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#契約結婚
草原草原

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草原草原

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解任動議。
スマホの画面の四文字を、私は、客間のベッドの上で何度も読んだ。
私が写真に撮られた。社長は、私を庇った。
そのせいで、社長が、社長でなくなるかもしれない。
取締役会は、来週の水曜。待機が明けるより、一日早い。
私は、ベッドから起き上がった。
待機は、破らない。破れば、堂島常務に、もう一つ材料を渡すことになる。
この家から一歩も出ずに、できることをする。
*
パーティでもらった名刺を、手帳の間から取り出した。
番号を押すと、三回目の呼び出し音で、明るい声が出た。
『やあ、灯ちゃん。考えてくれた?』
電話の声は、読めない。それでいい、と思った。今日は、この人の顔を読みに行くのではない。
「御影さん。手を組むかどうかは、まだ決めていません」
『正直だね』
「でも、あの表の、元になった資料を、私にください。私は今、外に出られません。御影さんにも、会えません」
少しの沈黙があった。
「会えないなら、紙をください。紙なら、私は読めます」
電話の向こうで、御影さんが笑った。
『いいよ。届け先は』
「鷹宮タワーの一階の受付に、日向まどかという人がいます。その人宛てに」
*
その日の夜、まどかが、目黒川沿いの家のインターホンを鳴らした。
大きな紙袋を両手に提げて、エントランスのカメラを見上げている。
扉を開けると、まどかは、玄関の大理石の床と、廊下の先のリビングと、私の部屋着を順番に見た。
それから、真顔で言った。
「……同居?」
「昨日、メッセージで話したとおり」
「文字で読むのと、実物見るのとじゃ、全然違うんだけど。何この廊下。ホテル?」
まどかは紙袋を私に押しつけ、靴を脱ぎかけて、やめた。
「上がらない。社長に見つかったら、私、明日から受付にいられなくなる」
それから、声を落とした。
「御影って人の会社の人が、受付に置いてった。灯、ほんとに大丈夫なの?」
「大丈夫。ありがとう、まどか」
「お礼は、ここのお風呂に一回入らせてくれればいいから」
まどかは笑って、エレベーターのほうへ戻っていった。
*
紙袋の中身は、分厚いファイルが三冊だった。
北関東にある、鷹宮フーズの委託先の食品工場。三年分の、出荷記録の控え。トラックの台数、パレットの数、ケースの数。手書きの数字に、運転手の受領印。
添えられた付箋に、御影さんの字で一行だけ。
『前の工場長代理が、辞めるときに持ち出したもの。出所は、本人の了解済み』
帰ってきた社長に、私は紙袋を見せた。
社長は、ネクタイも緩めずに、黒いダイニングテーブルの前に座った。
「フーズの側の数字がいる」
「私は、会社のシステムに入れません」
「私が入る」
社長は、鞄からノートパソコンを出した。社長の権限なら、子会社の仕入れの請求書は、全部見られる。
金曜の夜と、土曜の夜。二晩かけて、二人で数字を突き合わせた。
工場が、実際に出荷したケースの数。
フーズが、工場に払った代金のケースの数。
毎月、ほんの少しずつ、払ったほうが多い。三パーセント、四パーセント。誰も気づかない程度に。
三年分を足すと、一億八千万円になった。
「この差額は、どこへ行った」
社長が、低く言った。
私は、出荷記録の最後のファイルの、一番後ろに挟まっていた紙を抜き出した。工場の帳簿の一部の写し。毎月、工場からある会社へ、業務委託費が振り込まれている。
金額は、毎月の差額と、ほとんど同じだった。
振込先は、株式会社ル・ソレイユ企画。飲食店の経営コンサルティング。
スマホで、登記を調べた。役員の欄に、名前が三つ並んでいた。
その一番上に、取締役、堂島静江。
「……堂島常務の、奥さまです」
社長は、私の手からスマホを取り、画面をしばらく見ていた。
*
