏡を構えていた。
愛華と九条を交互に見て、なるほど……という顔で頷き、ため息をつく。
果報がそのまま九条を見ていると、彼が一瞬ニヤリとした顔をしたのが見えた。
果報は双眼鏡を外し、眉間に皺を寄せた。
「警戒レベルは最大にしておいた方がよさそうだ……」