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「ああ。ミラは明日には私の心の中に戻るだろう」
アルファルドの言葉に、エステルはショックを受けた。
それは、おめでたいことのはずだ。
勝手に引き離されていたアルファルドの心が、やっと一つになるのだから。
けれど、今までずっと仲良く一緒に暮らしていたミラがいなくなってしまうのかと思うと、たまらなく切なかった。
ミラがいなくなるなど考えられない。
本人も、きっと戸惑っているのではないか。
そう思ってミラの名前を呼びかけると、ミラは一瞬だけ寂しそうな顔をしたあと、「大丈夫だよ」と言って笑った。
「この姿ではいられなくなっちゃうけど、僕が消えちゃうわけじゃないから。今までの思い出も忘れないし、あるべき正しい姿に戻るだけ。これもエステルのおかげだよ、ありがとう」
「わたしのおかげ……?」
ミラからお礼を言われる理由が分からず、エステルが首を傾げる。
すると、アルファルドが説明してくれた。
「今まで、私とミラの感情が交わることなど決してなかった。私の心は常に氷のように冷え切っていたし、ミラの言うことを聞いてはいても理解できることはなかった。なのに、君が来てから、それが変わっていったんだ」
「わたしが来てから……?」
ああ、とアルファルドがうなずく。
「ミラの気持ちが少しずつ分かるようになって、二人の感情が一致する瞬間がいくつも出てきた。そんなこと、これまで一度だってなかったのに。それに、前にミラが物を壊したことを隠そうとしたことがあっただろう? 良心であるミラがそんなことをするなど、本来ならあり得ない。あれは、ミラと私の心が同化し始めていたからだったのだろう」
「それは、もしかしてわたしに聖女の力があるからでしょうか……?」
「……そうかもしれない。だが私は、君が君だから奇跡が起こったのだと思う」
君が君だから。
それは、どういうことなのだろう。
エステルには分からなかったが、ミラはアルファルドに同意するようにうなずいた。
(つまり、私のせいでミラがいなくなってしまうということ……?)
エステルの胸に、つきりと痛みが走る。
しかし、辛そうに眉根を寄せるエステルに、ミラが上目遣いでお願いした。
「エステル、これはいいことだから落ち込まないで? 僕、エステルにはそんな風に沈んだ顔をしてほしくないな」
「ミラ……。そうよね、ごめんなさい。これはいいことなのにね。ただ、あまりにも思いがけなかったから、ちょっと衝撃が強くて……」
「僕ももう少し先かと思ってたんだけど、意外に早くてびっくりしちゃった。もうちょっとエステルと一緒にいたかったな」
「私もよ……ミラがいなくなったら寂しいわ」
冷静に考えれば正しいことだと理解できるのに、心が追いつかない。
ミラの温もりを手放したくなくて、小さな手をきゅっと握りしめると、ミラは照れくさそうに目を細めた。
「じゃあ、僕がまだ体を保っていられるうちに、最後の思い出を作りたいな。ねえ、いいでしょ、アルファルド?」
「分かった。何がしたいか言ってみろ」
「えっとね、今夜は僕、エステルと一緒のお布団で眠りたいな。それから、明日は外に出掛けてみたい。町に行って、みんなでお買い物をしてみたいんだ」
「……多少注意が必要だが、まあいいだろう」
「ありがとう!」
ミラは、明日いなくなってしまうなんて嘘みたいに、楽しそうに笑った。
◇◇◇
その日の夜。エステルはミラと一緒にベッドで横になっていた。
「このお布団、エステルと同じでお花みたいな匂いがするね」
「えっ、そうかしら? 自分だとあまり気づかないけれど……」
「僕この匂い好き。こうしてると、エステルにぎゅってしてもらってるみたい」
変な匂いじゃないみたいでよかったと安堵しつつ、エステルがいたずらっぽい表情を浮かべる。
「ふふ、お布団の匂いだけじゃなくて、本当にぎゅってしちゃうんだから!」
「わあ!」
エステルが布団の中で抱きしめると、ミラは驚いたような声をあげながらも、嬉しそうに笑った。
「僕もエステルのこと、ぎゅってする」
「まあ、嬉しいわ」
二人で体をくっつけ合っていると、幸せな気持ちになる。
まだミラの体の透明化がそれほど進んでいないこと、ちゃんと温もりを感じることに、エステルは心から安心した。
「そういえば、ミラ」
「なあに?」
「あのね、アルファルド様が仰ってたことがよく分からなくて。奇跡が起こったのは、聖女の力のおかげじゃなくて、わたしがわたしだからって……。ミラもうなずいてたけど、どういうことなの?」
ミラの柔らかな髪に頬を当てながら、エステルが尋ねる。
エステルの頭のすぐ近くで、ミラが「ああ、それはね」と答え始めた。
「恋の力だと思うんだ」
「こっ、恋!?」
予想もしていなかった単語の出現に、エステルの声が裏返る。
「ちょ、ちょっと待って。恋って……?」
ひとまず体を起こして深呼吸し、気持ちを落ち着ける。
するとミラも同じように起き上がって、少し得意げな顔でエステルを見上げた。
「前にアルファルドが間違えて買った『世界で一番強力な魔法』っていう本に書いてあったんだ。恋は、人生の途中で新しく芽生える温かな感情だって。きっと、アルファルドはエステルに恋をしたんだと思う。その恋の力で、良心が欠けたまま凍ってしまったアルファルドの心も溶けて、僕を受け入れられるようになったんじゃないかなって思うんだ」
「ま、まさか、アルファルド様がわたしに恋だなんて……」
信じがたいミラの仮説に、エステルは動揺してしまう。
そして、なぜか熱くなる顔を冷まそうと両手を頬に当てると、ミラが安心したように微笑んだ。
「エステルが嫌じゃなさそうでよかった」
「えっ」
自分は今、嫌じゃなさそうな顔をしていたのだろうか。
それはどんな顔だったのだろうか。
さらに頬の温度が上がるのを感じていると、ミラが満足そうな顔で横になった。
「じゃあ、明日はお出かけに行くし、僕はもう寝るね。おやすみなさい」
「お、おやすみなさい」
ミラはそのまま目を瞑り、やがてすぅすぅと可愛い寝息を立てて眠ってしまった。
一方のエステルは、いろいろなことを意識してしまって、まったく寝付けなくなってしまったのだった。