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魔界城・中庭。
夜の空気は、静かで冷たかった。
「……久しぶり」
セラフィナは、ゆっくりと石畳に足を下ろす。
外に出るのは、あの魔獣暴走の日以来だった。
夜の闇。
風の匂い。
魔力が、肌をなぞる感覚。
胸の奥が、きゅっと縮む。
「姫君」
隣で、クロウ・フェルゼンが歩幅を合わせる。
「無理は、なさらず」
「わかってる」
短く答えるが、声は少し硬い。
(……怖い)
一歩。
また一歩。
花壇のそばで、足がもつれた。
「……っ」
身体が傾く。
次の瞬間。
「失礼します」
クロウが、迷いなく手を取った。
強くはない。
けれど、確かで、離れない。
「……ありがとう」
「当然です」
クロウの声は、いつも通り敬語で、静かだった。
セラフィナは、深く息を吸う。
(……大丈夫)
(一人じゃない)
二人で、夜の庭を歩く。
その背後――
誰にも気づかれないほど、遠く。
闇の中で、何かが“視て”いた。
* * *
魔界城・執務室。
魔王は、机に積まれた書類を一枚、手に取った。
――人間界・某貴族家。
――魔界の姫の魔力に関する非公式調査。
赤い瞳が、細くなる。
「……調査?」
側近が、慎重に答える。
「正式な許可は出ておりません」
「ですが、舞踏会以降――」
「“姫の魔力は世界の均衡を超える”」
「そう噂が広がっております」
――カン。
机に、指が当たる音。
「……始まったか」
婚姻。
同盟。
次は――力。
「我が娘を」
魔王の声が、低く沈む。
「“資源”として見る者がいる」
「許可なく、近づくなと通達しろ」
「警備を、二重に」
「……いや、三重だ」
「はい!」
魔王は、窓の外を見る。
夜の庭。
小さな影と、それを包む騎士。
(……まだ、触れさせん)
(誰にも)
* * *
同じ夜。
セラフィナは、足を止めた。
「……クロウ」
「はい」
「最近、人が増えた気がする」
クロウは、一瞬だけ視線を巡らせる。
「……その通りです」
「理由、聞いてもいい?」
少し、迷ってから。
「姫君の魔力に、関心を持つ者が増えました」
セラフィナの眉が、わずかに寄る。
「……私の?」
「はい」
「研究、保護、同盟――」
「様々な名目で」
「……やだな」
ぽつりと、漏れる本音。
「また、誰かが傷つく?」
クロウは、即座に首を振った。
「そのようなことは、させません」
一歩、前に出る。
無意識に、盾になる位置。
「私は、ここにおります」
「何が来ても」
「必ず、姫君を守ります」
セラフィナは、少し困った顔で笑う。
「……それ、前も聞いた」
「何度でも、申し上げます」
「……ばか」
そう言いながら。
その手を、まだ離さなかった。
* * *
夜風が、花を揺らす。
静かな庭。
穏やかな会話。
だが、その裏で。
優しさを装った欲望が、
ゆっくりと、確実に――近づいていた。
それでも。
姫は、独りではない。
騎士は、離れない。
王は、許さない。
夜の庭に落ちる影は、
まだ――本当の姿を見せていなかった。
――嵐の前の、短い静けさ。
物語は、確実に次の局面へ進み始めていた。