テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#ロマンスファンタジー
花月夜れん
632
ひより
14,948
#王道
涙乃
1,138
柊トワ
4,223
あれから二週間ほどが過ぎた。セレナの四歳の誕生日まで、あと十日ほど。皇太子妃執務室の机には、帝国内各地から届いた分厚い報告書が積み上がっていた。
「ふふ。順調ね」
数年前、私が提案し、カイル殿下と二人で形にした産業誘致特区。私は制度の骨組みを作り、カイル殿下は現地調査の公表や商会・工房への働きかけ、議会との調整を進めた。
最初は反対の声も多かったけれど、今では税収も雇用も大幅に改善。帝国内でも、成功事例として知られるようになっていた。
そして今回――。帝国南西部、アウレリア王国との国境に近いラヴィエール領から、『同じ制度を導入したい』と、現地視察の要請が届いたのだ。
ラヴィエール領は、帝都から馬車で一日ほど。美しい石畳の街並みと温泉で知られる、帝国有数の保養地だ。大きな湖のほとりには、皇室所有のラヴィエール離宮も建てられている。
(仕事とはいえ、ちょっとした息抜きにもなりそうね)
現地視察は二日間。領主夫妻との面会に、商業ギルドとの会談。特区の誘致候補地を視察したあと、地元商会とも意見交換を行う予定だ。頭の中で予定を組み立てながら、私はカレンダーへ目を向けた。
(帰ってくる頃には、セレナの誕生日まであと数日ね)
誕生日会の準備は、すでにアンナたちが進めてくれている。
コンコン。
ノックの音がして、執務室の扉が開いた。
「視察の日程は確認したか?」
「ええ」
部屋へ入ってきたカイル殿下が頷く。そして、何でもないことのように続けた。
「その後の三日間、休暇を取った」
「……休暇?」
手元のペンが止まる。私はゆっくり顔を上げた。
「どなたが、ですの?」
「俺たちがだ」
「……何のために?」
「新婚旅行だ」
「今さらですの!?」
思わず椅子から立ち上がった。
「私たち、新婚どころか子持ち夫婦でしょう!?」
「知っている」
「だったら、どうして今さら――」
「俺たちは一度も、二人だけで旅行をしていないだろう」
カイル殿下は淡々と告げると、机の上へ一枚の予定表を置いた。到着後の二日間は、ラヴィエール領主邸に滞在して視察。そして――その後の三日間は、見事なまでに空白だった。
「公務も会議も、すでに前後へ移してある」
「……ずいぶん用意がいいですこと」
「事前に言わなければ、お前は空いた三日に仕事をねじ込むだろう」
「…………」
否定できない。
「視察が終わったら、ラヴィエール離宮へ移る」
「そこまで手配済みですの?」
「当然だ」
少し誇らしげだ。
(この人……)
いつの間に、こんなことを企むようになったのかしら。逃げ道をきっちり塞いだうえで、『新婚旅行だ』と真顔で言い切っている。成長したと言うべきなのか。ちょっと図太くなったと言うべきなのか。
「まあ……三日くらいなら――」
そこまで言って、はっとした。
「ちょっと待ってくださいませ」
「何だ?」
「セレナはどうするんですの?」
「…………」
カイル殿下が固まった。
「あなたが一週間もいなくて、あの子が納得すると思います?」
セレナは、筋金入りのパパっ子だ。カイル殿下が公務で皇宮を空ければ、一日に何度も、『パパ、いつ帰ってくるの?』と尋ねる。夜になれば、『パパとねんねする!』と駄々をこねる始末。そんな娘が、一週間も父親と離れて平気なのか。
「…………」
カイル殿下の表情が、見る見る深刻になっていく。国家の重要政策でも審議しているかのような顔で考え込み――。
「……やはり、セレナも連れていくか」
「それじゃ新婚旅行じゃなくなるでしょ!」
***
そして数日後。いよいよ出発の日。皇宮の正面には、出発を待つ馬車が停まっていた。
「もうっ! 殿下もお嬢様も、往生際が悪すぎます!」
アンナが腰に両手を当てていた。
「セレナ様のことは、私たちに安心してお任せください!」
その隣では、ギルバートが護衛の配置表を片手に肩をすくめる。
「俺も姫様の護衛に残るんで、心配しなくて大丈夫っすよ」
「……絶対に目を離すなよ」
「だから大丈夫ですって!」
「しかしだな――」
なおも食い下がろうとするカイル殿下へ、アンナがぴしゃりと言い放った。
「しかし、じゃありません! 一週間くらい余裕ですっ!」
「夜中に起きたら?」
「背中をトントンして寝かせます!」
「食事は?」
「料理長とも相談済みです! セレナ様の好みも栄養バランスも把握しています!」
「もし熱が出たら――」
「すぐに侍医を呼びます!」
「だが――」
「いい加減つべこべ言わずに、さっさと行ってきてください!!」
「…………」
ついにカイル殿下が黙った。すると――。
パタパタパタッ!
