テラーノベル
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#大人ロマンス
#サレ妻
燃え上がる一万円札の灰が、吹雪のように室内を舞う。
別荘の温度は急上昇し、かつて奈緒と健一を分断したあの「火災の夜」が再現されていく。
健一は床に膝をついたまま、燃え盛る暖炉を見つめていた。
頭の「犬の耳」は、熱気ですでに歪んでいる。
「パパ。……もう、熱いのは嫌だね」
ガソリンの蓋を閉めた蓮が、健一の隣に静かに座った。
その表情から、これまでの「ナオミの模倣者」としての冷徹さが消え
ただの5歳の子供としての、どこか寂しげな色が戻っていた。
「……蓮。…ごめんな。パパが、弱かったから。……お前を、こんな場所まで連れてきて……」
「……違うよ。パパ」
蓮は、健一の「犬の耳」をそっと手に取り、それを自らの手で外した。
そして、それを炎の中に投げ込んだ。
「…ママは言ってたよ。パパを壊すのが、僕の役目だって。…でも、パパが壊れていくのを見てたら、僕、とっても悲しくなったんだ。…僕、本当は、パパに笑ってほしかっただけなのかな」
初めて語られた、蓮自身の本心。
奈緒の意志に飲み込まれ
彼女のプログラム通りに動いていたはずの「最高傑作」の中に
唯一、奈緒が制御できなかった「父親への愛」という不純物が混じっていた。
「……蓮、お前……」
「パパ。…ママの『物語』は、ここでおしまい。…でも、僕たちの人生は、ママのものじゃない。……そうでしょ?」
蓮は、配信を続けていたタブレットを手に取った。
画面の向こうには、炎上する別荘と、今まさに心中しようとする親子を見守る数千万人の視線。
その瞬間
蓮は、タブレットを暖炉に叩きつけた。
画面が砕け、ライブ配信が強制終了される。
世界と繋がっていた唯一の糸が断ち切られ、室内にはただ、炎の爆ぜる音だけが残った。
「……行こう、パパ。…死ぬのは、ママの思い出だけでいい」
蓮は健一の手を引き、燃え広がる炎の隙間を縫って、裏口の扉を蹴り開けた。
外には、冷たい夜の海風が吹いていた。
二人が外へ飛び出した直後、別荘はガソリンに引火し、凄まじい爆音と共に夜空を焦がす巨大な火柱となった。
◆◇◆◇
翌朝
海岸線には、ボロボロになりながらも、手を繋いで歩く二人の影があった。
健一の手から、奈緒が遺した「ナオミ」の全権限が入ったSDカードが、暗い海へと投げ捨てられた。
彼らにはもう、名前も、家も、富もない。
あるのは、腕に刻まれた消えない焼き印と、犯した罪の記憶だけ。
だが、健一の顔には、数年ぶりに「自分の意志」で吸い込んだ空気による、穏やかな光が宿っていた。
「……パパ。これから、どうするの?」
「……どこか遠くの街で、名前を呼んでくれる人が誰もいない場所で。……二人で、ただの親子として、やり直そう」
蓮は、健一の手を強く握り返した。
二人の背後で、かつての呪縛の象徴だった別荘が、煙となって空へ消えていく。
泥の中から咲く蓮の花のように。
汚れきった過去の中から
二人だけの、小さく歪な「愛」が、今、静かに芽吹こうとしていた。
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