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「あいつと別れることは考えてないんですか?」

「それも分からないの、夫がそれを望んでいるのかもハッキリしていなくて」


 すぐに『離婚』という言葉を考えられないのは、私の心がまだ夫である岳紘たけひろさんにあるからなのかもしれない。医療事務という職に就いてはいたが、彼と離れいきなり一人で生きていける自信もなかった。

 そんな私の心を読んだかのように、奥野おくの君は小さく頷いただけでそれ以上答えを求めてはこない。ただ少し悩んだような素振りを見せると、少し間を開けてこう言った。


「……俺が協力しましょうか?」

「協力って、何を……」


 まさか離婚を、という事だろうか? 彼の言葉に私が戸惑っていると、奥野君は慌ててその話の先を続ける。


「協力するっていうのは、あいつがどういうつもりで他の女性と関わっているのか調べること。それとしずく先輩の事をどうするつもりなのかをハッキリさせることです」

「でもそれは……」


 奥野君は私に気を使って岳紘さんが浮気をしているのだとは言わなかったけれど、私はもう答えを知っている。それをわざわざ知りたいかと聞かれると、正直かなり辛い。

 他の女性を想う夫の姿を見るのも、彼に愛される相手の女性を知るのも今の私には苦しくて。


「辛い結果になるかもしれません、でもこのままあやふやにしてたら雫先輩はずっとあいつに傷付けられるだけだ」

「奥野君……」


 奥野おくの君が私の事を考えてそう言ってくれていることは分かる、誰も好き好んで他人の家庭事情になど踏み込みたくはない筈だから。もしそこに隠れた下心があったとしても、彼が強引に何かを出来るような人間ではないことも十分過ぎるほど知っていた。

 だからと言ってすぐに「そうして欲しい」とは言える訳がない、もしそんな事をして夫の全てを知ってしまったら私はその後どうずればいい?

 隠れて岳紘たけひろさんの行動を監視して、それがバレてしまったら私たちの夫婦関係は修復不可能になるのではないだろうか。

 ……今までも、きちんとした夫婦関係とは言えなかったのかもしれないが。


しずく先輩が辛い時は、必ず俺が支えになると約束しますから」


 そう言って真剣な眼差しを向けてくる奥野君の左手の薬指には、以前と変わらないプラチナのリングが輝いている。そう、私の指にも同じように結婚指輪は着けられたまま。たとえそれが形だけのものであっても。


「気持ちは嬉しいの、でもこれはの問題だから」

「雫先輩、でも……っ」


 奥野君の提案に心が揺らがなかったわけじゃない、それほど私は強い心を持った人間ではないから。それでも彼にまで迷惑をかけたくない気持ちと、岳紘さんとの関係を壊したくない感情を優先することしか出来なかった。


「この話はこれで終わりにしよう? 今日ここに、奥野おくの君が来てくれただけで嬉しかったの」

「俺が、しずく先輩の力になりたいと思うのは迷惑ですか?」


 奥野君はそう言ってくれるけれど、そこまで甘えるわけにはいかない。彼にはもう一番に考えるべき相手がちゃんといるのだから。

 それに奥野君の奥さんにまで、私のようなこんな不安な気持ちは感じて欲しくない。


「迷惑じゃない、でもそこまでしてもらう理由もないの。こうして傍に居てくれるだけで、十分救われてるのよ」

「理由は……俺にはあるよ。分かってるでしょ、雫先輩」


 こちらに向かってゆっくりと伸ばされる手。そして含みのある言い方、その意味に気付けない程鈍感にはなれない。だけど分かったという事は出来ないと、奥野君だってちゃんと気付いてるはず。だから……ごめんという意味で首を振ろうとした瞬間。


 ヴーッ、ヴーッ、ヴーッ……


 テーブルに置きっぱなしにしていたスマホが震えて、ティスプレイに着信の表示が浮かんだ。それに気付いた奥野君が、私に向かってわずかに伸ばしかけていた手を引っ込める。

 私のスマホの画面に表示されたその名前に、奥野君も心当たりがあったからかもしれない。


岳紘たけひろさん、どうして……」


 私が部屋にいないことに気付いた夫が電話をかけてくる、そんな当たり前のことが頭の中からすっかり抜けていた。スマホと財布だけ持って姿を消していれば誰だって驚くに決まってる。そんな当たり前のことも考えられなくなっていたなんて。


「出なくていいんですか、あいつでしょ?」

「……うん、後で連絡するわ」


 本当にいいのか? と問いかけるような|奥野《おくの》君の眼差しから顔を逸らして、店の壁の時計を見る。さすがにこれ以上ここにいてもマスターの迷惑になるだけだ。


「美味しかったです、おいくらですか?」

「試作品だから、お代はいらないよ。また来た時に、ちゃんと感想を聞かせて欲しいくらいかな」


 マスターはグラスを磨く手を止めずそう返事をして、柔らかな笑顔を向けてくれる。奥野君がここによく来る理由も十分理解できる、とても素敵なお店だと思った。

 私は深々と頭を下げて、奥野君にもう一度視線を戻した。彼にもきちんと礼を言わなければならない。


「奥野君、今日はありがとう。でも、もう会わな――」

「それは約束しない、俺は二度もしずく先輩を諦めたないから」


 腕を掴まれてグッと引き寄せられる。その力強さに驚いたが、手を伸ばして距離を取ると財布とスマホを持って急いで店から出て行った。

 ……初めて見る、奥野君の男の顔に戸惑いと胸の痛みを抱いたまま。



夫婦間不純ルール

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