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この物語はキャラクターの死や心の揺れを含む描写があります。読む際はご自身の心の状態にご配慮ください。
静かだった。
あまりにも、静かすぎた。
炎の音も、叫び声も、もう聞こえない。
代わりに、耳の奥で、自分の心臓の音だけが響いている。
——わたしは、何をしたんだろう。
記憶が曖昧だ。
剣を握る手が、まだ熱を覚えている。
重い。
でも、それが何の重さなのか、分からない。
ただ一つ、はっきりしていることがあった。
わたしはもう、
「誰かの願い」を聞く場所に、戻れない。
誰だ……?
こんな地獄を、形にしたのは。
——いや、違う。
そんなこと、もうどうでもいい。
熱い。
苦しい。
頭が、壊れそうだ。
血が逆流しているみたいだ。震えが止まらない。
「赦さない……殺してやる……ころ、して、や、る。」
そこで喉が塞がった。
思うように口が動かない。代わりに両眼から熱い涙が、これでもかと溢れ出る。
初めてだ。こんなに、泣いたのは。
面白いなぁ。こんなに泣くんだ、生き物って。
自分はこんなに愚かなんだ。
もう虚霊は、みんな斬っちゃった。
あとはこの森を……ぐちゃぐちゃにしたら……。
……バキッ。
「……ん。」
「まずい……っ!」
誰だ。話し声が聞こえる。
森の仲間は、わたし以外みんな全滅してた。
なのにまだ、生き物の気配?しかも今、「まずい」って……。
生きていて、わたしに気づかれたら駄目な人たちなのか。
もしかして、この地獄を作り出した奴らか?
もし、そうだったとしても、しなくても、そいつをわたしは、眠らせないと。
そして最後に森を殺して……。
……。
いや。
最後に壊れるのは……わたし、か。
とりあえず。
「待って。一緒に……終わらせよ。」
音のした方を振り返って、わたしは、「最低で最高な終末」を遂げるために歩き出した。
「ね……ーーねぇ。」
耳元に息を吹き掛けられた時。ようやく意識がはっきりした。
目を開けると、そこは水中。
水は冷たいはずなのに、寒さを感じなかった。
音は歪んで、言葉だけがやけに近い。
私は、さっきまで何を……。
「おかえり。」
パチリと、一回瞬きをした間に、眼前に”わたし”が現れていた。
苛立ちを覚える悪魔的な笑み。それなのに何か……哀れみを目に含んでいるようだ。
私の、嫌いな顔だ。
「思い出したでしょ。」
「……ええ。……思い出すんじゃ、なかったわ。」
苦い砂をすり潰すように、私はギリギリと歯ぎしりをした。
「いいじゃない。愚かだったでしょ、みんな殺して、自分も壊れようとするなんて。」
「……何が言いたいのよ。……私は。」
確かに、あの日の私はあまりにも愚かだ。自分が守れなかったのに、私さえちゃんと動けていたら、生き延びることが出来た人もいたはず。
……フユリも。
あんなの、私じゃないと思いたいわ。
あれは、私じゃない……。
「いいや?ただ、お母様は優しいなって。」
「は……?」
思わず言葉を漏らした。今、関係ないでしょ。
挑発するのもいい加減にしてよ。
”わたし”は、軽蔑するような目で見つめてから、
ゆっくり、私の腰にある物を指さして言った。
「その剣に、わたしのお母様の魂があるのは知ってると思うし、わたしの感情に比例して強さが変わるのも知ってるよね。」
「ええ。当然。」
「お母様はあなたの怒りに寄り添ってくれたんだよ。あなたの愚かな行動に寄り添って、一緒に罪を背負ってくれたのよ。」
……は?
