――――夢を見ているんじゃないかと思った。あの日からずっと。
「殿下、殿下ッ!」
「……ん」
やかましい声で、目が覚め俺はゆっくりと瞼を開いた。目の前には、焦燥しきった表情のルーメンがいた。
俺はぼんやりとした思考で起き上がると、辺りを見回した。
「遥輝!」
「起きてる、煩い」
元いた世界での名前まで呼ばれ、俺は耳元で叫んだ彼を手で追い払った。
俺が起きたことに安堵したのか、ルーメンは俺の元から離れ後ろで手を組みながらこちらを見ている。
俺は、そんな彼の姿を見ながら眉間にシワを寄せた。
「起きてるなら返事ぐらいしろよ」
「……それが、この国の皇太子に対していう言葉なのか?」
俺がそう尋ねると、ルーメン……中身は、俺の親友、日比谷灯華は首を横に振った。
「あーやだやだ。お前、すっかりこの世界に馴染んでんじゃん」
「……」
「適応力高いなあ。相変わらず」
皮肉を言われたようにしか思えないのだが? と、言いたいところだが、どうせ無駄だと知っているため口を閉ざす。
この世界にきて早何年か経つ――――
何故だか分からないが、俺はある日、元カノの好きだったゲームの世界のキャラに転生してしまったようだ。
自分が転生したことはすぐに分かった。見慣れない部屋、見慣れない服や人。言葉こそ日本語であったが、文化や風習、建物の構造など全てが違った。
そうして、鏡で自分の顔を見たとき以前巡が好きだと騒いでいたリースなんちゃらに転生したことが分かった。
初めは驚きよりも、呆れが増さった。
巡が見たら、さぞ喜ぶだろうと自分の姿を嘲笑ったほどだ。今ならきっと、巡は何を言わずとも自分に飛び込んできてくれるだろうと……しかし、肝心の巡はここにはいない。いいや、この世界にいたとしても彼女とはもう他人である。
彼女と別れたあの日から、ずっと全てが上の空だった。世界がモノクロになってしまった。元の自分に戻ったように、何も手元に残らなかった。
残ったと言えば、彼女との思い出……だけだろうか。
あの日からずっと、あの日のことは別れようと言われたことはずっと夢だったんじゃないかとすら疑った。
「……良い夢でも見てたのか?遥輝」
「ああ、今も夢の中に居る感覚だ」
瞼を閉じれば、巡の笑顔が蘇る。
大好きだった彼女のこと。今もずっと、ずっと……彼女だけだ。俺の心を動かし、色付かせ、温かくさせるのは。
どれだけ恋い焦がれていても、この思いが彼女に伝わることはなく、日に日に増していく彼女への思いと汚い感情。どれだけ、拒絶されようが無視されようが眼中になかろうがそれでも良かった。なのに……
「別れる……その一言が刺さって抜けない」
俺がそう言うと、隣に立っていた親友であり現補佐官のルーメンが大きなため息をついた。
「お前、まだ天馬さんのこと引きずってるのか?」
「……」
「元の世界に戻る方法すら分からないっていうのに、まだ彼女のこと」
「黙れ」
俺が低い声で言うと、ルーメンは肩をすくめた。
分かっている。いつまでもこんな事をしている場合ではないことぐらい。だけど、彼女が忘れられなかった。忘れようとすればするほど、彼女は鮮明に浮かび上がってくる。
「まあ、気持ちは分からなくもないけどさ。でも、今のお前は皇太子。結婚の話だって出てんだろ?」
「…………ああ、そうだな」
「それに、明日は聖女の召喚もあるんだから、少しは前向きになれよ」
「…………ああ、そうだな」
「お前、絶対聞いてねえだろ」
いつものかしこまった口調とは違い、かなり砕けた……いいや、こっちが本来の彼の口調で、本来そんな口調で話せば無礼だと首が飛んでしまうであろう態度で彼は俺に怒鳴った。
ルーメンの言葉を適当に聞き流しながら、俺は窓の外を見る。すると、先程まで晴れていた天気が急変し、雷鳴と共に激しい雨が降り始めた。
そんな光景を見ていると、まるで自分の心を表しているようで気分が悪くなった。
「……最悪だ」
思わず出た本音に、ルーメンは再びため息を吐いていた。
彼は、ここに来てからもいい仕事をしてくれている。
ルーメン……日比谷灯華は幼馴染みで、親友。俺の性格を良く理解してくれる彼もまた、此の世界にとばされた一人だった。
