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今日の私は失敗続きだった。違う品物を陳列したり、何度もレジを打ち間違えたり。
大智君を馬鹿にしてる莉子ちゃんにだけは負けたくなかったのに、
「いつもクールな仕事ぶりの詩音さんらしくないドジっぷりですね。まるで今日休みの童貞並ですよ」
と笑われてしまった。クールというのはどんな状況でも冷静でいられる性質をいうのだと理解している。昨夜七年ぶりにセックスした相手に、捨てられそうで怖いだの、今は一瞬でも離れたくないだのと泣きながらごねた私がクールなわけがない。
お昼頃、休憩所で沙羅さんに話しかけられた。
「昨日、あのあとどうしたの?」
「私のアパートまで送ってもらって……」
「それだけ? せっかく恋人になったのに、もう一軒くらい飲みに行ったりしなかったの?」
飲みに行ってはいないけど、そのまま私の部屋に泊まってもらった。まあ、そこまで言わなくてもいいか。
「彼、童貞君なだけあって奥手なんだろうから、詩音さんの方がリードしてあげる必要があるかもね。次のデートで手くらい繋がせてあげたらどう?」
キスもハグもセックスもしたけど、そういえばまだ手を繋いだことはなかった気がする。なんかいろんなものをすっ飛ばしてしまったようだ。
「うん。今度、手を繋いでみるよ」
「彼、今はまだ頼りないけど、ダメな面を見て幻滅するんじゃなくて、ダイヤの原石くらいに考えて、いい面を見て伸ばしてあげるようにすれば、きっとうまくいく気がするな」
泣いたり駄々をこねたり、さんざん情けないところを見せてしまったから、逆に私の方が幻滅されてないか正直不安なんですけど……
「ありがとう。心配されてるんだろうけど、彼と別れる気はないよ。これからも応援してもらえるとうれしいな」
「もちろん。また三人で飲みに行こ!」
そこへ莉子ちゃんが現れた。昨日さんざん自分を罵倒した沙羅さんがいるのを見たからか、明らかに緊張している。
「さ、沙羅さん、詩音さん、こんにちは。昨日の飲み会にお二人が来れなくなって、店長が残念がってましたよ」
「ふうん。で、そっちは盛り上がったの?」
「それはもうすごかったですよ! 店長の独演会が始まって三十分も一人でしゃべりっぱなしで」
それは盛り上がったとは言わない。そっちに行かなくて本当によかった。
「そのあと店長に、〈莉子ちゃん、よかったらうちの会社の入社試験受けてみない? 莉子ちゃんが受けるなら、人事部長に話通してあげるけど〉って言ってもらえて、〈受けます!〉って即答しちゃいました。正社員にしかできない、バイトやパートの管理や教育に興味あったんですよね。店長を見習ってビシビシやってみたいって言ったら、すっごく喜んでくれました!」
それはつまり、正社員になって私たち非正規雇用の従業員に厳しく接していきたいということ? 昨日沙羅に罵倒された仕返し? 店長の橋本凛みたいな独善的な正社員が同じ店にもう一人増えるなら確かにめんどくさそうだ。そうなると分かった時点で、私はきっと辞めてしまうだろう。
この街に来て七年、ずっと今のスーパーで働いてきたわけじゃない。最初はファミレスで働いていた。でも四年前、給仕ロボットが導入されて、ホール係の多くがクビを切られた。私もその一人。私はロボットに負けた。七年前の一件以来、自己肯定感をほとんど失っていたけど、私はまた自分自身の無力さを思い知ることになった。
「ふうん、よかったじゃん」
沙羅さんは、どうでもいいよと言わんばかりの反応。二十歳年上のバツイチの男と結婚するまで、この人もそれなりの修羅場をくぐり抜けてきたはずだ。今さら自分に敵意を向ける、中学生並に未熟な女子高生の存在など歯牙にもかけるわけがなかった。
「沙羅さんたちの方はどうだったんですか? あの童貞、酔った振りして触ってきたりしませんでした?」
触られるどころか、私からお願いしてセックスまでしてもらったけど、そう言ったところで冗談扱いされて終わりそうだから言わなかった。いや違う。大智君の恋人になったことを知られることで私まで馬鹿にされることを恐れる気持ちがまだ少しあったんだ。
「童貞っていう呼び方やめるんじゃなかったっけ? 莉子ちゃんがもう未経験じゃないとして、そんなことがそんなに偉いの?」
