正統なる太陽の祝福厚きアムゴニムの西方、遠目にフェデル高地の大観を眺める農村があった。他の例に漏れず、太陽を奉ずる祭壇があり、背後には墓地が控え、およそ人が横になれるくらいの長方形の穴が掘られている。いくつも掘られている。既に百を超える数で並んでおり、更なる穴が次々に掘られていく。掘り出された土はまるで切り出された石材のように穴と同じ形で隣に盛られている。
単なる手仕事ではなく、いくつかの魔術が駆使されていた。誰もが知る円匙を硬くする魔術、知る者ぞ知る土を柔らかくする呪術、誰も知らない石を脆くする呪い。
掘っているのは麗しい女を象る青銅の人形だ。きつく捻じれた巻き毛を揺らし、天へと反った睫毛を瞬き、調和を体現した強靭かつ柔軟な肉体で、歴戦の武具の如く使い込まれた円匙を地面に差し込む。裸婦像のようで申し訳程度の衣を纏う姿は昼でなければ亡霊のようだ。体格は常人の優に倍はあり、それでいて均整の取れたしなやかな肢体を大きく振るって働き続けている。
「待て、待て、待て、掘る者!」長い髭を生やした老いた男が杖を突きつつ、しっかりとした足取りでやって来る。「一体いくつ墓穴を掘る気だ! 死んだのは山羊飼いの爺さん一人っきりだぞ!」
「止めないでくださいまし!」ミルミスカは土を掘り続ける。「アタクシ、もう少しで世界一の完璧な墓穴を掘れそうなのです! 深き地の底の穴掘り神も羨む究極の墓穴ですわ!」
「いらぬことをするな! 井戸といい、隧道といい、ぼこぼこと穴を掘りくさりおって!」
「何を仰いますの!? 井戸や隧道とは違います! 墓穴なんていくつあっても困りませんわ!」
「縁起でもないわ! もう貴様の穴掘り趣味には付き合いきれん! 出て行け! おい! 手を止めろ! 止めんか!」
というような出来事からおおよそ三か月が経った。
永遠を生きる魔性ミルミスカはその特異で得意な能力を活かしつつ、無限の暇を潰すために今日を生きていた。まだ千の軍団がこの地を支配していた時代には、ミルミスカも大望を抱き、多くを学び、様々な偉業を成し遂げていた。しかし永遠の生は、全ての利他的行為が年月に晒されて風化することを思い知らせ、利己的行為はいつでもできることを自覚させ、いつしかミルミスカの情熱を燃え尽きさせた。そして今では、ただ唯一得意な穴掘りを趣味にして、永遠を潰している。井戸掘り、墓掘り、隧道掘りに限らず、農夫や大工にも駆り出され、畑や家を作る手伝いをしつつ、思う存分穴を掘っていた。
今は新たな暇潰しを探して彷徨っているが、見るからに魔性の存在であるミルミスカを受け入れてくれる土地は多くない。
国境付近で、昼と夜の境に、水の湧く処の街に巡り合ったのは僥倖だ。ごくわずかだが魔性でさえ職を有する者もおり、少なくない異種族が住み、かなり多くの魔術師が生活する魔の街だ。ここであれば無限に穴を掘って欲しい者もいるかもしれない、とミルミスカは目論んだ。
幸い大きな体格で青銅製ではあるが輪郭だけは美しい女の造形なのでよく目立ち、ミルミスカはただ歩きながら呼びかけるだけで興味を持った魔術師たちが寄って来た。
「さあ、さあ、お立合いですわ! 世にも珍しき青銅塊の女ミルミスカが一本の円匙、ささやかな魔法でどんな土も掘ってさしあげます! アタクシにかかれば岩は柔らかき土、砂は粘っこい土に様変わり! 深山幽谷を真っ直ぐに貫き、新たな海を掘り出して、遥か地底深くにあるという伝説の土地埋葬郷さえも御覧に入れますわ! さあ、アタクシの飽くなき暇に飽かそうぞという方はおられませんか!」
そして技を見せんとミルミスカはその場で穴を掘り始める。だがミルミスカの宣伝に多くは興味を持たず、その腕の確かさは伝わらず、宣伝文句もほとんど信じられなかった。それでもミルミスカが穴を掘り、おおよそ道行く者たちの視線の高さと同じになった頃、ただ二人の男がミルミスカの元へとやって来る。
一人は大木という幾分若い男だ。こちらは三十かそこらの年代の割に、耳当てのある鍔広の帽子から白髪交じりのぼさぼさ髪がはみ出している。好奇心の光を宿す丸みを帯びた目。何にでも引っ掛かりそうな鉤鼻。がっしりとした体つきは柔軟さを兼ね備えている。使い込まれ、擦り傷だらけの皮革を各所に当てた物珍しい装いだ。
