テラーノベル
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「いらっしゃい、来ると思った。」
元貴が苦笑いしながら、出迎える。僕と若井は、元貴の顔を見て泣きそうになりながら、部屋へと入った。
元貴はソファーに腰掛け、その足元に、僕と若井は腰を据えた。
「元貴、大丈夫なの?お薬とかは?貰えたの?」
「うん、めっちゃ不味い薬と、とりあえず早く症状抑えるって事でステロイドもね。」
「もう発表するとかって言ってたけど、ホントかよ?」
「だってなっちゃったもんは仕方ないし、ただ、どよーーーんと落ち込むより、どうせなら発表して、もうこれすらも利用するしかないじゃん。」
話題にはなるっしょ、と笑ってみせる。僕は耐えられなくて、涙が零れた。若井も、涙ぐんでる。
「やめてよ、泣くなよ二人とも。」
「ごめ…。」
「お前、絶対無理すんなよ。これ以上無理したら、俺怒るからな。」
「…無理、するわ。するしかないじゃん。今だよ?この勢い止めるわけにはいかないだろ。」
「お前…。」
「ツアーは止めないから。絶対に。」
僕と若井は言葉が出なかった。あの頃の、必死で走り続けていた元貴の姿が思い起こされて、不安が過ぎる。
「…大丈夫、そういう意味では、全然無理してないから。」
僕たちの表情から察したのだろう、元貴が言った。
「なんだろな、ショック、とかはあんまなくて。鬱陶しいな、とは思うけど。でも、こんな逆境、乗り越えたらまたひとつミセスが大きくなりそうで、ワクワクしてる方がデカいかも。」
「…感情バグってんだろ。」
若井が呆れたように力無く言う。
「お前らの方がショック受けてんだろな、って思う。周りは気遣うしかできないもんな。それはごめん、とは思うけど。」
僕は、黙って、元貴の手と、若井の手を握った。
「…元貴がそう決めたなら、全力で僕も頑張る。でも、絶対によくない無理の仕方はしないで。それだけは、約束して。」
若井も、元貴の手を握って、3人で繋がるようにして、手を繋ぐ。
「…俺、いつでも歌える準備はしてるから。」
若井の真剣なその言葉に、ブハッ!と元貴が吹き出して、眉を下げてクククッと笑った。
「お前それ…おもろ…。」
元貴が下を向いて、ふふ、と笑った。しばらく、みんな俯いたまま、手を握っていた。
僕が、空気を変える為に口を開く。
「…ご飯、みんなで食べようか、元貴もお薬飲まないとだし。」
「…作るの?出るの?」
「めんどいな、ウーバーすっか。」
みんなで、それぞれ食べたいものを決めて、配達をお願いする。若井の提案で、三人でゲームをしながら、ご飯を食べて、久しぶりに楽しく過ごした。
僕も若井も、できるだけ元貴を一人にしたくなかった。お風呂を沸かして、順番に入ろうということになって、僕が一番風呂を譲られた。
「はあ〜…。」
見慣れた、元貴の家のお風呂。よく、一緒に入ったなぁ。いつも、元貴がちょっかいかけてきて、そのまま…なんて事もあったな。
新しい人とは、どんな風に付き合ってるんだろうか…。浴槽に頭を乗せて、天井を見上げながら、ぼんやりと考える。僕の時とは違って、大事にされて、大事に出来ていたらいいな、と思った。今回のことも、その人がしっかり元貴を支えてくれるなら…。
心に、ドロドロとしたものが無いわけではない。それでも、若井と付き合い始めた僕にはそんなものを抱える権利もないので。見えないフリをして、これからも、いい仲間でいるべきだ。
少しゆっくり目に入らせてもらって、お風呂を上がると、次に元貴が入る事になった。
「涼ちゃん。」
元貴が風呂場へ消えると、若井が両手を広げて僕を呼ぶ。僕は、元貴の家なので、少し躊躇したが、最近は若井も、僕のせいで色々と気を揉んだに違いないと、謝罪の意を込めて素直に腕の中に収まった。
「…涼ちゃん、元貴の事、心配だよね。」
「…それは、若井もでしょ。」
「うん、そうだけど。」