セックスの経験値だけでいえば、ここにいる三人の中で私が一番上だろう。結婚して子どもが二人いる沙羅さんだって、十二人の男に自分の体をシェアされた経験なんてしてないはずだ。私にとっては生きてる限り消えない黒歴史。消したいとは思っても自慢したいだなんて死んでも思わない。
「詩音さんまで莉子をいじめないでくださいよ。それにあたし、彼氏はいましたけどまだ処女ですよ。遊びじゃやだ、結婚してくれるならさせてあげるって彼氏には言ってあったんですけど、誰にでもやらせるサセ子みたいな女で性欲解消してたことが発覚して別れちゃいました。沙羅さんも詩音さんも過去にいろいろあったみたいですけど、けっこうかわいそうなやつなんですよ、あたしも」
私は言葉を失った。莉子ちゃんの境遇に同情したからじゃない。いろいろな男に性欲解消に利用されるだけの〈誰にでもやらせるだけのサセ子〉、それはまさしく七年前の私だったからだ。
私の転落は早かった。竜星に処女を捧げた日は免れたけど、次に会ったときはとうとう中に出された。安全日だから大丈夫だとは思うけど、万が一ということはあるかもしれない。竜星は自分の精液が私の膣から溢れ出してシーツを濡らすのを眺めて、真面目な顔で言った。
「詩音とは遊びじゃないから避妊しなかった。もし妊娠したらもちろん責任取る」
「結婚してくれるということ?」
「詩音がおれでよければ」
「いいに決まってる!」
口に出しては言えないけど、妊娠すればいいと願った。
二度目にセックスしたその日は最初の日から十日も空いていた。確かにその十日間のほとんどは生理の期間と重なっていた。でもそれが会ってもらえなかった理由だとしたら、所詮私は竜星にとって体だけが目当ての女でしかないということになる。
また、処女を奪うことが好きなだけで、ミッションをクリアしたあとはまた別の処女を口説き始めるような、ゲーム感覚で恋愛を楽しむ男がいることも知っている。竜星もそういう男の一人だったのだろうかと不安に駆られていたから、結婚してもいいとまで言ってもらえて本当にうれしかった。
その日は竜星の方から私が一人で暮らす学生向けマンションに会いに来てくれた。竜星は例によってさんざん焦らしに焦らしてから、我慢したご褒美のように私が絶頂感を味わうことを許した。その後、私たちは裸のままベッドの上で抱き合っていた。
「もっと頻繁に会ってほしい」
「寂しい気持ちにさせてごめんな」
「私が竜星さんを想うほど、竜星さんは私のことを想ってくれてないのかなって、不安になるときがあるんだ」
「前にも言ったよね。N大の学生の詩音はおれみたいなただの高卒のアルバイトから見れば高嶺の花なんだ。おれから詩音を振ることは絶対にないから」
「竜星さんが私のことを好きだっていう確証がほしい、どんなものでもいいから」
竜星はある提案をした。
「おれの仲間に会わせて、おれの自慢の恋人だって紹介してやるよ。それでどうだ?」
「うれしい!」
気がついたらまたセックスが始まっていた。相変わらずさんざん焦らされた。気が遠くなるほど長く時間をかけた愛撫のあと竜星はふたたび私の中に入ってきた。私が何度も絶頂を迎えるのを確認してから、竜星も射精した。でもなぜか私の体から引き抜かれたそれにはさっきまでなかった避妊具が装着されていた。
次の日の夜、竜星に呼び出された場所はクラブだった。夜のお店はいくつかなら竜星に連れて行ってもらったことがあるけど、そのお店は行ったことのないお店だったから、おっかなびっくり扉を開いた。途端に耳につんざくダンスミュージック。私は怖くなってひたすら竜星の姿を探した。
突然肩を叩かれてびくっとして、振り返ると竜星が立っていた。竜星の後ろに十一人の若い男たち。
「昨日、詩音と約束したからな。おれの仲間に会わせて、詩音をおれの自慢の恋人だと紹介するってさ」
「仲間って十一人もいたの?」
「ああ。一人残らずいいやつらさ。詩音といるとき以外、おれはいつもこいつらといっしょにいるんだ」
そんな大切な人たちに私を紹介してくれるなんて……。お店の淫靡な雰囲気と耳をつんざく音楽と十二人の魅力的な男たち――
それから私はホストクラブにいるみたいに、十二人の男たちの奉仕を受けた。