週が明けた月曜の朝、社長は、工場長の携帯に電話をかけようとした。
私は、その手を止めた。
「電話は、読めません」
社長が、こちらを見た。
「工場長が何を言っても、電話越しでは、私には本当か嘘か、わかりません。それに、電話をかければ、工場長は、すぐに堂島常務に知らせるかもしれません」
私は、息を吸った。
「会いに行ってください。……私も、行きます」
社長は、私の顔を見ていた。
砂嵐の顔で。
「君は、待機中だ」
「わかっています」
「破れば、堂島に材料を渡す」
「わかっています。だから、私は、社長の判断に従います」
社長は、何も言わずに立ち上がった。
車の鍵を、テーブルから取り上げた。運転手を呼ぶ電話は、かけなかった。
*
北関東の工場は、高速を降りて、畑の間の道を二十分走った先にあった。
大きな白い建物。煙突から、甘い醤油の匂いのする湯気が上がっている。
工場長は、五十代の半ばの、作業服の男だった。突然の社長の訪問に、帽子を取って、何度も頭を下げた。
工場の応接室で、私は、工場長の正面に座った。
眼鏡を外す。
「工場長。鷹宮フーズへの出荷量は、毎月、正確に記録されていますか」
「はい」
工場長は、膝の上で帽子を握りしめた。
「出荷量は、正確です」
言い終えた瞬間、工場長の鼻の両脇が、一瞬だけ膨らんだ。
怒りを、押し殺すときの動き。誰に向けた怒りなのかは、わからない。けれど、それは、目の前の私たちに向いたものではない気がした。
――ぶれた。
「今の、嘘です」
私は、ファイルを一冊、テーブルの上に置いた。
運転手の受領印の並んだ、手書きの出荷記録。
「これは、工場長代理だった方が、辞めるときに持ち出した控えです。この数字と、鷹宮フーズに請求された数字が、三年間、毎月違っています」
工場長は、ファイルの表紙を見つめていた。
長い沈黙のあと、帽子を握った手が、震えはじめた。
「……言うとおりにしなければ、取引を全部切ると、言われました」
声が、かすれていた。
「この工場には、百二十人が働いています。鷹宮さんの仕事がなくなったら、半分は辞めてもらうしかない。堂島常務は、十年前から、ずっとそう言っていました」
工場長は、社長に向かって、深く頭を下げた。
「証言します。紙にも書きます。……もう、終わりにしたかったんです」
*
帰りの高速は、夕方の光で金色だった。
社長は、自分でハンドルを握っていた。私は、助手席に座っていた。
工場長が書いた証言書は、私の膝の上の封筒の中にある。
「……すみません。待機を、破らせてしまいました」
社長は、前を見たまま、左手をハンドルから離した。
その手が、助手席と運転席の間に、手のひらを上にして置かれた。
「自宅待機中の社員を、連れ出した」
社長は言った。
「私も、同罪だ」
私は、その手のひらを見ていた。
顔を見ても、どうせ読めない。だから、顔は見なかった。
自分の手を、そこに重ねた。
社長の指が、ゆっくりと閉じた。料金所の手前で、一度だけ、離された。料金所を過ぎると、また同じ場所に、手のひらが戻ってきた。
*
取締役会の前夜。
客間で、明日の資料を三度目に読み返していたとき、スマホが鳴った。
画面には、非通知、とだけ出ていた。
「……はい」
『瀬名灯さん、だね』
低く、平らな声だった。男なのか、女なのかも、はっきりしない。機械を一枚通したような、ざらついた声。
『明日、余計なことを言えば』
声は、ゆっくりと言った。
『君の、本当の名前を言うよ』
電話は、それで切れた。
私は、黙ったスマホを握りしめていた。
電話の声は、読めない。誰の声なのかも、わからない。
わかるのは、一つだけだった。この人は、私の名前が瀬名ではなかったことを、知っている。
コメント
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タイトル回収と謎の電話、まじで痺れた…!!😭💘 二人で数字を突き合わせるところ、ほんの少し手を重ねるところ、静かなのに熱量がすごくて何度も読み返したよ…。最後の「本当の名前」ってのも気になりすぎる!!続きが待ちきれない〜!!🌸