お母様が……私の……。
言葉が、別の言語のように聞こえた。聞こえるのに、意味を理解するのには時間を要する。
時が、止まる。
呼吸も、水の流れも、止まっていないけれど、私の中では全てが停止した。
「阿呆だ、お前は。なんでいつも、そうやって気づけないのよ。人の気持ちもいまいち掴めてない、レンやフユリがあなたをどんなふうに思ってるかも、全くわかってないでしょう。」
「二人は、私の事なんてどうでもいいでしょう……それより……」
「聞け!」
突然怒鳴って来たと思うと、私の髪を鷲掴みにして、無理やり顔を近づけた。
顔は歪んでいる。眉も八の字になって、目は見開いて、唇を噛んで震えている。
「なぁ、なぁ!それはあんたが自分に言い聞かせてるだけだろうが!自分がそう思ってたら楽なだけだろうが!」
「……ちがう……!」
喉の奥が、きゅっと縮こまる。
声が掠れて、うまく音にならない。
「私は……私は……!」
視界が震えて、目の前の顔がよく見えない。
涙が、止まらなかった。
否定したいのに、言葉が先に壊れていく。
「私が、弱かっただけよ……! ちゃんとしてれば、迷わなければ……!」
肩が震える。
視界が滲んで、”わたし”の顔が歪んで見えた。
「フユリを助けられなかったのも……
森を守れなかったのも…… 全部、私が未熟だったから……!そんなやつのことを、大切に思う奴なんて、いるわけない!!」
だから、と。
だからこれ以上、責めないで、と。
そう言いたかったのに。
「……それで?」
”わたし”は、静かだった。
怒鳴らない。
嘲らない。
ただ、ひどく疲れた目で、私を見る。
「それで、あんたは“見なかった”んだよ。」
「……え……?」
「フユリが消える瞬間も。
お母様が、剣の中で寄り添ったことも。 ――全部。」
一歩、近づいてくる。
「守れなかったんじゃない。
“守れない自分”を見るのが怖くて、 目を閉じたんだ。」
胸の奥が、ぎゅっと潰れる。
「違う……私は……!」
「違わない。」
きっぱりと、断ち切られた。
「泣いて、壊れて、全部壊そうとした。
それは“怒り”じゃない。”逃げ”だよ、イロハ。」
名前を呼ばれた瞬間、
胸が、耐えきれずに軋んだ。
「でもね。」
声が、ほんの少しだけ柔らぐ。
「お母様は剣になった。 あんたが、何があっても立ち上がるって、信じたから。」
「……っ……!」
「フユリも、レンも。
あんたが“見ないふり”をやめる日を、 ずっと待ってる。
全てを思い出し、受け入れる日をね。」
逃げ場が、なくなる。
「だから――」
”わたし”は、私の額に、指を当てた。
「次は、ちゃんと見なさい。 壊すためじゃなくて。 選ぶために。」
どうしたらいいんだよぉーー!
俺はもう、今の混乱を全部言葉に乗せて、叫んだ。
荒れ果てた雑木林。人の気配がない場所。
人の気配がないけれど、代わりに別の気配ならある。
目を擦って、深呼吸して、目を開く。
そして、「悪夢」だと言い聞かせたい景色が、俺の目を刺す。
眼前には、俺を取り囲む黒い物体。
人じゃない。生きていないこいつらは、虚霊。
俺は今、虚霊に三百六十度挟み撃ちされているのだ。
なぜこうなった?どうしてこうなった!!
それは、遡ること、数分前ーー。
俺は行方不明なイロハを捜し出すため、彼女の故郷、「月見の森」へと遥々、足を運んだ。
「イーローハー!いるかー?聞こえるかー?」
大声を出して、動物の気配もない森の中を進んでいく。
ここは、心霊スポットか、と言いたくなるほどに生き物の気配は無い。
霊的な物の気配は度々するのだが、この森自体が死んでるのかレベルで生き物が全くいない。
「……ここもいないのか?」
仕方ないか、ここにもいないってことは、もう俺の分からないどこか遠くに行ってしまったのか。
「……イロハ。」
その時。ようやく、物音がなかった森に、小さな彩りが加えられた。
その音は、「不穏」という文字が1番似合うような、水が跳ねる音だった。
バシャアアン……
「ん?」
つい、音の方向を見た。
どうやら、どこか遠くで、池か何かに物が落ちたのだろう。
もしかしたら、近くに人がいるのかもしれない。
俺はそんな希望を抱いて、微かな音を頼りに走り出した。
