テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
私は印刷会社の総務課で働いている。この春、隣の経理課から異動になった。ちなみに総務課も経理課も管理部門の中にあり、フロアも同じだ。
「笹本さん、今日、事務用品なんかの在庫チェックするんだよね。バインダーファイルも頼んどいてくれる?あとは経理にも声掛けよろしく」
「分かりました」
私は課長の田中に返事をして、キャビネットが並ぶフロアの端っこに向かった。管理部で使う事務用品の類は、この棚の中に一通り揃えてあるのだ。不足している物がないか確かめてから経理課へ向かい、年の離れた同期に声をかけた。
「お疲れ様です。太田さん、すみません。今、事務用品の在庫チェックをしてるんですが、経理で何か必要なものがあれば教えてもらえますか?今日中でいいので」
太田は私より四才年上の三十才だ。私が新卒で入社した春に転職してきた。年齢は違うが同期ということで仲が良い。私が総務課に異動してからも、それは変わらない。
「分かった。少し時間もらえる?」
「もちろん。では、よろしくお願いします」
「あっ、待って」
太田の声に引き留められた。
私は席に引き返そうとしていたが、足を止めて振り返る。
彼は席を立って私の傍までやってくると、いつもよりも声を低くして、やや早口で言った。
「今日の帰り、食事に行かないか」
少し驚いた。太田に食事に誘われたことが初めてだったからだ。しかし、同期同士ということで、社内では差しさわりあるような内容でも話したいのかもしれないと思い、私は頷いた。
「いいですよ」
太田の頬がほっとしたように緩んだ。
「じゃあ、待ち合わせはロビーで」
「はい」
私は太田に軽く会釈して席に戻った。
食事に行くなら今やっている入力分を時間内に終わらせなければと、早速パソコンの画面を開く。それから後は終業時間になるまで次々と仕事をこなし、残業を免れる。
パソコンの電源を落とし、太田の席に目をやった。
彼の方はまだ作業中のようだ。仕事を終えるまで、あとしばらくは時間がかかるように見えた。
少しは待つことになりそうだと思いながら、私は同僚たちや課長に帰りの挨拶をし、廊下に出た。ロッカールームであえてゆっくり身支度を整えて、ロビーへと降りて行った。どこで待っていようかと辺りを見渡して、おやっと思った。出入り口付近のソファに誰かが座っている。ガラスに写った顔を見て目を見開く。太田だ。
同様に彼もまたガラスに写った私の姿に気づいたらしく、ソファから立ち上がりこちらへと近づいてきた。
「お疲れ様」
「お疲れ様です。仕事、もう少し時間がかかるのかと思っていました」
「笹本を待たせたら悪いと思って、頑張ったんだよ」
「そうでしたか。お疲れ様でした」
を
私は笑顔で太田労う。
彼はまぶしそうに目を細めて私に訊ねる。
「何が食べたい?」
「今日は和食の気分ですね」
「じゃあ、俺の知ってる店でもいい?居酒屋なんだけど」
「もちろんです」
私が頷くのを見てから、太田はゆっくりと歩き出した。
「ここからそんなに遠くないんだ。もしかしたら、笹本も知ってるかも」
「この辺りのお店ですか?へぇ、どこだろう」
私は首を傾げつつ太田の後を着いて行く。
彼の言葉通り、店は会社から近い場所にあった。ものの数分で到着する。
「ここなんだけど、知ってた?」
「いえ、初めて知りました」
「ここの食べ物がおいしいんだ」
「そうなんですね。太田さん、詳しいですね」
「そういうわけでもないけど……」
太田は照れたように笑っている。
「じゃ、ここでいい?」
「はい」
太田はほっとした顔をして暖簾を上げる。引き戸を開けて私を先へと促した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
平日ということで、席に余裕があったらしく、すぐに二人掛けのテーブルに案内された。
太田が勧める料理を何品か注文し、私はノンアルコールビールを、太田は焼酎の水割りを頼む。話題は仕事中心ではあったが、太田との初めての食事にしては楽しい時間を過ごした。