もう一人は新しい太陽といった。常に笑みを浮かべているような垂れた目尻の男で、ミルミスカを下から上まで眺める。若い頃に鍛えたらしい肉付きは健在だが、腹は大きく出ていた。肩の辺りに太陽の刺青が見え隠れしており、この辺りではありふれた長い丈の厚手の木糸の衣だが、無頼漢が好んでかぶる山の丸い毛皮の帽子を乗せている。
「話は聞いたよ、ミルミスカ嬢。これは雲間から差す神の陽光、遣わされた運命に違いない。是非ボクの相棒になってはくれまいか!」
最初に声をかけて来たのはホディオの方だ。
「相棒、というと? アナタも穴を掘るんですの?」
ホディオは大袈裟に首を振り、ミルミスカの手を貸して穴から引き揚げる。
「いいや、むしろ逆だ。勿論道具があれば手でやるが、魔術は持ち合わせていない。でも、だからこそボクらは相棒になれるのさ。お互いに不足を補えば、双子の英雄エウデスとグメラがバイナの海を平定したように、主従の魔術師揺籃の白日と冷厳なる黎明鳥が深奥に通ずる深海の門を叩いたように、どんな困難も乗り越えられよう」
「待て待て」と割って入ったのがオルガノだ。「こっちの話も聞いてくれ。そっちの兄ちゃんよりも良い話だ。アンタに打ってつけの仕事がある」
太くも緩やかで穏やかな声色だ。
「まあ、打ってつけですか!? 是非ともお聞かせくださいな。生きるに飽いたアタクシの生を少しでも彩っていただけると嬉しいのですが」
「ああ。鉱山の仕事なんだ。最近見つかった鉱脈でね。手配師のワタシにも正確な場所は教えてもらえないが、藍玉に翠玉、柘榴石に黄玉。掘っても掘っても飽きは来ないんじゃないかな」
「それはそれは、掘りがいがありそうですわねえ」
「ああ、間違いない。特にアンタならな。オレが見るに相当の魔術師のようだ。その穴を見りゃあ分かる。一分のずれもない真円じゃあないか」
「あら、よくお分かりですわね。少なくとも目は確かなようで」
ミルミスカは不思議そうに自身の掘った穴を覗き込む。
「当然さ。ひとを見極めるのがワタシの仕事だからな。それに青銅の体ってのもいい。どうやらその鉱脈は気温も湿度も高いらしくてな。常人には長く潜ってられないらしい。まるであんたのために用意された仕事って感じじゃあないか?」
「確かに、そうですわねえ。アタクシの腕を買うばかりではなく、この肉体にも適していると言ってくださるわけですのね」と心惹かれつつもミルミスカはホディオの方の新たな誘い文句を待つ。
「それならボクは魂だ!」とホディオは言い募る。「ミルミスカ嬢の言葉の端々に、魂の叫びを聞き届けた。アナタの心の奥底に燻る情熱を! 溢れんとしながら蓋をされた浪漫を!」
ミルミスカは覚えのない指摘に呆れた調子で尋ねる。
「そもそもアナタはアタクシに何をさせたいのですか?」
「あ、言ってなかったか。冒険だよ! 古の遺跡に眠る古代人の……あ、ちょっと待ってくれ! ミルミスカ嬢! もう少し話を!」
というような出来事からおおよそ三年が経った。
ミルミスカは蟻が餌を運ぶように鉱夫たちとともに地下深くの鉱脈をたどり、極彩色に輝く宝石を採掘しては運び出す。手配師オルガノの言った通り、多様な原石が織り成すめくるめく巨大な万華鏡のような光景はなかなか飽きることはなかった。
が、やはり永遠など望むべくもない。飽きより先に鉱脈が尽きたのだった。穴掘りたちは引き揚げ、鉱山は封鎖された。と、なればミルミスカとしては次の趣味、もとい仕事を探さなくてはならない。そうでなければ時間を潰すどころか、時間に潰されるのではないかという焦燥感が冷たい青銅の胸の内にあった。
だがオルガノは全てを見越していたかのようにミルミスカに新たな仕事を紹介した。ミルミスカのお陰で大きく稼いだオルガノは手広く斡旋業を行っていた。シグニカで隧道を掘り、サンヴィアで地下街を掘り、テロクスで井戸を掘った。暇は次々に潰され、時間は過去を惜しむことなく流れていった。掘れば掘るほど、しかしミルミスカの心の穴は広がるばかりだった。
後の世に交通の要衝となるだろう運河工事に取り組み始めた場所は懐かしい土地だった。ミルミスカは初めて気が付いた時のことを思い返す。