「…僕らは僕らで支えればいいと思うし、元貴の事は、新しい人がきっとちゃんと見ててくれると思うから…。」
「うん…それなんだけどさ。」
「うん?」
「元貴、誰とも付き合ってないと思うよ。」
「…え?」
「…元貴にさ、俺訊いたんだ、さっき。もう新しい恋人いんのかって。」
「…それで?」
「最初は、なんか誤魔化そうとしてたけど、俺があんまりしつこいからさ、うるせーないねーよって。涼ちゃんに言うなよって。」
「うそ…。」
若井が、僕の乾ききっていない髪を優しく撫でる。
「だから、涼ちゃん、しばらくは元貴と一緒にいてあげてよ。」
「…わ、若井も一緒に…。」
「うん、来れる時はもちろん来るけど、ほら、今度始まるソロ仕事の打ち合わせなんかもあるからさ。そーゆー時は、涼ちゃんお願い。」
「…若井は、いいの?」
「うん。」
優しく笑って、そっとキスをしてきた。
「…涼ちゃん、好きだもん。」
「…僕も、好きだよ…。」
「もちろん元貴も、大事だから。」
「うん…。」
「だから。」
そのまま、黙ってギュッと僕を抱きしめる。『信じてる』なんて言わない若井は、僕に負担をかけないように考えてくれてるんだと思った。
「…滉斗。」
そう呼んで、僕からもキスをした。若井は、少し驚いた顔をした後、泣きそうな顔をして、僕の顔を撫でる。
「…元貴の気持ち、ちょっと分かっちゃうかも。」
「ん?」
「なんでもない。」
僕らは、元貴がお風呂場のドアを開ける音が聞こえるまで、何度もキスを繰り返した。
最後に、若井がお風呂に入る。僕と元貴は、少し離れた場所に座って、お互いに黙っていた。
「…明日も、来ていい?」
僕は、恐る恐る元貴に尋ねる。
「…そんな、心配いらないのに、ホントに。」
「心配しちゃうんだよ、わかるでしょ…。」
「…うん。わかった。じゃあ、来て。」
意外とすんなり受け入れられ、僕はホッとすると同時に、少し拍子抜けした。
『ホントに恋人、いないの?』
そう訊いてしまいそうになり、元貴は若井に口止めしてたんだった、と思い留まった。それに、訊いたところで、どうするつもりなのか。自分の罪悪感が増えるだけじゃないか。
元貴は、僕があっさり若井に乗り換えたと、そう思っているだろうか。実際、そう見えるんだろうけど。
あの頃のように、ただひたすら、一つの恋に真っ直ぐに向き合えるほど、僕たちは若くは無いんだ、と一人俯き、物思いに耽っていると、元貴が立ち上がって、こちらに近づいて来る気配がした。
床で膝を抱えて座っている僕のそばに、元貴がしゃがみ込む。僕は、顔を上げられず、元貴の足元を見つめていた。痛いほど静かな空気が、僕の身体を圧迫する。
僕の視界の中にある元貴の手が、不意にこちらに伸びた気がして、思わず身を硬くした時、若井が浴室のドアを開ける音がした。元貴の手が止まり、そのまま立ち上がってキッチンへと入っていった。
小さく息を吐いて、身体の力を抜く。若井が頭を拭きながら、リビングへと戻ってきた。
「二人とも、水飲んだら?」
元貴の声がして、キッチンを見ると、元貴が薬を飲むところだった。まず、細長い袋を破って、シロップ状の薬を一気に飲む。
「ぅあ゛〜〜まっじぃ〜〜!」
顔を限界まで歪めて、急いで今度は錠剤を水で流し込む。
「っあ゛〜〜消えない〜不味い〜。」
子どもみたいに泣きそうな声で苦しむ元貴の背中を、近くへ行った僕たちはよしよしとさする。
僕は、箱で用意されている薬を見て、訊いた。
「何が不味いの?」
「このシロップ?みたいなの…超〜苦いやつを、限界まで甘さで誤魔化そうとして大失敗してる味。」
「ぅえ、不味そ。」
若井が舌を出す。
そのまま、元貴はもう明日の発表準備に向けて早めに就寝すると言うので、僕たちは帰り支度をして部屋を後にした。
エントランスを出ると、若井が僕の手を握ってきた。
「ん?」
「…涼ちゃん、今日うち泊まってくんない?」
「え…。」
確かに、もう元貴の家でご飯もお風呂も済ませたので、後は寝るだけ。時間的にも泊まれないこともない…。
