八倉 建一
今日のページは、特別です
そう言って八倉建一が開いたのは、ノートの5ページ目。
字はいつもより少し乱れていた。
八倉 建一
…君が僕に話しかけた日。君は、“建一くん”と名前を呼んだ
八倉 建一
でもあれは、姉に聞いたからじゃない。自分の意思だった
八倉 建一
僕を、僕自身として見てくれた…初めての人だった
菜々花はその言葉を聞いて、思わず眉をひそめた。
多川 菜々花
…本当にそうだった?
建一の手が止まる。
八倉 建一
…どういう意味ですか?
多川 菜々花
私、あなたの名前を“自分の意思で”呼んだ記憶なんてない
多川 菜々花
それって、小雪さんから聞かされた名前なんじゃないの?
多川 菜々花
“この子は弟の建一”って、そう紹介された。…違う?
建一の目が一瞬だけ揺れた。
だが、すぐに平静を装うように、ノートを閉じる。
八倉 建一
それでも、君は僕の名前を口にした。それがすべてです
多川 菜々花
違う
菜々花は一歩、前に出た。
多川 菜々花
あなたは、私の“言葉”を都合よく編集してる
多川 菜々花
記憶を、自分の望むように変えてる
多川 菜々花
それ、ただの自己満足じゃない
建一の口元がわずかに歪む。
八倉 建一
君がそう思うなら、それでも構わない
八倉 建一
でも、君の記憶もまた、“真実”じゃない
多川 菜々花
…!
八倉 建一
君は、何度も何度も、“見たくない現実”から目を背けてきた
八倉 建一
忘れたことにして、誰にも見せず、傷を抱え込んできた
八倉 建一
そのくせ、人を拒む。優しくされても信じない
八倉 建一
僕の言葉が歪んでいるとしても、君の記憶は正しいんですか?
菜々花の胸に、冷たい刃のような言葉が突き刺さる。
多川 菜々花
(…私は、本当に何を覚えていて、何を忘れているの…?)
多川 菜々花
──だったら、証拠を見せてよ
沈黙。
多川 菜々花
記憶じゃなくて、物証を見せて
多川 菜々花
写真でも、音声でも…本当に“私とあった過去”があるなら
建一はしばらく黙ったままだった。
そして、ゆっくりとポケットからスマートフォンを取り出す。
八倉 建一
…見せます。でもそれは、次のページを開いてからです
八倉 建一
今日はここまで
その言葉に、菜々花は思わず膝に力が入らなくなる。
多川 菜々花
(…やっぱり、操作されてる。全部、彼のペース)
彼の話す記憶は、“本物のような嘘”に満ちている。
けれど、それが“完全な作り話”とも思えない何かがある。
菜々花は、薄暗い部屋の天井を見上げながら、静かに拳を握った。
多川 菜々花
(ここから出るために、私はこのゲームを逆手に取るしかない…)
同じ頃──
部下
八倉小雪さんの遺品、見つかりました
関本泰一刑事の元に届いた、封筒の中には日記と数枚のポラロイド写真。
そして、1枚のメモが。
弟が、あの子に執着している。
私が消えたら、あの子を守ってほしい。
“多川菜々花”──彼女の笑顔は本物だから
関本はその文字を睨みつけた。
関本 泰一
…やっぱり、“狙われた”んじゃない。“選ばれた”んだ。最初から
そしてその選択の裏には、姉・小雪の存在があった。