「竜星さんの彼女なら、おれたちにとってはお姫様のようなものですからね」
私は男たちに姫と呼ばれ、お酒をグラスに注がれ、食べたい料理を食べやすく小さくして口元まで運ばれた。
竜星以外の十一人の中で私が一番興味を持ったのは、私を姫と呼ばず詩音さんと呼び続けた藤原礼央だった。ほかの十人がみな竜星の後輩で竜星をさん付けで呼んでいる中で、礼央だけは竜星と年が同じで、竜星と呼び捨てで呼んでいた。礼央は十二人の中で一番背が高く、筋肉質でがっしりした体型をしていた。内面的にも竜星が理知的で洗練された男であるのに対して、礼央は野生的かつ直情的な男だった。
私を家まで見送る者として、竜星は礼央を指名した。心地よく酔っていた私も内心それを喜んだ。実際人生の経験値が違いすぎるから仕方ないことだけど、竜星と話すといつも私は子ども扱いされる。でも、ほかの十一人はそういうことがなかった。特に礼央は真剣に私と向き合い、私をただの仲間の彼女として見るのではなく、かけがえのない親友として私と接してくれた。
礼央はタクシーを呼ぶと言ってくれたけど、彼とじっくり話してみたかったから、私の部屋まで酔いを覚ましがてら二人でぶらぶら歩いていくことにした。
「竜星と会ってると疲れるでしょ?」
「分かりますか」
「あいつだけ大人すぎるからね。リーダーとしては最高だけど、なかなか対等な関係を築くのは難しい」
竜星の隣にいる私がおどおどと卑屈な様子に見えたから、そんなふうに言われてしまうのだろう。
竜星は優しい。ただその優しさが私のような凡人の考える優しさとは違っているだけなのだ。
彼は、何も知らない私の前に無限に広がる大人の世界への扉だ。私は彼と話すだけで、彼の博識と洗練された態度に軽い劣等感を覚えながら、心は恍惚となる。セックスのとき何をするにも焦らされるのが不満であるといっても、どうせ最後には私の身も心も彼の与える快楽の海の中を死にかけた魚のように無抵抗に漂い続けるほかなくなってしまうのだ。
私が彼に不満を持つのは彼が悪いのでなく、精神的な成熟度という点において私の方が全然彼の立ち位置まで追いついていないからだ。未熟すぎる私が悪い。それは分かっている。
「竜星さんといると私が一方的に振り回されるばかりで……。会いたくて仕方ないのに十日も放っておかれたり……。竜星さんは私が初めて好きになった人なんだ。恋愛ってこんなに苦しいものだったんだね。知らなかったよ」
「詩音さん、竜星の過去の彼女のことは聞いてる?」
「恋人が事故で亡くなってずっと引きずっていた、というのは聞いた」
「その一人しかいなかったと思う?」
「思わない……」
「恋愛というステージで、恋を知ったばかりの詩音さんが竜星と対等になれないのは仕方ないことなのに、あなたを見てるととても無理をしてるように見える。なんとか竜星に追いつこうとして精一杯背伸びしてるような。おれだったら絶対にそんな思いはさせないのに! こんなこと言うときっと怒られるに決まってるけど……」
その通りだと思った。しかもどんなに私が背伸びしたところで、恋愛のスキルという点では竜星の足元にも届きはしないのだ。
「怒らないよ。実際礼央さんの言うとおりだし。むしろ心配してくれてありがとう。私もっと強くなりたい。竜星さんの隣にいても卑屈な気持ちにならなくて済むように」
「無理に強くならなくていい。今のままで卑屈になる必要もない」
礼央の大きな腕によって抱きしめられた。
「ごめん。竜星を裏切る気なんてなかったのに、君を好きになってしまった」
「でも私には竜星さんが……」
「おれはすべての点において竜星に叶わない。でもただ一つだけ、詩音を不安にさせないという点だけはあいつに勝てると約束する」
いつのまにか呼び捨てにされていた。でも少しも不愉快ではなかった。
「でも……」
礼央に唯一抗い続けた口も彼の唇に塞がれて、私はすべての抵抗の手段を失った。
三十分後、昨日竜星に抱かれた私の部屋で、私は礼央に貫かれていた。礼央は一度も焦らさなかった。そして一度も私を不安にしなかった。彼は何度も何度も私を求めたけど、それは私が望んだことでもあった。私は礼央と、時間と彼の体力が許す限りいつまでも繋がっていたかった。
