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はなたろう@推しと恋する物語
黒猫ている
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私は印刷会社の総務課で働いている。この春、隣の経理課から異動になった。ちなみに総務課も経理課も管理部門の中にあり、フロアも同じだ。
「笹本さん、今日、事務用品なんかの在庫チェックするんだよね。バインダーファイルも頼んどいてくれる?あとは経理にも声掛けよろしく」
「分かりました」
課長の田中に返事をして、私はフロアの端の方へ足を向けた。そこにはキャビネットが並んでいる。この棚の中に、管理部で使う事務用品の類が一通り入っているのだ。何か不足している物はないか確かめてから経理課へ向かい、ペットボトルのお茶に口をつけていた、年の離れた同期に声をかける。
「お疲れ様です。太田さん、すみません。今、事務用品の在庫チェックをしてるんですが、経理で何か必要なものがあれば、教えてもらえますか?今日中でいいので」
太田は私より四才年上の三十才だ。私が新卒で入社した春に転職してきた。
「分かった。少し時間もらえる?」
「もちろん。では、よろしくお願いします」
「あっ、待って」
席に戻ろうとしていた私は、太田の声に足を止め、振り返った。
彼は席を立ち、私の傍までやってきた。声のトーンを落とし、やや早口で言う。
「今日の帰り、食事に行かないか」
同期ということで、彼とはそれなりに仲良く付き合ってきていたが、食事に誘われたことは初めてだ。いったいなぜ、と驚き、不思議に思った。しかし、社内で話すには支障がある相談事でもあるのかもしれないと考え、私は首を縦に振る。
「いいですよ」
私の返答にほっとしたのか、太田の頬が緩んだ。
「じゃあ、待ち合わせはロビーで」
「分かりました」
太田に小さく頷き、私は席に戻った。今夜の彼との予定のためには、今手を付けている仕事を何とかしてやっつけなければならない。早速パソコンに向かい、終業時間となるまでの数時間、私はいつも以上にてきぱきと仕事をこなした。無事に終業時刻を迎え、机の上を片づけながら、私は経理課の方へと目を向けた。
太田はまだ、仕事中のようだった。難しい顔をしているところを見ると、退社するまでもうしばらく時間がかかりそうだ。
少し待つことになりそうだと思いながら、私は同僚たちに帰りの挨拶をして廊下に出た。ロッカールームであえてゆっくりと身支度を整え、ロビーへと降りて行った。どの辺で待っていようかと周囲を見渡して、気づく。出入り口付近にあるソファに、太田が腰を下ろしていた。
私のヒールが鳴らした音で、彼が振り返った。私を認めた途端ソファから立ち上がり、いそいそとした足取りで近づいてきた。
「お疲れ」
「お疲れ様です。仕事、もう少し時間がかかるのかと思っていました」
「笹本を待たせたら悪いと思って、頑張ったんだよ」
「そうでしたか。お疲れ様でした」
私は笑顔で太田を労った。
「何が食べたい?」
彼はまぶしそうに目を細めて私に訊ねた。
「うぅん、今日は和食の気分ですかね」
「じゃあ、俺の知ってる店でもいい?居酒屋なんだけど」
「もちろんです」
「ここからそんなに遠くない所にあるんだ。もしかしたら、笹本も知ってる店かも」
「この辺りにあるお店なんですか?へぇ、どこだろう?」
私は首を傾げつつ、太田の後を着いて行った。
彼の言葉通り、店は会社から歩いて数分ほどの場所にあった。
「ここの食べ物がおいしいんだ」
「そうなんですね。太田さん、詳しいですね」
「そういうわけでもないけど……」
太田は照れたように笑う。
「じゃ、ここでいい?」
「はい」
太田は片手で暖簾を上げ、引き戸を開けて私を先へと促した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
平日だからか、席に余裕があったらしく、すぐに二人掛けのテーブルに案内された。
太田が勧める料理を何品か注文し、私はノンアルコールビールを、太田は焼酎の水割りを頼んだ。仕事中心の話題ではあったが、太田との初めての食事の時間は、思っていた以上に楽しいものだった。