そして、音の方向に向かう最中。
小さな人影が、遠くにあった。
後ろ姿からして明らかにイロハでは無いが、話しかける価値はあるだろう。
なんでこんな所にうろついてるのかは、引っかかるけど。
「すいませーん、ここに、背の低い、白い長髪の女の子見かけませんでしたかー?綺麗な感じの!」
遠くの人に聞こえるように、俺はそう言った。
でも人影は、一瞬動きを止めたと思ったら、こちらを振り返ることもなく、今度は速度を上げてどこかに走り去っていく。
「え?ちょっと待って!」
そうして、
俺は、引き返せなくなる選択をした。
追いかけた結果。
現在、虚霊に取り囲まれているというわけで。
……運が悪すぎだろ、俺。
周りには、「ウゥ……」と唸り声をあげる化け物たち。
その声はまるで、威嚇している狼みたいだ。
「どうしたらいいんだよぉーーっ!」
答えはひとつ。それは分かっているのだ。戦うしかないと。
ただ、ひとりぼっちで戦うことが、今までないから、少し不安なのだ。
迷ってる暇は無いだろう。このままこの虚霊を放っておいたら、街の方に移動して、事件や事故が起きる可能性が高い。
それに、こいつらを倒せば、イロハに会えるかもしれない。
「さっさと成仏してもらおうか……!」
俺は頭の中で、想像をする。
白く発光する細長い刃。
熱くなり、軽くなる身体。
深呼吸を深く、深くして、目を開ける。
奇形のーー虚霊の壁に、俺は勢い任せて突進した。
逃げたい。
でも、逃げたら――
気弱な考えを打ち消すように、喉が焼けるような雄叫びを上げた。
「うああああーーっ!」
瞬間、心臓が跳ね、熱くなる。ドク……ドク、と、普段の無機質にただ身体を生かすためではないその鼓動は、いつもとは違う自分を見せる。
そして、右手に感触。腕が痛くなりそうな程に重い物体は、糸が結ばれていくような形で、どんどんはっきりとした細長い、発光する剣に変化した。
その勢いのまま、虚霊の群れに、刃が届く――はずだった。
「……ぁ」
最前列の一体が、ぴたりと動きを止めた。
唸り声が、消える。
逃げるわけでもない。
襲ってくるわけでもない。
ただ――震えている。ふるふると、霊的なオーラも、弱まっていく。
「え……」
他の虚霊も、次々と動きを鈍らせていく。
俺を見る目じゃない。
その視線は、俺の――もっと奥を、恐れるように向いていた。
これじゃ、まるで……俺が悪者みたいじゃないか。
嫌な汗が背中を伝う。
剣を握る手に、力が入らなくなる。
いや、早くしないと、被害が出てしまうぞ。
苦い気持ちを引っ込めて、俺は剣を、振り上げた。
その瞬間だった。
「――っ!」
頭の中に、亀裂が走った。
白黒の映画のような映像が、流れる。
背後に、人のような、人じゃないような影が、俺を捉えているのだ。獲物を捉えた、野生動物のような視線を向けられる未来が、見えてしまった。
そこで映像は途切れて、意識は現在へ。
……ある。
本当に、気配がする。この怯える虚霊とは別の、俺を敵と認識して、排除対象にするような視線が。
……やばいな。只者じゃあない。
剣を持ち替えて、俺は振り返った。
間違いだった。それは。
背後。先程までいなかった、瞬間移動でもしたのか?
反応もできずに、 思い切り、弾き飛ばされる。
「ぐぁ……!」
地面を転がり、息が詰まる。
視界が、ぐらりと揺れた。
掌を擦りむいて、大量の血が出る。
受け身が下手すぎた。
ジンジンと脈打つような痛みが、俺の頭を支配する。
虚霊は、まだそこにいる。
けれど――さっきよりも、怯えている。
まるで。
「俺じゃない何か」に、怯えているみたいに。
こいつが俺に攻撃したのか?いや違う、こんな弱っちい気配じゃない。もっと、もっと違う……。
誰彼構わず殺意を、憎しみを持った視線だ。
「次は、ちゃんと見なさい。 壊すためじゃなくて。 選ぶために。」
”わたし”はそう、無理難題なことを言ってきた。
あんなことを犯した自分を、見ろって……?
フユリの事も、全部、ちゃんと……考えて……?
自分の頭の中に、ノイズがかかる。
絶望の中、天に掲げた剣。
叫びながら、全て斬っていく自分。
全部捨てて、全部恨んで、憎んでいる自分。
それを全部、罪を、見て……?