彼が俺の補佐官に転生したことはこの上ない幸福である。最初は混乱していたようだが、今では俺も皇太子としての責務を果たしていし、彼も彼の責務を果たしている。
俺はそんな彼を尊敬し、信頼もしているが……時々頼んでもいないのに、お節介を焼いてくる。心配性と言うべきか、俺を何だと思っているんだと、言いたくなる。
「俺は結婚はしない。全て断ってくれ」
「またそれか……お前、そればっか言ってるぞ。見たところいいところの貴族だし、可愛いと思うが」
「……巡以外考えられない」
「まず、此の世界にいないだろ。それに、別れたって……」
「よほど、首を切り落とされたいようだな」
「あー……悪い」
俺は剣に手をかけると、慌ててルーメンは両手を上げた。
まだ、俺は彼女と別れていない。と言い返したかったが、彼女に振られたの事実である。それを誰よりも理解しているし、受け入れられないあまり日比谷にもメールを送ってしまった。
俺は剣をしまい、椅子に座り直す。
此の世界にいなくても、彼女が俺の中から消えない限り俺は巡を諦めることは出来ない。他の女性と結ばれる未来など絶対に来ない。
第一に……
「俺は、女性が嫌いなんだ。俺の顔ばかり見てる」
「だって、お前イケメンだもんなあ。嫌味か? 嫌味か? 喧嘩売ってるのか?」
ルーメンはそう言うと、そっぽを向いた。
お前も変わらないだろうと言ったが、彼は完全にへそを曲げてしまったようだった。まあ、俺には関係無いことなのだが。
しかし、確かにルーメンの言う通りだった。
此の世界に来てからも、やたらと周りに居る女性は俺を見て頬を赤らめたりする。俺がそういう目で見られるのが大っ嫌いだと知っているくせに、結婚の話を持ち出してくるのだ。本当に迷惑極まりない。
皇位第一継承者? 皇太子? だから何だ。
正直うんざりするのだ。
この顔もなかなかな物で、いやきっと前世よりも美形で巡が夢中になるのも分かる気がしないでもない。しかし、所詮は顔だけなのだ。
顔……それと、皇太子であるから。そう言った理由で結婚を申し込んできたり、婚約を迫ってくる輩ばかりだ。
まあ、この世界ではそれが普通で、特に気にしたことはなかったのだが……俺の性格を知るやいなや、皆怯え恐怖で固まった。
元から、このリースという男は冷酷無慈悲、言ってしまえば暴君であった。それは、今も変わらず……いや、以前よりも酷くなっているかもしれない。
俺は、巡にフラれた八つ当たりを戦場という血なまぐさい環境にぶつけているのだから。それでも飽き足らず、暗殺者やら自分を良く思わない貴族にぶつけてきた。そのせいも合って、この帝国であまり評判が良くない。
しかし、悪い噂ばかりが流れるようになってからも結婚を申し込んでくる輩が減ったわけではなかった。何故だか分からないが。現世でも此の世界でも変わらないようだ。
俺がどんな性格であろうと。結局は顔と権力である。それが世の中の全てであるかのように。
だがどれだけ言い寄られようが、俺の心が動いたことは一度たりともなかった。
巡以外の女には興味がない。いや、むしろ巡しか要らない。
「親友としてお前に聞くが……俺はどうして巡に別れると言われたと思う?」
「お前が、天馬さんの楽しみにしていたライブのチケット破ったからじゃない?」
ルーメンは、さして考えることもなく即答してきた。
「あれって、宝くじ当てるぐらいの確立だって聞いたぞ。それを目の前で破ったお前が悪い」
「……謝った」
「謝ったですんだら、警察いらないだろ。もう、この話はいいだろ? 何十回聞かされるんだ……明日は召喚のこともあるし、仕事片付けて寝よう」
ルーメンは、俺の話を聞くのに疲れたという風に席を立ち部屋から出て行った。
俺だって、別にこんな話したいわけじゃなかった。ただ、愚痴を言いたかっただけだ。此の世界にきて、この身体の主の仕事をこなして、巡を思う日々。
俺は溜め息を吐きながら、目の前に積まれた書類の山を見た。
「俺は……」
巡の笑顔が頭に浮かんだが、それは砂のようにサァアア……と消え、俺は書類を手に取った。
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