コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
1994年、7月30日。正午過ぎ
集落の一帯で地震が起きた
揺れはたいしたことはなく
私の勤める役場でも被害は小さかった
しかし念のため、村に大きな被害が出てないかを役場の人間で確かめることになった
それを任されたのは若手の3人
女は私だけで、後のふたりは男
全員20代の職員だ
最年長の柏木を先頭に村を歩いてまわった
幸いにも大きな被害はなく、確認作業を終えて役場に帰ることになった
その道すがら。私達は妙なものを見つけた
土砂を防ぐコンクリートの壁に、短いトンネルが口を空けていたのだ
こんな場所にトンネルがあったことなど知らない。
村尾
柏木
柏木
柏木
柏木
どうせ見て回るだけ。
その位しか考えずにその場所へ足を踏み入れた
その先に何が待ち受けているのかも知らずに
トンネルの向こうには小さなグラウンドが広がっていた
倒れたサッカーゴールにペンキの禿げたタイヤ
建物の脇には藻の繁殖したため池があり
目の前の光景は学校の敷地そのものだった
"いちはつ少年教護學園"
門の石柱にそんな文字が彫られていた
教護學園というのは今でいう児童福祉施設の一種だ。
柏木
柏木
柏木
グランドの奥にはふたつの建物があり 、先に立ち入った方の入口には
"生活棟"
恐らく、もう片方は学習のための施設なのだろう
立ち寄ったついでに何気なく扉へ手をかけると
ほとんど抵抗もなく扉は開いた
柏木
村尾
どうやら2人はこの未知の施設に興味をくすぐられたようだった
入口から入ってすぐ右手には
この掲示板に写真が貼られていた
黄ばんだ集合写真には30人弱の子供と、職員らしき人が5.6人並んで写っている
写真の下には
"1972 春"
と書かれていた
私が掲示物を何となく見ていると
柏木
奥の部屋からだ
声に誘われて行くとそこは子供部屋のような場所だった
壁には赤や紫を中心とした色合いで無数の顔が書かれていた
中でも目を釘付けられたのは子供の似顔絵だった
画用紙いっぱいに描かれた子供が、目から赤い涙を流している絵。
柏木
柏木
そう言うと、柏木は部屋を後にした
私も一人で入れず、彼の後について部屋を出ようとした
そのとき、背後から微かな音が聞こえた
ぽたっ……そんな感の、滴の落ちる音だ。
ぽた
ぽたっ
ぽたたっ
ぽたっ
反射的に振り返って、さっきの似顔絵を直視する
似顔絵の目から赤い液体が、画用紙をつたい床へと滴り落ちていた
頭が真っ白になり
私
と叫んだ
その声にただならぬものを感じたのだろう
柏木
と柏木が飛んできた
私が指を指し、さっき見た状況を説明する
柏木
柏木
柏木
柏木
そう言うと柏木は私の肩を叩いて再び部屋を後にした
私は釈然としない気持ちを拭えずにいた
あの絵はクレヨン描きだ
塗料が溶けるなんてありえない
それ以上は考えないようにして部屋を出た
あの似顔絵の視線を背中に受けながら