若井の気持ちは痛いほどわかる。これから、恋人が元彼の家へ通う、というのだから、不安に決まっている。
元貴の大変な時に、という気持ちもあるが、それ以上に、若井を安心させたいという気持ちの方が大きかった。
「…うん、行く。」
「え、まじ?…断られると思ってた。」
「ううん、僕も、泊まりたい。」
手を握り返すと、若井はガバッと抱きついてきた。
「…涼ちゃん、めっちゃ好き。」
「うん、僕も、若井がすきだよ。」
人の家のエントランス前なので、キスは我慢して、僕たちは手を繋いだまま、タクシーを捕まえに大通りへ向かった。
若井の家に着くと、置かせてもらっている歯ブラシセットで歯を磨き、パジャマに着替えて、ベッドに入る。
若井は僕を自分の腕の中にしまって、優しく頭を撫でる。トクトクと心臓の音がよく聞こえて、僕は安らぎを覚えた。若井が体勢を整えた際に、僕のお腹の辺りに、硬くなったモノが当たった。若井は急いで腰を引いて、僕の身体から離す。僕は、しばらく、気づかない方がいいのかと固まっていたが、下からそっと若井の顔を覗く。
「…若井。」
「…ごめん、反応しちゃうのは許して。」
「え…。いや、…別にそんな…。」
気まずさに黙っていると、若井が僕の頭にキスをした。
「今日は、我慢する。」
「…今日『は』…?」
「うん。次は、…たぶん我慢できない。」
「ふふ…。」
ありがと、と言って、若井の胸に顔を埋めた。そのまま、心地よい暖かさの中で、朝までぐっすりと眠った。
次の日、朝からスタッフさん達はバタバタと忙しそうにしていた。発表する書面を元貴と話し合って決め、各所関係者への説明の準備、通院のためのスケジュール組み直しなど、対応は多岐に渡っていた。
さらには、まだまだFCツアーもこの先一ヶ月以上何公演も控えている。
僕たちは、元貴の言う通りに見守り、共に頑張ると決めたものの、本当に大丈夫なのか心配でならなかった。
一通りの対応を終え、元貴は早めに家に帰るよう指示があった。若井はまだ他の仕事の打ち合わせなどが残っているため、僕が一緒に帰ることにした。
部屋に戻り、元貴がソファーに座る。僕はキッチンに行き、薬の箱を手に取った。ぎっしりとシロップ薬が詰まっている。
「元貴、これ調べたんだけどさ、冷凍庫に入れて冷やすと、味がマシになるらしいよ。」
「え、凍らないの?」
「うん、砂糖たっぷりのシロップだから、凍らないんだって。」
「へえー。」
「試してみていい?」
「うん、お願い。」
僕は冷凍庫に薬をしまいながら、話を続ける。
「ネットで調べたら、みんな色々試してたよ、飲み物に混ぜたりとか。でも冷凍するのが最適解だって。」
「調べてくれたんだ。」
「そりゃ、あんだけ苦しんでたらね。可哀想で。」
「朝も苦しんでたよ。」
はは、と笑って、頑張ったね、と答える。お茶を入れて、元貴のところへ運ぶ。
「…まあ、僕が来ても、何ができるってわけじゃないよね、コレ。」
「まあ…。」
「…でも、一人にするのもなぁ…。」
「俺はウサギか。」
二人で笑い合って、お茶を飲む。
「ん、じゃあ、ご飯でも作ろうか。」
「え、きのこ以外で。」
「もー、わかったよ!」
元貴の家にある材料だと、トマトパスタなら作れそうだったので、それに決めた。
材料を用意していたら、元貴がキッチンにやってきた。
「俺もやる。」
「いいよ、休んでなよ。」
「別に休んだからって治らないし。」
もう、と呆れながら、二人並んでお料理を作る。
僕たちは、恋人ではなくなったのに、こんなに楽しい二人の時間が手に入るなんて。皮肉なもんだな、と頭の片隅で考えた。
ご飯を食べて、元貴がお風呂に入る。
リビングに残った僕は、テレビをつけてニュースを確認した。
『Mrs. GREEN APPLEのボーカル、大森元貴さんが、突発性難聴を患ったと発表しました。』
テロップと共に、発表書面がテレビに映る。FCツアーも続ける意向を示している、と締めくくられた。