ただし、礼央とのセックスは痛みを伴った。それは竜星と違い彼が前戯を念入りにしなかったせいでもあるだろうし、私を貫いた礼央のものが竜星のものよりその大きさでも硬さでもまさっていたせいでもあるだろう。
持続時間や回復力も段違いだった。わずか二時間ほどのあいだにタフな彼は七回も私を貫き、射精した。初めの三回は避妊具をつけて、次の三回は避妊具をつけずにして外に出し、七回目は私の許可を得て中に出した。危険日ではないから大丈夫だとは思うけど、もし私が妊娠したら父親はどちらになるのだろう? そんな心配も、いっしょに入ったお風呂でまた何度も貫かれているうちに、いつしか忘れていた。
お風呂から上がると竜星からメッセージが届いていた。
〈無事に家に着いたかな? 礼央も戻ってこないし心配しています〉
竜星を裏切った罪の重さが今さらながら心にのしかかってきた。自分と竜星を比べて自分のダメさ加減に落ち込む毎日だったけど、そんな私がそんな資格もないのに竜星を深く傷つけるようなことをしてしまった。
しかも浮気じゃない。決して竜星を嫌いになったわけではないけど、私の望みに気づき必ず叶えようとしてくれる礼央の優しさに包まれながら、私は心から彼を愛してしまった。昨夜、私が妊娠したら結婚してくれると竜星に言われて、妊娠したいと願ったほど喜んでいたくせに。私はそんなにいい加減で不実な女だったのだろうか?
「どうしよう……」
スマホの画面を礼央に見せた。
「全部正直に話して、気が済むまでおれを痛めつけてもらうしかないな」
「悪いのは竜星さんを裏切った私なんだから、私が殴られるよ」
「竜星を裏切ったのはおれも同じだ。詩音の分までおれが殴られるからいい」
私のために気が済むまで竜星に殴られると言ってくれた男が愛しくて、私は礼央の火照った胸に顔をうずめた。
暴力を振るう場として、私の部屋は不適当だ。私たちは近くの公園に移動し、礼央はそこに竜星を呼び出した。もう真夜中だったけど、竜星はタクシーを使って飛んできた。
竜星も馬鹿じゃない。寄り添う私たちの姿を見つけるなり、事態を理解したようだ。
竜星は私ではなく礼央に食ってかかった。
「詩音と寝たのか?」
「すまない」
「おれの女だと分かってて……」
「すまない」
「礼央を信用して詩音を家まで送らせたのに」
「すまない」
「こんなあっさりと裏切られるなんてな。親友だと思ってたのはおれの方だけだったか……」
「すまない。気が済むまでおれを殴ってくれ。今でも竜星はおれの一番の親友だと思ってるが、もう詩音をおまえに返すわけにはいかないんだ」
私は泣いてしまった。ずっと前からかけがえのない親友同士だった二人の仲が、最近突然現れた私のせいで壊れてしまった。この二人が仲直りできるならどんなことでもしてみせるのに。でも、二人と比べたらただの子どもでしかない無力な私にいったい何ができるだろう?
竜星が私の方に向き直る。
「詩音」
「は、はい……」
「礼央のことが好きなのか?」
「ごめんなさい」
「おれのことは嫌いになったか」
「なってないです」
竜星がいきなり私の前で土下座して、私はあっけに取られた。
「どうしてもおれは詩音を失いたくない。詩音にとっての一番の恋人の座は礼央に譲る。おれは二番目という扱いでいいから、どうかおれを捨てないでもらえないか」
私よりずっと大人で、セックスしてるときもそれ以外のときも私をさんざん子ども扱いしてきた竜星が涙声になって、捨てないでと私に哀願している。想像を絶した状況に私はどうしていいか分からなくて、助けを求めるように隣に立つ礼央のつらそうな顔を見た。
「おれは詩音ほどの女を独り占めできるようなたいした男じゃない。竜星の願いを叶えてやってもらえないか。詩音は同時に二人とつきあって、あとからどちらかを選べばいいんだ」
そんな都合のいい話があるのだろうか? 私のような勉強しかできないあか抜けない小娘が、それぞれ異なった魅力を持つ二人の男性と同時に交際できるなんて。
しかも私がそれに同意すれば、礼央が竜星に殴られることもないし、男たちの壊れかかった絆も今まで通り守られるのだ。
「礼央さんと竜星さんが本当にそれでいいなら、私もそうしたいです」
でもそのとき決まったのは、私が二股をかけて男たちと交際することではなかった。私の心と体が二人の男の共通所有物となることが決定した瞬間だった。