そんなの、無理。
「無理よ……そんなの」
「無理じゃないわ。」
「そんなの見るくらいなら、私はーー」
次に吐いた言葉は、自分でも驚くような言葉だった。私は、こんなことを自ら言う生き物なのだと、初めて気づいた。
「消えた方がマシよ……せめてもの贖罪で、
お前が、私をなかったことにして……その方がいい……!あんた、私の事なんて嫌いでしょう……」
私はつくづく、未熟で阿呆だ。
自分の罪を認めず、逃げ続け、挙句の果てには「消してくれ」と頼み込む。
ほんと……嫌。
「消えて、どうするの?」
「消えて……無になる。もう何も考えたくない。」
こんな愚かな考えを、持つ自分が嫌だ。
「消えたい」なんて、思う自分が嫌だ。
”わたし”は、呆れてしまったのだろう。大きな大きな、ため息をついた。
「あっそ……じゃあ、レンは置いていくの?今ものすごーい危ない状況なんだけど。」
「それは嫌よ……レンは置いて行きたくない、でも、もう嫌。」
「めんどくさいやつだな、お前は。ほんと嫌。そういうの。」
「嫌なら放っておいてよ。」
「せっかく生かされた命を、捨てる気?」
「……生かされてないわよ。」
「……あれを思い出してないの?」
もういい、何も知らない、罪を知らない頃に戻りたい。
知らない方がいい事だった。過去に戻りたい、そしてそのまま平和でいたい。
これ以上いいよ、これ以上。
「教えてあげる、あんたごときの命のために、人としての権利を奪われた奴がいること。」
嫌、もういい、もう……いいから。
地面に突いた剣を支えに、俺はゆっくりと身体を起こした。
足に力が入らない。「膝が笑う」、という表現がこれほど似合う状況もないだろう。肺の奥がひりついて、息を吸うたびに、さっき受けた衝撃が遅れて主張してくる。
視界の端で、虚霊たちがまだ蠢いていた。
けれど――おかしい。
さっきまで俺を囲んでいたはずのそれらは、一定の距離を保ったまま、近づこうとしない。まるで、俺の向こう側にある“何か”を恐れているみたいだった。
嫌な予感が背筋をなぞる。
俺は剣を握り直し、ゆっくりと顔を上げた。
そこにいたのは、ひとつの影だった。
小さい。虚霊にしては、あまりにも小さすぎる。背丈は、子どもほど。形も歪んでいない。黒い霧が、人の輪郭をなぞるように集まって、ぎこちなく“誰か”の姿を保っている。
その影は、こちらを見ていなかった。
いや、正確には――俺でも、虚霊でもない、もっと奥を見つめていた。
まるで、ここではないどこか。かつて存在した風景を、必死に思い出そうとするみたいに。
その瞬間、ぞくりと寒気が走った。
胸の奥で、言葉にならない確信が芽生える。
――あれは、敵じゃない。
少なくとも、ただ斬っていい存在じゃない。
影は、ふいに動き出した。
戦うでも、襲うでもなく、
ただ――楽しそうに、くるりと回った。
ふわり、と宙を踏むような軽い動き。
意味もなく、理由もなく、
ただ“そこにあること”を喜ぶみたいな仕草。
胸の奥が、きしりと鳴った。
「……は?」
次の瞬間、影は足をもつれさせて、
どさり、と地面に転んだ。
転び方まで、同じだった。
手をつく順番も、勢いも、
目を丸くしているのも。
――知ってる。
あれを、俺は知っている。似たような光景を、この間見た。
本当につい、最近のことだ。
野原で。
意味もなく走り始めて、息を呑むほどに綺麗だった動き。
転んで、笑っていた――あの時の。
喉が、勝手に動いた。
「……お前……イロハ」
言ってから、気づいた。
問いかけでも、確認でもない。
イロハに、怯える声だ。
名前を口にした時、虚霊はゆっくり、立ち上がった。
影が、ぴたりと止まる。
首を傾げて、こちらを見る。
こちらを捉えた、その刹那。
地面が弾けるように、影が跳んだ。
真っ黒な剣を引き抜いた影は、この空間に亀裂を走らせた。
「っ……!」
咄嗟に身を伏せる。
空気が裂ける音がして、その後勢い良く、 背後の木がへし折れた。
「待て!俺は!」
攻撃が、止まらない。
振り下ろされる腕。
叩きつけられる衝撃。風圧で、足が地面から剥がれそうになる。
俺を、全てを壊す敵を見る目で、俺の肩に刃を捻じ刺す。
脳を突き刺すような痛みの衝撃が走り、赤い液が溢れる。
ダメだ……刺激を与えるのはダメだ。
それに、こいつが幼い頃のイロハの姿なら、攻撃なんてできるはずがないだろ。
受ける。全て受け止めるしかできない。
それに、剣は、攻撃を受けた時の衝撃で、手から離れて消えてしまった。
「落ち着け!俺は敵じゃない!イロハ、聞いてくれ!」
影が、笑った。でもそれは、
嬉しそうな笑みじゃなかった。
壊れかけの、泣き顔に近い。
そして、俺に肩を刺したまま、無理やり頭を地面に叩きつける。
そのまま俺の上に乗っかると、今度は俺の手の甲に刃を突刺す。
「が……っ!」
「ねぇ」
声は、幼くて。
やけに、澄んでいた。
「あなたも……一緒に壊れよう?」
周囲の空気が、歪む。
霊圧が、さっきとは比べものにならない。
「もう、この森も……みんな、わたしを裏切ったんだよ」
一歩、踏み出すたびに、地面が軋む。
「あなたも……裏切り者?」
その言葉と同時に、
攻撃の威力が、跳ね上がった。
きっと俺の言葉は興味ないのだろうか。
この虚霊が、イロハ……いや、この森の過去を擬人化したものだとしたら。
イロハは、「辛い」なんて言葉で表せないほどに、壊れてしまったのか。
何にしろ、今はもう。
「違う!」
叫ぶしかなかった。
「俺は、裏切らない!