「お、やってるね。」
後ろから、元貴の声がした。頭を拭きながら、テレビを観ている。
「あ、ごめん、気になっちゃって。」
「いいよ、ネットニュースもチェックしたし、ファンの声も上がってるし、いい感じに話題になってるよね。」
ほんとに、この人は渦中の人間という意識はあるのか。僕の視線に、元貴はニヤリと笑って肩をすくめる。
キッチンに行き、冷凍庫から薬を取り出す。
「冷た!」
開け口を切り、目を瞑って一気に流し込む。
僕は隣で水を用意して、その様子を見守った。
「どう?」
「ん〜、不味い。」
「だめか。」
「いや、かなりマシ。ありがと、涼ちゃん。」
水を受け取って、錠剤も飲む。
元貴が洗面所へ行き、歯磨きをし始めたので、僕も帰る用意をする。
「あ、はえうを?」
元貴が歯磨きをしながら、僕に訊く。たぶん、『帰るの?』だろうな。
「うん、また明日ね。」
「ひょっほはっへ。」
たぶん、『ちょっと待って』。洗面所に消えた元貴を、玄関で靴を履いて待つ。
「薬ありがと。」
「うん、マシになってよかったよ。じゃあね。」
元貴が軽く手を振って、僕はドアに向き、ノブに手をかけた。その時。
後ろから、腕を引かれた。振り返ると、元貴が眉を下げて僕を見ている。
「やっぱ…待って。」
「…え…。」
心臓が破れそうなくらい、強く脈打つ。
「…寝るまで、横にいて欲しい。」
「あ…う、うん。」
元貴の顔が、綻ぶ。
寝室へ移動して、元貴がベッドに入り込むと、僕は横の床に腰を据えた。
「硬くない? 」
「うん、大丈夫。」
いつかの時のように、布団の隙間から、細くて白い腕が伸びてきた。
僕は黙って、その手を握る。
「…懐かしい。」
「ん?」
「ほら…実家の時に、来てくれたじゃん、涼ちゃん。」
「あー、体調崩した時だ。」
「うん。」
「あったね、うん…。」
恋人だった時ではなく、あの頃を懐かしむ。あの頃の方が、幸せだった、のかもしれない。
「…弟、なら、いい?」
「ん?」
「涼ちゃんの…弟なら、俺、まだ、こーやって甘えても、いい?」
顔がほぼ布団の中に入っているので、元貴の表情は見えない。胸が締め付けられる。
「…うん…僕は、元貴のお兄ちゃんだからね。」
繋いでいない方の手で、元貴の髪をそっと撫でる。もぞ、とこちらを向いて、嬉しそうに微笑むと、そのまま目を閉じた。
やがて、スウスウと寝息を立てて、元貴が眠りに落ちた。僕は、そっと手を離すと、元貴の合鍵の場所を探して、それを持って鍵を閉めて出ていく。合鍵の場所、変わってなくてよかった。
帰り道、涙が溢れてきた。何についての、どういう感情での涙なのか、自分でもわからない。懐かしい、悲しい、苦しい、愛しい、悔しい、全部の感情が綯交ぜになったような感覚を抱えながら、僕は足早に、恋人の待つ部屋へと向かった。
コメント
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更新ありがとうございます。 ❤️さんのことを心配して、💛ちゃんにお世話を任せた💙くん… お互いの信頼があっての事なんだろうけど、❤️さんがお風呂に入っている時に💛ちゃん抱きしめかながら呟いた言葉が何とも切なくて…。 彼にも本物幸せになって欲しいです…😭
💙ちゃんは💛ちゃんを信用しているからこそ❤️くんと一緒にいてあげてって行ってるんだろうけど、絶対💙ちゃん不安だよなぁ、、、 あぁ、幸せなんだけどすごく辛くて切ないような、、、とにかく続きが楽しみです!応援してます!!
人の心とはつくづくままならないものですよねー…三者三様に切ない。嫌いになって別れたわけではないから、幸せだった場所は思い出が溢れてますよね。言わなくてもいいのに恋人がいないと伝えちゃう誠実さ。本当に大切なんですよね。弟としてでもそばにいたい、弟でしかそばにいられない。複雑に絡み合ってますよね。その表現力が本当にお上手✨ もし病気がなかったら💙💛は付き合い続けたのかなーとかタラレバを想像したり…