小さな足音が近づいてきた。
「パパー!」
「セレナ」
さっきまで難しい顔をしていたカイル殿下の表情が、一瞬で緩む。駆けてきたセレナは、そのまま迷うことなく彼へ抱きついた。
「パパとママ、おでかけするんでしょ?」
「ああ。仕事でな」
するとセレナは、意外にもぱっと顔を輝かせた。
「デートなの~?」
「……え?」
「みんなが言ってたよ!」
隣でアンナが目を逸らす。
「セレナ。俺たちはあくまで仕事で――」
「でも、そのあとデートするんでしょ~?」
「…………」
もうすぐ四歳になる娘に、完全に押されている。
「ゆっくりしてきてね~!」
カイル殿下が固まった。
「セレナ……お前は、俺がいなくても平気なのか?」
「へーき!」
即答だった。
「だってセレナ、アンナとギルバートと、ちっちゃいドラゴン見に行くんだもん!」
「…………ドラゴン?」
ちょうど今、帝都では年に一度の春の幻獣祭が開かれている。各地を巡業する幻獣使いたちが集まり、空を飛ぶ幻獣のショーやパレードを披露。さらに、人慣れした幼竜や小型幻獣と触れ合える、子ども向けの広場まで用意されているのだ。セレナは、その日をずっと楽しみにしていた。
「……俺よりドラゴンなのか?」
カイル殿下が、信じられないものを見るような顔をした。
「うん!」
「…………」
またもや即答。肩が、目に見えて落ちた。
「……あんなにパパっ子だったのに……」
私はとうとう堪えきれず、吹き出した。
「ふふっ」
「まさかドラゴンに負けるとはな……」
セレナはそんな父親の心など知らず、満面の笑みで大きく手を振った。
「パパ、ママ、バイバーイ~!」
「…………ああ」
完全にしょんぼりしている。ギルバートが笑いを堪えながら、馬車の扉を開いた。
「ほら、殿下。姫様からも許可が出たことですし」
「お前、帰ったら覚えていろ」
「なんで俺なんすか!? 八つ当たりもいいとこっすよ!」
ぶつぶつ言いながらも、カイル殿下はようやく馬車へ乗り込んだ。私もその向かいへ腰を下ろす。扉が閉まった。いつもなら、セレナやアンナたちの声で賑やかな車内。けれど今日は――。私とカイル殿下だけだ。
「…………」
妙に静かだ。カイル殿下が窓の外を見る。私も視線を向けると、セレナとアンナ、ギルバートがこちらへ向かって大きく手を振っているのが見えた。やがて、馬車が動き始めた。
「……セレナ抜きで、お前と一週間も旅をするのは初めてだな」
「ふふっ。仕事は二日ありますからね?」
「分かっている」
カイル殿下が、私の手を取った。
「でも、視察が終われば――」
指先が絡む。
「残りの三日は、俺たちの時間だ」
そう言って、少しだけ口元を緩めた。
「…………っ」
トクン。
心臓が、小さく跳ねる。
(い、いやいや……何を今さら動揺しているのよ、私)
――こうして、私たちの遅すぎる新婚旅行が始まった。
コメント
3件
番外編までだしてくれてありがとうございます♪
うわあ、もうこの回、ラブコメ感が半端なくて最高でした……!笑 カイル殿下があれだけ念入りに準備して「新婚旅行だ」ってドヤ顔で言ったのに、セレナちゃんに「パパよりドラゴン!」って即答されて肩を落とすところ、完全に心臓撃ち抜かれましたw でもそれ以上に、馬車の中で手を絡めて「残りの三日は俺たちの時間だ」って言うシーンが静かに甘くて、何度も読み返しました。 番外編なのに本編より尊いってズルくないですか? ひよりさんの書く、”お互い分かってるけど照れ隠しする大人の甘さ”が本当に好きです。続きもずっと静かに待ってます🌙