お前を壊しに来たんじゃない!」
攻撃を受けて、 身体が軋む。
それでも、逃げる素振りも見せない。ただ、この子の行動を受け止める。
「イロハ!
お前がどんなことをしたとしてもーー!」
息を吐いて、
それでも言葉を選ばず、叫んだ。
「俺は、敵にならない!」
すると、イロハの動きが、ピタリと止まった。
言葉が届いたのか。
「……じゃあ、何?」
「え?」
「敵じゃないなら、なに?
この世界、敵でまみれてるじゃない。
私の大切な人たちを、みんな消した炎と虚霊。
お母様だって……こんな世界のために、命かけて消えたの。
この世界は、守る価値ないわ。裏切るの。」
「それは……違う。」
「じゃあ、あんたは?」
そう問いかけてくる虚霊は、うつ伏せになっている俺の頭を、ゴンゴンと小さな拳で叩いてくる。
胸の内にある気持ちを、暴力に変換してしまっているのか。
「……俺はね。」
そこで、一旦言葉を止めた。
そして、間延びした発音で、こう言った。
「弱者、だね。」
虚霊の殴る手が、止まった。
「え?」と声を漏らしたあと、興味津々な声で、尋ねてきた。
「じゃくしゃ……って。なに?」
「お、いい質問だ。」
俺は小さな子供相手に話しかけるように、口元を緩めた。
痛みが走る手で、地面の土を掴む。爪の間に土が侵入してくる感覚が、冷たくて少し、心地悪い。
「ね、教えたげるから、ちょっと離れて欲しいな。」
「……」
虚霊は、黙り込んだ。
不穏な空気と、憎しみだけが漂っていたこの場所が、ようやくため息をついた。
虚霊は俺が本当に「じゃくしゃ」なのかを確かめるためか、俺の顔をのぞきこんだ。
虚霊だから、人のような温度は持っていないが、
目を丸くして俺を見る顔は、やっぱり、イロハに似ていた。
「あなた……空を映した、鏡みたいな目ね。」
俺の目を見て、虚霊は言った。
面白い表現するな、この子。
ようやく、虚霊は俺から離れて、そのまま地面に体育座りになった。
自由の身になった俺も、彼女と視線を合わせるために、体育座りをする。
「教えて、じゃくしゃ、ってなに?」
早く話して、と言わんばかりに首を傾げてる顔が、さっきまで暴走してたやつとは思えない。
「弱者……って言うのは……。」
ここから語ることは、ただ、自己紹介しただけのように思えた。
自分が、一体何を経験したから、こう言ったのか。嘘偽りなく語った。
「俺には、勇気とか、自信がないんだ。
昔から、人を不幸にしては、嫌われ罵られ、もーう、散々。
もちろん、大切な人は絶対に失いたくないし、守りたい。ずっと幸せが続いて欲しいよ。でも俺は、守ることが出来なかったんだ。勇気もない、これと言った力も長所もないから。」
「うん」
「守る勇気も、自分を信じる力も、行動力が無いから、だから、俺はそんな自分を、弱者、だと思ってる。 」
「……じゃあ。」
虚霊は地面に指で、「じゃくしゃ」と落書きしながら、「うーん」と唸った。
「わたしも、じゃくしゃ?」
「違うよ。君は弱者じゃないよ。」
俺は即答した。この子が弱者だとしたら、俺は一体何者になるんだ。
「どうして?わたしもあなたと同じよ。みんな守れないの。」
「うーん……でもね。」
この言葉が、合っているのかは分からない。
さっき言った俺の「弱者」の定義だって、他の人からしたら違う、なんて思われてしまいそうだ。
自分の発言には、いまいち自信が無い。
目の前の彼女に、語る資格だって無いはずだ。
それでも。
「君は、すごいと思うよ。だって、この世界が、君の大切な人たちみんな奪っちゃったんでしょ。
もし俺がそうなったら、泣きわめいて一生立ち直れないよ。
でも君は、世界にやり返すと決断して、行動に移してる。……ほんと、すごいよ。」
「……」
返事はなかった。ただ、影はもう暴れていなかった。
そっと、俺の目を見て、寂しそうに、綻ぶだけだった。
第十八の月夜「水滴りて、初めて。」へ続く。