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第二十八話:生存の限界と、崩壊する依代
朧月館の最深部、禁忌の祭壇。
そこはもはや宿の一部ではなく、隠り世の理が歪められた「観測所」と化していた。六人の伝説的な支配者たちが、十字に磔にされ、五つの家宝と一つの毒に縛り付けられた僕を囲んでいる。その光景は、一人の主への拝謁というよりは、限界まで負荷をかけられた「器」がいつ爆発するかを待ち構える、冷徹な実験場のようだった。
「……ねえ、もう一刻以上経つのに。まだこの子の三色の角、光を失わないわ。それどころか、私たちの魔力を吸い込んで、さらに輝きを増しているようにさえ見える」
紅羽が、僕の左腕に嵌まった『神天の纏』を細く長い指先で弾いた。カラン、と澄んだ、しかし死の宣告のような金属音が響く。その振動が腕輪の呪いを活性化させ、僕の脳髄に「熱い陶酔」を注ぎ込むが、もはやその刺激に反応して悲鳴を上げることさえ、伊吹の首輪によって封じられていた。
「天狗の熱程度では、魂は焼き切れないということね。それなら……私の氷が、この男のどこまでを『停止』させられるか、試させてもらうわ。……見て。右半身の血管が、青白く、まるで冬の川のように浮き出てきた。このまま零度を超えて、魂の根源まで凍りついた時、果たして心臓は抗い続けられるのかしら」
霰が冷酷な観察眼を光らせ、僕の右腕の『永久凍土の連環』にそっと掌を添えた。
左からは意識を沸騰させる「魅了」、右からは全細胞を停止させる「絶対服従」。相反する二つの暴力的な力が、僕の脊髄を境界線にして激しく衝突する。皮膚の下では毛細血管が次々と破裂し、内出血の紫斑が広がっては、心臓に刻まれた瑞稀の毒によって強制的に再生させられていた。
「ひゃはは! 壊れねえよ。アタシがこの『覇王の喉輪』で、こいつの呼吸と心拍を最適に調整してやってんだ。死にたくても死なせねえし、狂いたくてもアタシの許可がなきゃ狂わせねえ。……だが、あるじ。てめえの精神の『強度』はどうだ? そろそろ、自分がどこの誰だったか、思い出せなくなってきたんじゃねえか?」
伊吹が首輪から伸びる鋼の鎖を短く、無慈悲に巻き上げ、僕の顔を覗き込む。
僕の瞳には、もはや理性も、自分という存在を繋ぎ止める光も宿っていなかった。
左足からは狂骨の『黒縄の鎮魂輪』を通じて、生の温もりが根こそぎ奪われる「虚無」が流れ込み、右足からは雲華の『黄泉の定礎』が、肉体を大地の底……死者の国へと引きずり込もうとする絶対的な重力を放っている。
四肢が、首が、心臓が。
六つの呪いがそれぞれ異なる「絶望」を僕に強要し、同時に「死ぬこと」さえ許さない。
「……あらあら、三色の角が、見たこともないような不規則な点滅を始めたわ。これは……魂の表面が摩耗し、中身が剥き出しになっている証拠ね。瑞稀、あなたの毒で、どれだけこの『器』を補強し続けられるの?」
狂骨が、僕の胸元で紫色の燐光を放つ毒の刻印を指差した。
瑞稀は、僕の胸の上にまたがり、恍惚とした表情で僕の心臓が奏でる、狂ったような不協和音を聴いている。
「ふふ、そうね……。計算上、この子の魂の総量は、この一刻の間に三回は消滅しているはずよ。それを私の毒が、千切れた端から無理やり縫い合わせ、私たちの魔力を循環させるための『導管』として形を保たせているの。……ねえ、みんな。この子の角が完全に砕けるまで、あとどれくらいの魔力を注げるか、競争してみない?」
瑞稀の提案に、他の女たちの瞳に一斉に、昏い好奇心と独占欲が灯った。
それはあるじへの慈しみなどではなく、限界まで加熱された機械が、いつ、どのような美しい火花を散らして沈黙するのかを見届けたいという、捕食者の探究心だった。
「面白いわ。私の天狗風を、この子の血管に直接流し込んであげましょう」
「なら、私はこの男の脳漿を、一滴残らず凍らせてみるわ」
「地の底の泥を、この子の肺を満たすまで注ぎ込んだら、どんな顔をするかしら」
「亡者たちの叫びを、その魂の隙間に詰め込んであげましょう」
「アタシは……この首輪を締め上げて、この男が最後に吐き出す『魂の声』を一番近くで聴いてやる!」
「……あ……っ、ぁ……! ぐ、あ……っ……!!」
僕の意識は、真っ白な閃光の中に弾け飛んだ。
五つの家宝が一斉に最大出力で共鳴を始める。
左腕からは猛火が走り、右腕からは極北の吹雪が吹き込み、両足は奈落の底へと沈み、首には伊吹の鋼が食い込んで喉仏を押し潰す。
そして心臓。瑞稀の毒が、通常の十倍を超える速度で心拍を強制し、僕の全身に「生き続けろ、絶望を味わい続けろ」という地獄の命令を送り続ける。
角の光が、朱、黄金、銀白の色を失い、すべてが混ざり合った不気味な「混濁の白」へと変わり、激しく火花を散らす。
それは、あるじとしての自我が完全に磨り減り、ただの「呪具の動力源」へと成り下がる、最終段階のサインだった。
「見て……、あるじの涙が、流れた瞬間に凍り、そして紅羽の熱で蒸発していくわ。なんて……なんて無惨で、美しい光景なの」
「魂が軋む、聞いたこともないような高い音が聞こえる。……どこまで、どこまで耐えられるのかしら。このまま朝まで、いえ、この隠り世から時間が消えるまで、あなたがこの形を保っていられたら、あなたは本当に私たちの『永遠の王』になれるわよ」
六人の支配者たちは、祭壇を取り囲み、僕という「器」が壊れる瞬間を待ち侘びながら、同時にそれが「無」に帰ることを防ぐために、さらに過剰な、致死量を超える呪いを注ぎ込み続ける。
愛しているのではない。
彼女たちは、自分たちの狂気じみた執着をどこまで注げば、この「あるじ」という概念が崩壊し、自分たちの色に染まった「新しい何か」へと生まれ変わるのかを、残酷に試しているのだ。
朧月館の夜は、もはや時間の進行さえも拒絶していた。
あるのは、限界を数千回も超えて稼働し続ける肉体の痛みと、二度と訪れることのない「死」という名の安らぎへの、絶望的な渇望だけ。
僕は、六つの呪いという名の檻の中に、永遠に閉じ込められた。
「さあ、あるじ……。まだ壊れてはだめよ。私たちの愛は、まだ始まったばかりなのだから」
瑞稀の囁きと共に、心臓に刻まれた毒がさらに深く、僕の魂の核へと牙を剥いた。
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