気が付けばミルミスカは地下洞窟にいた。折れた鍾乳石を肉体として、すでに掘る魔術をいくつか会得していたが、全てを束ねてもまだささやかな力だった。地下洞窟の暗闇をどれほどの間、彷徨っていたのかも分からない。何もせずに、ただ在り続けたことで覚えた乾きは、新たな魔術と勇気を見出し、地下洞窟から脱出し、様々な企てを成功させた後も満たされることはなかった。何かをせねばという切迫感と焦燥感に追われ、しかし何をしても無意味なことのように思える。永遠の生が大切な一瞬を希薄化させる。それでも追い立てられるような観念が消えることはなく、日々を穴掘りの労働と趣味で一時的にでも穴埋めしていたのだ。
ミルミスカが運河を掘り、もうすぐその任を終えようという頃、三年ぶりにホディオと再会した。大きな工事には娯楽に飢えた者たちが見学に来るものだったが、その日の注水作業は専門外だったのでミルミスカもまた見学に加わっていた。ごうごうと流し込まれる水を眺め、その響きを青銅の肌に感じていると唐突に声をかけられたのだった。
「嗚呼、懐かしき土掘りの名手ミルミスカ嬢。その後いかがですか? 浪漫とは出会えましたか?」
「あら、お久しぶりですわね。ホディオさん、だったかしら?」ちらとホディオを見るも、ミルミスカは水の流れに目を戻す。「別に浪漫など探していませんわ」
「だけど土に埋めたくらいでは炭の燻りなど消えないもので、夢を心の奥にしまったところでその情熱は消えやしないものさ」
「そんなようなこと、以前にも言ってらしたわね。一体何のことですの?」
「埋葬郷。それを知る者は少ない。信じる者はもっと少ない」
ホディオの声色は至極真面目だったが、ミルミスカは馬鹿にするように笑う。
「あんなものはただの売り文句です。古の都が地下深くに埋められているなど、御伽噺に過ぎません」
「御伽噺かどうかなんてどうだっていいはずだ。キミ自身が価値を認めないものを宣伝文句にするはずもない。キミが埋葬郷に浪漫を見出した時、それが本当かどうかなんて気にしはしなかっただろう? キミの頭に思い浮かんでいたのはただ一つ、伝説に挑むキミ自身の姿だろう」
ミルミスカは再び思い返す。
あの暗黒の地下洞窟で見出した壁画を。発光する石粉を擦りつけた絵には地下深くに埋められた都の姿が描かれており、壁画のそばには誰も知らぬ魔法を秘めた、女神深き地の底の穴掘りの青銅像が鎮座していたのだった。
その救いは、しかし地上では忘れられた信仰だと知り、束の間燃え上がった浪漫は心の奥底に隠されたのだった。
ミルミスカは言葉にできず、ただホディオの眼差しを眼差しで受け止める。そこには同じ炎が灯っていた。
というような出来事からおおよそ三日が経った。
運河は無事開通し、いつものように新たな仕事を用意しているだろうオルガノに話を通すため、今や表に裏に顔の効く有力者となった元手配師のもとへ向かった。
「それは困る。思いとどまってくれ。賃金が欲しいなら相談に乗ろうじゃないか」
幾分派手な格好になったオルガノの予想通りの返事を受けた時、ミルミスカとホディオは既に鉄格子の中だった。まんまと罠にかかった。天井も床も分厚い鉄張りで、今も変わらずミルミスカの能力を買っていることがよく分かる。
「キミ、ただ働きしていたのか?」とホディオが呆れる。
「別にお金が欲しかったわけではないですもの」
「なあ、頼むよ。ミルミスカ」とオルガノは鉄格子の向こうから馴れ馴れしい言葉遣いで頼み込む。「何も永遠に働かせたいわけではないんだ。不老不死なんだろう? いいじゃないか! ワタシが死ぬまででいい! なあ! 頼む! この通りだ!」
厚かましい願いをしつつオルガノはしっかり頭を下げる。どうしても楽に生きたいらしい。
「申し訳ないですけど、今は一刻とて無駄にしたくありませんのよ」
ミルミスカは地下深く、己の目覚めの地で見出した古の呪文を行使する。埋葬郷の鎮魂歌と地底の女神を寿ぐ詩歌、原初の穴掘りたちが繰り返した仕事唄の混ぜ合わさった閃光と穿孔の魔術だ。ミルミスカの青銅の右腕に眩い光が渦を巻き、円錐螺旋状に迸る。そして左腕にホディオを抱えると貫通の魔術が鉄板を穿ち、轟音と共に雷光の如く周囲を照らした。
残されたのは深く暗い穴とそれを覗き込んで呆然とするオルガノだけだった。
というような出来事からどれほどの月日が経ったのだろう。
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